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読書に徹し思索の暇を持つべき  短い御書三編

”社会改善の使命を持った指導者等が、読書に徹し思索の暇を持つべき短い御書三編

より引っ越し
一昨日御書
治病大小権実異目
止暇断眠御書
一昨日御書(文永八年九月 五十歳御作 与平左衛門尉頼綱)の類文

"〜仏の出世は(仏力法力の人本尊御本仏が鎌倉時代に一度だけ人間に凡夫地謙下されたのも)
専ら衆生を救わんが為なり〜〜正路に背いて偏に(免疫細胞遺伝子傷害致傷等)邪途を行ず〜〜今世は悉く関東に帰し人は皆(武士だけでなく科学博士医学博士等)士風を貴ぶ〜〜就中日蓮生を此の土に得て豈吾が国(島国列島小日本国)を思わざらんや〜〜(災難対治の)謀を帷帳の中に回らし勝つこと(人間平和健康幸福勝利)を千里の外に決せし者なり〜〜何ぞ国中の(善良な人間や数千年の肥沃な土壌・日本固有植物種子原種源原種等含む)良材を損せんや
早く賢慮を回らして須く(人類の)異敵
(災難犯罪教唆思想の末流の戦後七十数年間に数億人大量奪人命・免疫細胞傷害致傷致死療法)を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す是れ偏に身の為に之を述べず君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり"


治病大小権実違目(弘安五年六月 六十一歳御作 富木入道殿御返事 日蓮)の類文 ” (四条金吾殿)さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ。  今度の人人のかたがたの御さいども佐衛門尉殿(四条金吾殿)の御日記のごとく給い了んぬと
申させ給い候へ。  太田入道殿のかたがたのものときどの(富木殿)の日記のごとく給い候了んぬ
此の法門のかたづらは(四条金吾殿)佐衛門尉殿にかきて候、こわせ給いて御らむ有るべく候。 御消息に云く凡そ疫病弥興盛等と云云、夫れ人に二の病あり一には身の病所謂地大百一水大百一火大百一風大百一 已上(病の起こりによる分類)四百四病なり、此の病は設い仏に有らざれども
之を治す所謂治水流水耆婆(信力行力の妙法所具の人体内治療力修復力)(善良で安全な医療全般技術者)扁鵲等が方薬(善良で安全な治療法方及び薬)此れを治するに
ゆいて愈えずという事なし、二には心の病所謂三毒乃至八万四千の病なり、
此の病は二天三仙六師等も治し難し何に況や神農黄帝等の方薬及ぶべしや、
又心の病重重に浅深勝劣分れたり

止暇断眠御書
富木殿御書[止暇断眠御書](大経典目録項数969〜970)の類文
今日本国の諸人悪象悪馬悪牛悪狗毒蛇悪刺懸岸険崖暴水悪人悪国悪城悪舎悪妻悪子悪所従等よりも此に超過し以て恐怖すべきこと百千万億倍なれば持戒邪見(人体解剖内臓機能奪いとり学遺伝子加工学等)の高僧等(世間出世間の災難犯罪教唆思想隷属・金権腐敗堕落学者等)なり(ガンの標準治療等細胞毒神経毒処方等毒薬療法放射線被爆療法等有害な療法)を疑わず 
此等の意を以て之を案ずるに我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて(世間出世間の災難犯罪教唆思想隷属学者等{金権腐敗堕落権力財力権威の魔性の伏魔殿・学術研究機関中人体実験犯罪医学博士人体実験犯罪科学博士等・1936年に放射性ナトリウム注射人体実験犯罪医学博士・医師ロバート・ストーン等がはじめて大学に放射線科を設置・ラジウム&ウラニウム鉱脈所有企業責任者鉱山王ダグラスがもたらした放射線治療のはじまり}が多くの衆を悪道に導いて来た事)之を案ぜよ
一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ


