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疑うほうが楽だから

↑引き続き、「科学とオカルト」の第7回。

霊なんて存在しない、霊能力者は困っている人からお金をだまし取るために嘘をついている、と突き放すのは容易い。もちろん、疑うことも大切ではある。しかし、拙速に嘘だと決めつけるのは楽な方に流されている。

納得の行かない状況に直面したとき、誰かが嘘をついていると仮定することで、説明がつくケースがある。帳簿の数字が合わないとか、旦那の出張が多すぎるとか、注文したピザが届かないとか。

わからないことをわからないままにしておくのは一種のストレスであり、なるべく早く解決したくなるものだ。このニーズに嘘はとても都合が良い。

誰かが帳簿を改ざんしたことにすれば数字が合わないのも納得できる。改ざんの確たる証拠はなくても、その気になれば証拠隠滅などいくらでもやりようがあるだろう。なにしろ犯人は嘘つきなのだから。

これでとりあえず霧は晴れる。自分が嘘をつくのではなく、他の誰かが嘘をついていることにするので、罪悪感もない。誰かが泥をかぶったとしても知ったことではない。

そういう人に僕はなりたくない。嘘つきは嫌いだが、確証もなく他人を嘘つき呼ばわりする人はもっと無理だ。

真実に蓋をするくらいなら、嘘か本当か一生わからないままでいい。

つづく