デジタル時代の著作権問題
デジタル時代だからこそクローズアップされる著作権問題
世の中がデジタルになってもっとも大きく変わったのは複製が簡単になったということでしょう。今まで、複製物を作るというのは手間もコストもそれなりにかかるものでした。
印刷物の複製という具体的な例で考えてみましょう。これまでは、印刷物を複製するにはコピー機を使って同じように紙の本(綴じるかどうかは別にして)を作る必要がありました。物理的なコピーには結構なコストが掛かるので、一冊丸ごと複製すると結果として本を買うよりも高くつく、というのが印刷物の不正な複製に対する抑止力にもなっていたわけです。
今まで、「物体」とそれがもたらす「機能」は不可分の関係にありました。たとえば、ある機能を持つ製品があるとして、その機能を使いたい場合は物質的に同じものを作るしかないというのがアナログ時代の常識でした。
ところが、デジタルでは、機能(内容)と物質(入れ物)を分けることが可能です。入れ物を複製するのはコストや手間が掛かることですが、電子的なデータでできた内容だけならいくらでも複製できるのです。
デジタルカメラが普及した21世紀初頭、「デジタル万引き」という言葉が話題になりました。デジタル万引きとは、書店で読みたい本の読みたい部分をデジタルカメラやカメラ付き携帯電話などで撮影し、本は買わずにすますという行為のことです。従来の万引きは、本を物質的に盗みますが、デジタル万引きでは物質的な窃盗行為は行われません。しかし、買わないのに内容がそのまま店外に持ち出され、売り上げの減少にも直結するという点では万引きと同じだ、というわけです。
ただし、デジカメで出版物を撮影するという行為が窃盗に当たると考えるのはいくらなんでも飛躍しすぎです。個人的に使うだけであれば立ち読みの延長線上にある行為とも考えられますし、これをもってただちに犯罪とするのは難しいようです。とはいえ、デジタル化が進んで複製が簡単かつコストなしにできるようになったことが“デジタル万引き”の最大の要因というのは否定の余地がありません。
インターネットの世界に目を向けると問題はさらに深刻です。これまで本やレコードなどの物体内に固定化されていた内容(コンテンツ)が、デジタル化されることで、コンテンツだけで一人歩きするようになりました。デジタル化はインターネット配信などサービスの多様化をもたらしましたが、それによって、テキスト、画像、映像、音楽などあらゆるコンテンツが無断でコピーされ、インターネットを介して世界中に流通してしまうようになっています。
たとえばあるWebサイトに書いてあった内容をそのまま自分の文章として使ったり、あるいはWebからダウンロードしたイラストや画像を使って印刷物を作るなど、著作権侵害になりかねない行為が、その是非をきちんと確認されずに気軽に行われているのが現状です。
こういった事態を受けて、コンテンツを提供する側からは著作権の強化を求める声も出ています。今後、著作権の問題は社会的にもいっそう重要になってくるでしょう。コンテンツに関わる出版・印刷業界としても、この問題についてきちんとした理解と対応が必要になってくるはずです。
著作権とは
著作権についてきちんと解説するとなると膨大な量になり、とてもこのスペースでは対処できません。とりあえず、私たちが知っておくべき基本的な点を簡単に説明し、続いて現在問題になっている点、われわれが注意するべき点について解説します。
まず、「著作権」とは何かということを考えてみましょう。わが国の著作権法によると、著作権とは、著作者が著作物の複製、上演および演奏、上映、公衆送信、口述、展示、頒布、譲渡、貸与、翻訳・翻案を行う権利、および二次的著作物を二次的著作物の著作者と同じく利用する権利を意味します。ただし、著作権法では、狭義の著作権のほかに、「著作者人格権」と「著作隣接権」(演奏者や俳優などの実演家、レコード製作者、放送事業者などの権利)を規定しており、これらを総称して「著作権」と呼ぶこともあります。
「著作者人格権」というのは、著作者が持つ、著作物の公表権(未公表の作品を公表する権利)、氏名表示権(著作者名を表示する、または表示しないこととする権利)、同一性保持権(著作物および題号が勝手に改変されないよう保護される権利)のことです。
著作者人格権は、著作者だけの固有の権利であり、他人に譲ることはできません。たとえば、ある作者が作った小説を他人が自分の作品として公表することはできないわけです。しかもこの権利に有効期限はなく、死後権利が消滅してしまうこともありません。
一方、著作権は財産権で期限があり、その全部または一部を他人に譲渡することも可能です。ある小説の著作権すべてを他人に譲渡した場合、譲渡された人間は作品の複製(印刷)や頒布(販売)を自由に行えることになります。ただし、その場合も、著作者人格権は守られなければならないので、著作者の名前を勝手に変えたり、内容を勝手に変更してはいけません。
なお、著作権と、著作者人格権に含まれる公表権が対立する場合(たとえば著作権を出版社に譲渡したものの公表は拒否するというケース)は、著作権を譲渡したことで公表に同意したとみなされます。
著作権を持つ著作権者は、著作物の利用を他人に許諾することができます。著作権者が承諾すれば、利用する権利をさらに他の人に譲ることも可能です。