”一昨日御書     

 文永八年九月 五十歳御作           与平左衛門尉頼綱

 一昨日見参に罷入候の条悦び入り候、抑人の世に在る誰か後世を思わざらん仏の出世は専ら衆生を救わんが為なり、爰に日蓮比丘と成りしより旁法門を開き已に諸仏の本意を覚り早く出離の大要を得たり、其の要は妙法蓮華経是なり、一乗の崇重三国の繁昌の儀眼前に流る誰か疑網を貽さんや、而るに専ら正路に背いて偏に邪途を行ず然る間聖人国を捨て善神瞋を成し七難並びに起つて四海閑かならず、方今世は悉く関東に帰し人は皆士風を貴ぶ、就中日蓮生を此の土に得て豈吾が国を思わざらんや、仍つて立正安国論を造つて故最明寺入道殿の御時宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ、而るに近年の間、多日の程犬戎浪を乱し夷敵国を伺う、先年勘え申す所近日符合せしむる者なり、彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり、夫れ未萠を知る者は六正の聖臣なり法華を弘むる者は諸仏の使者なり、而るに日蓮忝くも鷲嶺鶴林の文を開いて鵝王烏瑟の志を覚り剰え将来を勘えたるに粗符合することを得たり先哲に及ばずと雖も定んで後人には希なる可き者なり、法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処邪法邪教の輩讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず、剰え不快の見参に罷り入ること偏に難治の次第を愁うる者なり、伏して惟みれば泰山に昇らずんば天の高きを知らず深谷に入らずんば地の厚きを知らず、仍て御存知の為に立正安国論一巻之を進覧す、勘え載する所の文は九牛の一毛なり未だ微志を尽さざるのみ、抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述べず

君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり、恐恐謹言。

 文永八年九月十二日               日蓮花押             

治病大小権実違目  

弘安五年六月 六十一歳御作     富木入道殿御返事  日蓮

  さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ。

  今度の人人のかたがたの御さいども佐衛門尉殿の御日記のごとく給い了んぬと申させ給い候へ。

  太田入道殿のかたがたのものときどの(富木殿)の日記のごとく給い候了んぬ此の法門のかたづらは佐衛門尉殿にかきて候、こわせ給いて御らむ有るべく候。

 御消息に云く凡そ疫病弥興盛等と云云、夫れ人に二の病あり一には身の病所謂地大百一水大百一火大百一風大百一已上四百四病なり、此の病は設い仏に有らざれども之を治す所謂治水流水耆婆扁鵲等が方薬此れを治するにゆいて愈えずという事なし

二には心の病所謂三毒乃至八万四千の病なり、此の病は二天三仙六師等も治し難し何に況や神農黄帝等の方薬及ぶべしや、又心の病重重に浅深勝劣分れたり、

六道の凡夫の三毒八万四千の心病は小仏小乗阿含経倶舎成実律宗の論師人師此れを治するにゆいて愈えぬべし、但し此の小乗の者等小乗を本として或は大乗を背き或は心には背かざれども大乗の国に肩を並べなんどする其の国其の人に諸病起る、小乗等をもつて此れを治すれば諸病は増すとも治せらるる事なし、諸大乗経の行者をもつて此れを治すれば則ち平愈す、又華厳経深密経般若経大日経等の権大乗の人人各各劣謂勝見を起して我が宗は或は法華経と斉等或は勝れたりなんど申す人多く出来し或は国主等此れを用いぬれば此れによつて三毒八万四千の病起る、返つて自の依経をもつて治すれどもいよいよ倍増す、設い法華経をもつて行うとも験なし経は勝れたれども行者僻見の者なる故なり。

 法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円は相似せり爾前の仏と迹門の仏は劣応勝応報身法身異れども始成の辺は同じきぞかし、今本門と迹門とは教主已に久始のかわりめ百歳のをきなと一歳の幼子のごとし、弟子又水火なり土の先後いうばかりなし、而るを本迹を混合すれば水火を弁えざる者なり、而るを仏は分明に説き分け給いたれども仏の御入滅より今に二千余年が間三国並びに一閻浮提の内に分明に分けたる人なし、但漢土の天台日本の伝教此の二人計りこそ粗分け給いて候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず、詮ずる処は天台と伝教とは内には鑒み給うといへども一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故なり、

