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自殺幇助の全面禁止は日本においても憲法違反である可能性
「自殺幇助の全面禁止は日本においても憲法違反である可能性がある」と言われても、 それを直ちに信じる人はいないでしょう。 「スイスやオランダならともかく日本で憲法違反になるはずがない」と多くの人がそのように考えると思われます。 しかしながら、日本の法学者の中には憲法違反の可能性を指摘する人が実際にいるのです。 これについては後述します。
実は、自殺幇助の全面禁止は憲法違反であると判決が下され、それが契機となり安楽死法が成立した国が実際に存在しています。 2015年、カナダにおいて最高裁で憲法違反と判示されました。 書籍(安楽死・尊厳死の現在-最終段階の医療と自己決定)より引用してみます。
訴訟を起こしたのは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者グロリア・テイラーさんと脊椎管狭窄症と診断されたキャスリン・カーターさんの家族、それにブリティッシュ・コロンビア市民自由協会である。
2015年2月6日、この訴えに対してカナダ最高裁判所は、原告らの主張を認め、刑法の自殺幇助および同意殺人の全面禁止の規定は憲法違反であると判示した。[p.81]
…中略…
カナダ最高裁判所はこのような論理で刑法の自殺幇助・同意殺人の全面禁止規定を違憲とする判断を示したうえで、連邦議会に対して刑法を1年以内に改正するように求めた。[p.82]
この判例を受けて、2016年に刑法が改正されて、 医師による自殺幇助および積極的安楽死が合法化されました。 なお、 ドイツやオーストリア においても同様に憲法違反の判決がくだされています。
朝日新聞の特集記事 でカナダの安楽死制度は次のように紹介されています。
有権者の投票や政府の発案でできた制度ではなく、最高裁判所が憲法に基づいて判断したことから生まれた制度です。患者がすべての中心にあり、患者の権利として制度設計されています。これは他の地域と異なることです。
日本においても、自殺幇助の刑法による全面禁止は憲法違反であると裁判で争えば、安楽死制度が生まれる契機となる可能性があるのです。
前述の書籍 では、この思想的背景として、ヒュームの自殺論、ジョン・スチュアート・ミルの愚行権、 ドウォーキンの自己決定論を挙げています。詳細については書籍を読んでください。
法学者である福田雅章氏の見解も紹介されています。
それゆえ、自殺幇助や嘱託殺人に対して刑罰を科している刑法202条は、国家によるパターナリスティックな、つまり保護・支配の立場から弱い立場にある者への干渉だと批判する。むしろ、国家は「本人自身の利益のために干渉を排除しなければならず、本人は自らの選ぶところに従っていかに生き続けるか(その反射としての死)を決定する自由が保障されるに至る」としている。[p.214]
...中略...
その自己決定権の日本における法的根拠を日本国憲法の「個人の尊厳」に求め、さらにその思想的根拠をジョン・スチュアート・ミルの自由論に求めている。[p.215]
パターナリズムに言及している点が興味深いです。詳細については書籍を読んでください。
以前の論考 でも紹介しましたが、世論調査では安楽死に賛成する割合は高いのです。 一方、国会議員や有識者は安楽死の法制化には及び腰です。 したがって、法制化の議論が始まる雰囲気はあまりありません。
もし日本の国会において安楽死の法制化の議論が始まるとすれば、 自殺幇助の刑法による全面禁止の憲法違反を問う裁判が契機になる可能性は十分にあるのではないかと私は思います。
ALS女性嘱託殺人の裁判(2024年) では、憲法違反についても争われていました。 この事件は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で苦しむ女性の依頼を受けて、 日本において医師が自殺幇助した事件です。 裁判では自殺幇助ではなく嘱託殺人という用語が使用されました。
大久保被告側は「処罰することは、林さんの選択や決定を否定し、自己決定権を定めた憲法に違反する」として、無罪を主張していました。
5日の判決で京都地方裁判所の川上宏裁判長は「自己決定権は、個人が生存していることが前提であり、恐怖や苦痛に直面していても、みずからの命を絶つために他者の援助を求める権利などが導き出されるものではない」と述べ、被告側の主張を退けました。
この刑事裁判では合憲と判示されました。ただし、被告の嘱託殺人のプロセスの方が重要な争点でした。 この裁判では、罪に問うべきではない4つの要件も示されました(1.症状と他の手段、2.意思の確認、3.苦痛の少ない方法、4.過程の記録、詳細は記事を参照)。 つまり、被告は嘱託殺人を実行するにあたり4つの要件を満たしていないため有罪となったのです。 なお、過去の裁判、たとえば 東海大付属病院事件の裁判(1995年) でも満たすべき4要件が示されましたが、 その内容は少し異なります。
もし、スイスのライフサークルのような民間団体を日本で作り、4つの要件を満たした上で自殺幇助を実施すれば日本においても罪に問われない可能性があります。 しかし、それを日本で実行することは、かなりのリスクを伴います。 4つの要件を満たしたつもりでも、判事がそれを認めなければ有罪となってしまうからです。
日本で裁判をするのであれば、カナダ方式の方が安全です。 ALSなどの難病に罹患して苦しんでいる人たちが集団訴訟をおこせばよいのです。 「自殺幇助に対して刑罰を科している刑法202条は、どのように生きるか死ぬかを自ら選択して幸福を追求する権利(自己決定権)を侵害しているため、憲法違反(第13条)である。」とする公共訴訟(あるいは憲法訴訟、行政訴訟)です。
過去の日本での安楽死に関しての裁判は刑事訴訟ばかりです。 そのため、公共訴訟を試してみる価値は十分にあります。 何故ならば、刑事訴訟と民事訴訟では相反する判例が下されることが有るように、 公共訴訟でも相反する判例が下されることが有り得るからです。 つまり、刑事訴訟では合憲でも、公共訴訟では違憲となる可能性があるわけです。 弁護士費用はクラウドファンディングを使用すれば調達可能です。 ただし、難しい裁判となることが予想されるため、福田雅章氏のような法学者を弁護団に加え、 理論武装しておく必要があります。
【補足】
ALS女性嘱託殺人事件は懲役18年の刑となりましたが、 嘱託殺人で懲役18年となったわけではありません。 この裁判では、 殺人(2011年)、嘱託殺人(2019年)、公文書偽造 の3つの事件が裁かれました。 内訳は明示されていませんが、殺人の罪で懲役15年くらい、嘱託殺人で懲役3年くらいと推定されています。