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あやまれ

特定の例を挙げるまでもなく、ネットを見ているといつも誰かが誰かに怒っている。大抵そんなに怒るほどのことかなとは思うが、価値観は人それぞれなので仕方がない。ただ、それにしても理解できないことがある。

謝罪を要求する人の気持ちがわからない。

不祥事を起こした会社の社長や、ファンを裏切ったアイドル、迷惑行為で炎上した動画配信者などが謝罪している光景をよく見る。謝るのはいいが、謝られる側がそれを求めている空気が気持ち悪い。

謝罪は許しを乞うためにするものだ。どうか許してくださいと怒らせた相手がそっぽを向いていても自分から視界に入って謝ることでようやく酌量の余地が生まれる。許しを望んでいなければ謝る必要はない。

あくまで主体は謝る側にあって、怒っている側にできるのは謝らせることではなく、法に訴えたり、不買運動などで相手との関係を断ち切ることしかない。そうした関係悪化を避けることが謝る側の動機にもなる。

謝罪を求めることは「許しを乞え」と言っているに等しい。あまりに傲慢だが、それは自分の許しなど望まれていないという卑屈さの裏返しなのかも知れない。

謝ることが目的になって、的はずれな謝罪が再炎上している人を見ると本当に気の毒に思う。