今末法に入りぬ地涌出現して弘通有るべき事なり、今末法に入つて本門のひろまらせ給うべきには小乗権大乗迹門の人人設い科なくとも彼れ彼れの法にては験有るべからず、譬へば春の薬は秋の薬とならず設いなれども春夏のごとくならず何に況や彼の小乗権大乗法華経の迹門の人人或は大小権実に迷える上上代の国主彼れ彼れの経経に付きて寺を立て田畠を寄進せる故に彼の法を下せば申し延べがたき上依怙すでに失るかの故に大瞋恚を起して或は実経を謗じ或は行者をあだむ国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故或は自身の愚癡の故或は実教の行者を賎しむゆへ等の故彼の訴人等の語ををさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈日月四天等其の国を罰する故に先代未聞の三災七難起るべし、所謂去今年去ぬる正嘉等の疫病等なり。

 疑つて云く汝が申すがごとくならば此の国法華経の行者をあだむ故に善神此の国を治罰する等ならば諸人の疫病なるべし何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや、

答えて云く汝が不審最も其の謂有るか但し一方を知りて一方を知らざるか、善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、

法華宗の心は一念三千性悪性善妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり瓦石草木の並び滋がごとし善鬼は天下に少し聖賢まれなる故なり、此の疫病は念仏者真言師禅宗律僧等よりも日蓮が方にこそ多くやみ死ぬべきにて候か、いかにとして候やらん彼等よりもすくなくやみすくなく死に候は不思議にをぼへ候、人のすくなき故か又御信心の強盛なるか。

 問うて云く日本国に此の疫病先代に有りや、答えて云く日本国は神武天皇よりは十代にあたらせ給いし崇神天皇の御代に疫病起りて日本国やみ死ぬる事半にすぐ、王始めて天照太神等の神を国国に崇しかば疫病やみぬ故に崇神天皇と申す、

此れは仏法のいまだわたらざりし時の事なり、人王第三十代並びに一二の三代の国主並びに臣下等疱瘡と疫病に御崩去等なりき、其の時は神にいのれども叶わざりき、去ぬる人王三十代欽明天皇の御宇に百済国より経論僧等をわたすのみならず金銅の教主釈尊を渡し奉る、

蘇我の宿禰等崇むべしと申す物部の大連等の諸臣並びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず若し崇むるならば必ず我が国の神瞋りをなして国やぶれなんと申す、王は両方弁まえがたくをはせしに三災七難先代に超えて起り万民皆疫死す、

大連等便りを得て奏問せしかば僧尼等をはじに及ぼすのみならず金銅の釈迦仏をすみををこして焼き奉る寺又同じ、爾の時に大連やみ死ぬ王も隠れさせ給い仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ、大連が子守屋の大臣云く此の仏をあがむる故に三代の国主すでにやみかくれさせ給う我が父もやみ死ぬ、まさに知るべし仏をあがむる聖徳太子馬子等はをやのかたき公の御かたきなりと申せしかば穴部の王子宅部の王子等並びに諸臣已下数千人一同によりきして仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ結句は守屋討たれ了んぬ、

仏法渡りて三十五年が間年年に三災七難疫病起りしが守屋馬子に討たるるのみならず神もすでに仏にまけしかば災難忽に止み了んぬ、

其の後の代代の三災七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり、而れども或は一人二人或は一国二国或は一類二類或は一処二処の事なれば神のたたりも有り謗法の故もあり民のなげきよりも起る。

 而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑えず日本一同に日蓮をあだみて国国郡郡郷郷村村人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり、神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、

但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし、止観の十境十乗の観法は天台大師説き給いて後行ずる人無し、妙楽伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわきゆへにさてすぎぬ、止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず今日蓮が時具さに起れり、又天台伝教等の時の三障四魔よりもいまひとしをまさりたり。

