シャーデンフロイデ
先週の木曜に書いた『【漫画】スキップとローファー』の結びの言葉がこれ。
で、昨日の『おととい来ていた』の終わり方がこちら。
さすがに自分でもどうかと思う。短期間に善人ムーブを決めすぎた。これでは本当に自分が善人なのかもと錯覚してしまう。
他人の幸せを心から願っているのは事実だが、それは善性によるものではない。単純に怒っている人や悲しんでいる人を見たくないからだ。
よく他人の不幸は蜜の味と言われる。他の国にも同じような意味の言葉があるらしい。人間の普遍的な特性なのだと思われる。
僕もその味は知っている。苦みを味わった直後だとただの水が甘く感じられるやつだ。嫉妬、羨望、劣等感を抱えているから他人の不幸が心地良い。
健全な状態ではない上に他人に依存している。たまたま見かけた他人の不幸を内心で喜ぶだけなら害はないが、他人の不幸を願うようになったら危険信号である。足の引っ張り合いは不幸の再生産にしかならない。
僕の心の平穏のため、生きとし生けるものすべてには幸福でいてほしい。
善とか悪とかは関係ない。僕は善人でありたいとは思っていないし、悪人でありたくないとも思っていない。
↓次回につづく
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