理系の発想
瞬間記憶能力ほど極端ではなくても、記憶力には個人差があるだろう。鮮明に覚えていること。たくさん覚えていること。長く覚えていること。いずれも数値化して他人と比較することはできないが、僕のスペックはおそらく平均よりいくらか低い。
そろばん等の鍛錬で伸びる余地はあっても高が知れている。筋力と一緒だ。ある程度は遺伝で決まっているのだから仕方がない。与えられた道具でやれることをやるだけである。
ハードウェアのスペック不足はソフトウェアで補うことになる。僕は根っからのプログラマーなので、そういうのは苦にならない。具体的には記憶するのではなく理解するのだ。記憶がハードウェアなら、理解はソフトウェアに該当する。
たとえばリンゴが地面に落ちるまでの瞬間を馬鹿正直に記憶しておく必要はない。「リンゴが落ちた」という理解さえあれば、映像は脳内でシミュレートできる。過去の経験がこれをサポートしてくれる。
落ちるのはミカンでも梨でもいい。ドラゴンフルーツだと馴染みがなさ過ぎて少し怪しくなるが、リンゴが落ちるのと大きくは変わらないはずだ。目の前で果物が落下した光景は、過去の記憶から大部分を流用した状態で記憶に留めておける。
つまるところ、映像の視聴というのは……次回に続く