著作権に含まれる複製権をもつ者は、出版しようとする人間(出版権者)に出版権を設定することができます。別に定めがない限り、出版権者は、原稿を渡された日から六ヶ月以内に出版する義務があります。なお、出版権者は著作物の複製権を他人に許諾することはできませんが、複製権者の承諾によって出版権を譲渡することは可能です。
著作権の制約
情報のデジタル化が進み、インターネットが普及したことで、著作物の違法コピーや無許可配布が簡単にできるようになりました。これに対し、著作者の側では効果的な手段がなかなか見出せないというのが現状です。
ところで、著作者に無断で著作物を利用すれば全て著作権侵害になるのかというと、そうではありません。著作権法には、条件によって著作権が制限される条項も定められています。
現行の著作権法によると、著作権が制限され(つまり著作者が許可しなくても)、利用者が自由に使えるのは以下の場合です(第二章第三節第五款 著作権の制限)。
・私的使用のための複製
・付随対象著作物の利用
・検討の過程における利用
・著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用
・図書館等における複製等
・引用
・教科用図書等への掲載
・教科用図書代替教材への掲載等
・教科用拡大図書等の作成のための複製等
・学校教育番組の放送等
・学校その他の教育機関における複製等
・試験問題としての複製等
・視覚障害者等のための複製等
・聴覚障害者等のための複製等
・営利を目的としない上演等
・時事問題に関する論説の転載等
・政治上の演説等の利用
・時事の事件の報道のための利用
・裁判手続等における複製
・行政機関情報公開法等による開示のための利用
・公文書管理法等による保存等のための利用
・国立国会図書館法によるインターネット資料及びオンライン資料の収集のための複製
・放送事業者等による一時的固定
・美術の著作物等の原作品の所有者による展示
・公開の美術の著作物等の利用
・美術の著作物等の展示に伴う複製等
・美術の著作物等の譲渡等の申出に伴う複製等
・プログラムの著作物の複製物の所有者による複製等
・電子計算機における著作物の利用に付随する利用等
・電子計算機による情報処理及びその結果の提供に付随する軽微利用等
・翻訳、翻案等による利用
これだけだと分かりにくいでしょうし、また、上記のケースであれば完全に自由に使えるわけではなく、例外などもあるので、正確に知りたい人は元の条文をお読みください。
※電子政府サイトの法令データ提供システムより
『著作権法』https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048
もっとも、元の条文を読むまでもなく、上記を眺めるだけでも、個人的な使用および教育目的や公的議論での使用など社会的に意義がある場合に、著作権がかなり制限されているということは分かるのではないでしょうか。
ただし、いくら社会的に意義があるといっても、教科書に採用されて大勢の子供たちが読んでいるにもかかわらずお金がたいして入ってこない(400字詰原稿用紙10枚以下の作品が発行部数10万部以上15万部未満の小学校教科書に掲載された場合の補償金額は令和3年度で42,900円)とか、せっかく苦労して執筆した本が図書館で読まれ、コピーされるだけで買ってもらえない、となると、著作者の保護を目的とした著作権法の精神にもとるのではないかと考える人もいます。そのため、著作権者の権利を守る立場から著作権の制限の是非を論ずる声もあるのです。
なお、最近インターネットの世界でフェアユースという概念が主張されることがあります。フェアユースとは、アメリカの著作権法において、著作権者の許諾なしにできる公正な利用を指したもので、著作物の内容や使用量、営利的な利用か非営利か、などを総合的に判断するため、著作権の侵害に当たるかどうかが分かりにくく、フェアユースを巡る裁判もたびたび起こされています。ただし、日本の現行の法律ではフェアユースは認められていません。
著作権侵害をどう防ぐか
もっとも問題なのは、デジタル時代になって明らかな著作権侵害が広く蔓延していることでしょう。特にインターネット経由での複製物の流通は重大な問題です。インターネットでの著作権侵害というと、音楽や動画などの違法配信を思い浮かべるかもしれませんが、印刷物やネット上で他人が公表した文章などを勝手に公開するというのも著作権の侵害になります。
もしかしたら、自分のサイトに掲載するだけで金を取らなければ、上記の「私的使用のための複製」にあたるから著作権侵害ではないと考えている人がいるかもしれません。ところが、著作権法の条文には私的使用の例外として「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いて複製する場合」が挙げられています。つまり、インターネットにつながっているサーバにデータをおいて公開配信できるようにした時点で法律に反する可能性があるわけです。
画像や音楽では、著作権侵害から守るために暗号化や電子透かしなどの技術が開発されてきています。テキストもPDF化すればコピー防止の設定を施すことも可能ですが、単なるテキストデータのままだと技術的に保護するのは難しいのも確かです。
とは言え、インターネットを常時監視して著作権を侵害したユーザーを摘発するなどというのも、ネット上の膨大な情報量を考えると実際にはなかなか難しいものがあります。結局はユーザーの自覚にゆだねるしかないのかもしれません。
著作権保護期間
最近、著作権にかかわる問題として大きくクローズアップされたのが著作権の保護期間をどれくらいにするのかというテーマです。
