勝利の栄光は誰の手に
賞レースなどでよく耳にするフレーズである。
栄光を辞書で引いてみた。
久しぶりに聞いたよ、ほまれ。
つまり勝利にはもれなく栄光がついてくる。とくに賞品が設定されていない場合でも勝てば名誉だけは得られるということだ。闘争本能がなくても、モテに興味がなくても、名誉欲があれば勝利へのモチベーションになる。
イラナイ。名誉べつに欲しくない。
名誉欲は承認欲求とほぼ同じものだと思う。しかし、言葉の持つ印象はかなり違う。承認欲求が心理学の用語なのに対して、名誉欲は煩悩の一種である。仏教徒でなくとも煩悩と聞けば警戒が必要なものだとわかる。
まあ、警戒しようにも僕は端から持ち合わせていないのだが、だからこそ煩悩に突き動かされて勝利を求める人がいることは心に留めておきたい。
僕が何らかの勝利によって欲しくもない栄光を手にするとき、それを欲していた誰かの名誉欲は妨げられることになる。互いにベストを尽くした結果だと割り切れればいいが、煩悩だとそう簡単ではないだろう。
さらにこの国には何かを得た人は多少痛めつけても良いという理不尽な風潮がある。名誉を獲得して有頂天なあいつをちょっと小突いてやろうとターゲットにされるのは僕にとって不利益しかない。
栄光は必ずしも幸いを表す光ではないのだ。