見出し画像

日本人が欠けている知恵をユダヤ人のWisdomから学べ!(その6)

その5~の続き
⬇ ⬇ ⬇

6つめは、「倫理を学ぶ」ことの重要さです。
ユダヤ人は過去2000年にわたって民族離散の憂き目に遭い、塗炭の
苦しみを味わってきました。そうした不幸を重ねながらも生き残って
きた精神的支柱がヘブライ聖書(トーラー)による倫理教育なのです。

ユダヤにこの倫理教育がなかったら、とっくの昔に滅びていたで
しょう。それも代々、伝承する仕組みをシナゴーグで築いてきました。

ユダヤの倫理は、日本における戦前の修身や戦後の道徳教育とは
全く違います。一言で言うと「実践的な生活の知恵(ウィズダム)」
そのものです。

ユダヤ人にとっては、ヘブライ聖書(トーラー)の律法に従うこと
つまり、ユダヤ教の原典を常に勉強することが、「倫理を学ぶ」ことで、
すなわち一神教の宗教なのです。

日本における無宗教、多神教的な考えの民族は世界的に見ると極めて
マイノリティであるという自覚を持つべきでしょう。

宗教観の根源には、神が与えた試練であれば、それを何としても
乗り越えなければいけないという強い意志があります。

そこから、ユダヤ人は科学技術を発展させてきたと言えます。
たとえば、科学や医療が発達すると命の選別や命の操作につながり
かねない問題が生まれてきます。昔は想定もしていなかった事態に
社会のルールや法律が追いついていけない状況が生まれてきます。

こうした問題に足しても、日々、ラビ(宗教的指導者)たちが
どう対処すべきかという根源的な問題の指針を議論しながら
倫理観を構築しています。

そして、これが非常に重要なことなのですが、「実践しない倫理は
倫理ではない」ということが徹底されています。

たとえば、ツェダカと呼ばれる寄付の習慣です。ユダヤ人は貧しい
人たちを救うために収入の1割を寄付しなければいけないという掟が
あります。

金銭的な寄付がむずかしい場合は、ボランティア活動などの労働で
施すツェダカもあります。

そして、ツェダカは、決してチャリティではないということ。生活の
一部でヘブライ聖書に書かれている義務という位置づけになっている
点が、一般の寄付とはまったく違う点です。

日本では。多神教社会のため、このような寄付を義務にする倫理観は
ありません。

ツェダカを表わした典型的な絵画があります。日本でも有名なミレーの
「落ち穂拾い」です。これは貧しい人のために農場主が落ち穂を残して
おくツェダカを描いたものです。

施す人がいる社会は、社会還元や相互扶助という点で倫理があると
徹底的に教えられているからできる行為なのです。

日本で寄付行為が育たない理由がこんなところにあったのか?と
痛感させられました。

その6最終回へ続く

最初から読みたいあなたへ
⬇ ⬇ ⬇


いいなと思ったら応援しよう!