著作権法では、著作権は著作者が死んでも一定の期間は消滅しないことになっています。著作権が保護される期間は、日本ではこれまで、著作者の死後50年間、著作者が団体の場合は公表したときから50年間とされていました。
50年というのは、著作権についての国際条約であるベルヌ条約(1971年パリ改正版)に基づいたものです。要するに、著作者から一世代か二世代までは著作権の恩恵に与れるようにとの配慮なのでしょうが、寿命の伸びなどその後の情勢をかんがみ、保護期間をさらに延長している国は少なくありません。
その代表が米国です。米国では、独立当初14年だった著作権の保護期間がたびたび延長されてきました。1976年に個人の著作物で死後50年、企業の場合は75年となり、1998年にはさらに20年延長し、個人で死後70年、法人で公表後95年になりました。
1998年の改正にあたっては、映画初公開が1928年で、著作権消滅の期限が迫っていたミッキーマウスの著作権を守るために、ディズニー社が積極的なロビー活動をしたともいわれており、この法律に批判的な人たちからは「ミッキーマウス保護法」などとささやかれました。
なお、世界中で公開・販売されているディズニーなどの作品を保護するには、自国だけの法律では間に合いません。ところが、国際的な著作権保護の条約であるベルヌ条約では死後50年守られるだけなのです。そこでアメリカは、各国にも自国にあわせて著作権保護期間を延長するよう圧力を加えてきました。
たとえばアメリカからの日本に対する要求を記述した年次改革要望書には、著作権保護期間延長の要望が繰り返し書かれていました。これを受けて、日本政府は著作権保護期間の延長を検討(映画に関しては2003年に公表後70年と変更された。これは黒澤映画などの著作権消滅の阻止もにらんでのこととされている)、おりしも交渉が続けられていたTPP協定においてもアメリカが強く主張していましたが、当のアメリカがトランプ政権の成立でTPP協定から離脱します。にもかかわらず、EUとのEPA経済連携協定で保護期間の延長を受け入れ、日本はアメリカ抜きのTPP11(CPTPP)協定の2018年の発効に合わせて著作権法の改正に踏み切りました。現在、日本の著作権は著作者の死後70年(無名または変名の著作物は公表後70年、団体の場合は公表後70年)までが保護期間となっています。
著作権保護と文化
著作権法第一条には「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」と記されています。つまり、著作権者の権利の保護とともに文化の発展に寄与することが目的の法律なのです。著作権の保護期間を考える場合、この点が大きな焦点になります。
著作権者の中には、保護期間を長くすることで創作のモチベーションが向上すると主張する人もいます。しかし、死後70年となると、自分の子供すら亡くなっているケースがほとんどであり、一般的に言えば生前に存在していなかった子孫に権利を付与することになるわけで、それが創作者のモチベーションにつながると考えるのはかなり無理があります。ちなみに、著作者人格権のほうはもともと無期限であり、著作物が利用される限り著作者の名前は永遠に残ります。ここで問題になっているのは財産権、つまりお金がからむ狭義の著作権です。
法人著作権者の場合も、公表後数十年も経過した著作物がそれほど大きな利益を生むとは考え難く(もちろんミッキーマウスのような例外はある)、創作行為を後押しするほどの効果があるとは言えないでしょう。米国の著作権延長法がミッキーマウス法と揶揄されたのは、そういった特定の作品・会社にしかメリットがないということを示しているとも言えます。
むしろ問題なのは、著作権を長く保護することで、それが自由に利用できなくなり、それによって文化的な損失が生じることです。そもそも、創作物といっても既存の作品に影響を受けずに成立したものはほとんどなく、たいていは何らかの影響の下に作られたのです。先行作品を元に新しい作品を作るというのはこれまでごく普通にあったわけで、既存の作品の著作権をあまりに保護すると新たな作品を生むエネルギーを殺ぐことにもつながる―これが保護期間延長反対の人たちの主張です。
保護期間が長くなると、相続によって権利者が多数になり、所在不明者も出てきます。著作権者への接触が困難になることで、結果として著作物の活用が阻害される、という事態は死後50年の保護期間だったこれまでもすでに現実のものになっています。
考えてみれば、70年以上前に死んだ作者の作品、あるいは70年以上前に公開された作品など、移り変わりの早い現代ではもはや古典に近い作品というイメージがあります。すでに社会の文化的バックボーンになっている作品と、創作時点のモチベーションや創作者の権利を同列に論ずることに無理があるのかもしれません。
創作する人の権利を守ることで、創作活動を支え、文化の発展に寄与するのが著作権の本来の目的です。しかし、あまりに著作者本人とかけ離れた形での保護は、かえって文化における創造性を阻害する要因になってしまうようにも思われますがどうでしょうか。
(田村 2007.4.9初出)
(田村 2023.1.11更新)
※この記事はインフォルムホームページ内「技術情報」で公開している記事です。他の技術情報などもぜひご覧下さい。
InDesign(インデザイン)専門の質の高いDTP制作会社―株式会社インフォルム (informe.co.jp)