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福島心平さん巡り その1

前回はTwitterも含めたくさんの御反応をいただき、誠にありがとうございます。

天山文庫管理人さま、記念文学館ご関係者さま方、また恐れ多くも心平さんご親族さまからも嬉しいお言葉を頂戴いたしまして、当方としましても正に感無量です。
とはいえ、このような活動は一度きりで終わってしまってはあまり意味がないので、引き続き!自分なりに取り組んでまいりたいと思います。

しゅしゅ

「草野心平拾遺集 台湾海峡・動乱」は、現在
・天山文庫
・国立国会図書館
にてお読みいただけます。

天山文庫は現地のみですが、国会図書館の方は東京本館・大阪分館以外でも、提携図書館であれば館内閲覧用として取り寄せが可能なようです。詳しくはこちらをご参照ください。


さて、今回はそんな先日の、発行及び寄贈に際して巡ってきました、福島県内の心平さん関連スポットのご紹介です。
巡ってきたといっても、私自身は同行者の運転と案内に身を任せていただけですが…。やはり現地の地理と交通事情に通じている人がいると、頼もしいものです。
県内といえどもそれぞれ距離がありますので、なかなか車でないと立ち寄りにくい場所もありますが、お近くにご旅行の際は是非。

①三春 瀧桜の詩碑

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https://goo.gl/maps/Jv1FG2Mw7sfKthH3A (Google mapのページです)

三春の滝桜、というと福島県内でも有数の桜の絶景スポットだそうです(疎いもので存じ上げずにすみません)。
Google map内のストリートビューが、ちょうど綺麗に咲いている頃の景色になっております(2021年11月現在)のでぜひ。

窪地のようになった斜面の中央にある、小さな社が添えられた大きなしだれ桜…がよく見下ろせる、斜面の頂点あたりが、この瀧桜の詩碑のある場所です。
建立は1977年4月10日。心平さんの碑としては、1956年の6月に除幕された平伏沼の歌碑が先ですが、詩碑としては一番最初に建ったものなのだそうです。

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碑陰の文字は、経年で下の方が埋まってしまっていました。
落ち葉は掻き分けてみたのですが、だいぶ土が堆積してきているようで、見えにくいですが右下の「草野心平」の下にさらに「先生」と続いています。
おそらく桜の葉が主な要因とは思いますが、このペースで堆積していたらそのうち名前も埋まってしまうんじゃないかしら…。とはいえ、心平さんはそっちの方がお好みかもしれませんね。

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文字は心平さんご自身の揮毫。少し読みやすく加工してみましたが、いかがでしょうか。
(この詩自体は詩集『全天』および『草野心平全集 第四巻』に収載されています)


②天山文庫

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ここまで何度も名前を出しておいて今更という気もしますが。
詳細は川内村公式HPをご覧いただくとしまして、ここではちょっとした細かいことのご紹介をば。

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こちら、草野心平資料館から天山文庫への登り口すぐにあります「下馬」の石。
文字でピンときた方もいるかと思いますが、こちらも心平さんの揮毫

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見えにくいですが、横手に回るとちゃんと碑陰(?)があります。笑

また、こちらの酒樽でできた書庫。

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天候の悪い日には扉が閉められておりまして、その様子がこちら。

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右側はもう九割方消えてしまっていますが、左側の扉はかろうじて「第弐書庫」の文字が見えるかと思います。
消え具合からいってももうあと数年見られるかどうか…といったところですね。閉まっていたのは6月にお邪魔した際のことですが、折よく(悪しくもありましたが)ひどい雨風でよかったです。

内部に入りまして、台所にあります冷蔵庫。

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6月以降に現地へ行かれた方は管理人さんから案内があったかもしれませんが、こちらは、高村光太郎氏が亡くなった際に、アトリエにあったものを心平さんが形見分けで貰ってきたものです。(そもそもが心平さんが光太郎さんを心配して見繕ったもの、という由緒ですが)

司会 高村光太郎さんの形見の冷蔵庫はどうなさいました?
草野 あれは天山文庫にあれした。…(後略)…

1979年2月20日に調布市で行われた座談会の筆録より。(1992/調布市立図書館)

この一文を目にしておりましたもので、6月に伺った際に「これがその冷蔵庫ですか?」と管理人さんに訊ねたところ、その場では「おそらくそうですね」というご返答をいただいておりました。
なんとその後、管理人さんの方でお調べくださったそうで、

・型的に60年ほど前に流通していた製品
・冷蔵庫は心平さんが自分で天山文庫へ持ち込んだもの

との追加情報があり、このことからも光太郎さんの形見の冷蔵庫そのもので間違いないだろう、と今回お話くださいました。(ありがとうございます!)
心平さんご自身の発言から半ば間違いないだろうとは思っていましたが、こうしてきちんと裏まで取れるのは現地ならではですね。本当にありがたいことです。


③長福寺

天山文庫ほど近くの、川内村のお寺、長福寺。

心平さんが川内村へ訪れるきっかけになった招聘の手紙、を出したのが、こちらのお寺の故・矢内俊晃住職でした。

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心平さんを鎹として、山本太郎氏や鳥見迅彦氏などなどの詩人の方ともつながりがあり、境内を登っていくと、それぞれの字が刻まれた大きな石碑があります。
中央の一際主張の強い文字が心平さんです。笑

お寺の建物の前にあるこちらの観音様にも、心平さんとの縁が。

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経年劣化でかなり見えにくくなってしまっていますが、よ~く見てみると「命右(?) 草野心平氏」の文字があります。"右"の文字はもしかすると"名"かもしれません。
『月輪観音』という名前が記されていますが、こちらが心平さんの名付けなのでしょうか。
いずれ機会があれば、縁起などをお聞きしてみたいものです。

また、詩誌『歴程』にてイラストカットなどを多く提出し、【酒場『学校』】の設計を手掛け、陽に陰に心平さんとの密接な交流があった辻まこと氏の墓があるのもこちらの長福寺。墓石には心平さんの字で、辻氏の句が刻まれています。
川内村の滞在時、心平さんはたびたびこちらへお参りに訪れたそうです。折角なのでと思い、当方もご挨拶をしてまいりました。お線香もなく申し訳なかったですが…。

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ちなみに、この門の横にある年代物の自転車は、矢内住職が愛用していたものをそのまま残してあるのだそう。野晒しなので今にも崩れそうですが、当時を偲ぶ一助としてご覧ください。



ということで、長くなってしまいましたので一旦このあたりで。
次回はいわき市、生家と記念文学館さんをご紹介したいと思います!


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