一念三千の観法に二つあり一には理二には事なり天台伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候、恐恐謹言。

 六月二十六日             日蓮花押 

”富木殿御書 (止暇断眠御書) 

建治元年 五十四歳御作       与富木常忍

 妙法蓮華経の第二に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗し経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん其人命終して阿鼻獄に入らん乃至是の如く展転して無数劫に至らん」第七に云く「千劫阿鼻獄に於てす」第三に云く「三千塵点」第六に云く「五百塵点劫」等云云、涅槃経に云く「悪象の為に殺されては三悪に至らず悪友の為に殺されては必ず三悪に至る」等云云、賢慧菩薩の法性論に云く「愚にして正法を信ぜず邪見及び矯慢なるは過去の謗法の障りなり不了義に執着して供養恭敬に著し唯邪法を見て善知識に遠離して謗法者の小乗の法に楽著する是の如き等の衆生に親近して大乗を信ぜず故に諸仏の法を謗ず、智者は怨家蛇火毒因陀羅霹靂刀杖諸の悪獣虎狼師子等を畏るべからず、彼は但能く命を断じて人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむること能わず、畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識となり決定して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ、悪知識に近づきて悪心にして仏の血を出だし及び父母を殺害し諸の聖人の命を断じ和合僧を破壊し及び諸の善根を断ずると雖も念を正法に繋ぐるを以て能く彼の処を解脱せん、若し復余人有つて甚深の法を誹謗せば彼の人無量劫にも解脱を得べからず、若し人衆生をして是の如きの法を覚信せしめば彼は是我が父母亦是れ善知識なり、彼の人は是智者なり如来の滅後に邪見顛倒を廻して正道に入らしむるを以ての故に三宝清浄の信菩提功徳の業なり」等云云、竜樹菩薩の菩提資糧論に云く「五無間の業を説きたもう乃至若し未解の深法に於て執着を起せるは○彼の前の五無間等の罪聚に之を比するに百分にしても及ばず」云云。

 夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く大火は小水を畏怖し大樹は小鳥に値いて枝を折らる智人は恐怖すべし大乗を謗ずる故に、天親菩薩は舌を切らんと云い馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願い吉蔵大師は身を肉橋と為し玄奘三蔵は此れを霊地に占い不空三蔵は疑いを天竺に決し伝教大師は此れを異域に求む皆上に挙ぐる所は経論を守護する故か。

 今日本国の八宗並びに浄土禅宗等の四衆上主上上皇より下臣下万民に至るまで皆一人も無く弘法慈覚智証の三大師の末孫檀越なり、円仁慈覚大師云く「故に彼と異り」円珍智証大師云く「華厳法華を大日経に望むれば戯論と為す」空海弘法大師云く「後に望むれば戯論と為す」等と云云、此の三大師の意は法華経は已今当の諸経の中の第一なり然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法なり等云云、此の義心有らん人信を取る可きや不や。

今日本国の諸人悪象悪馬悪牛悪狗毒蛇悪刺懸岸険崖暴水悪人悪国悪城悪舎悪妻悪子悪所従等よりも此に超過し以て恐怖すべきこと百千万億倍なれば持戒邪見の高僧等なり、問うて云く上に挙げる所の三大師を謗法と疑うか叡山第二の円澄寂光大師別当光定大師安慧大楽大師慧亮和尚安然和上浄観僧都檀那僧正慧心先徳此等の数百人、弘法の御弟子実慧真済真雅等の数百人並びに八宗十宗等の大師先徳日と日と月と月と星と星と並びに出でたるが如し、既に四百余年を経歴するに此等の人人一人として此の義を疑わず汝何なる智を以て之を難ずるや云云。

 此等の意を以て之を案ずる我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ、恐恐謹言。

八月二十三日      日  蓮 花 押   富 木 殿

鵞目一結給び候畢んぬ、志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞有るべきか。 ”

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