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形式的に処す

ジャニーズ事務所に対して性加害の再発防止策を求める意味がよくわからない。ジャニーさんはすでに亡くなっている。第二のジャニーさんが現れても大丈夫な組織であれということなのだろうか。

だとしたら、それはすべての組織が考えなければならないことのように思える。他の組織で性加害の隠蔽が起きていない最大の理由は性加害そのものがないからだ。もし偉い人が性加害を起こしても、自分の所属する組織は十分な透明性があるから隠蔽は起きないと考えるのは楽観的すぎる。

この失敗事例を社会全体の教訓として生かしていこうという話ならわかる。

まずは隠蔽の事実があった組織に具体的な再発防止策を考えてもらい、そこから学べるところがあれば学び、自分たちにも改善できるところがあれば改善する。第二、第三のジャニーさんがいつどこに現れても被害が拡大しないように。

しかし、残念ながらそういう態度には見えない。どんなに好意的な目で見ても、ただ糾弾したいだけの醜い正義感に見える。

教師が問題を起こした生徒に反省文を書かせるように、形式的な罰を与えようとしている。罰を与えて満足し、罰を受けてやり過ごす。それが何か世の中のためになるとは思えないのだ。