敬称略
年下を呼び捨てにする文化があるのはなんとなく知っていたが、安易にその流れに乗るのは躊躇われた。社会人になってから出会った人は基本的に全員さん付けで呼んでいる。敬っているといえば敬っているし、敬っていないといえば敬っていない。
呼び捨て自体は良いとも悪いとも思わない。自分が呼ばれたら初めは意図を読み取ろうと身構えるが、悪意とか敵意がないとわかればすぐに受け入れられる。あっても受け入れるが。
年齢で呼び捨てにするか否か。どっちでもいいときは少しでも楽な方を選びたい。
相手が年下かどうかを判断するのは決して楽ではないのだ。学校と違って社会人は名札や上履きの色で学年を識別できない。個人情報にアクセスできる立場になければ、容姿や服装、言動などから推測して一人年齢当てクイズを開催することになる。
クイズの正解はいつ明らかになるかわからない。それまで年上を呼び捨てにしているかもしれないし、年下をさん付けしているかもしれない。そんなモヤモヤした状態が続く。
運良く相手の年齢を確定できたとして、正解のご褒美はモヤモヤが晴れるだけ。一方、不正解の場合は今の呼び方を続けるかどうかの選択を迫られる。続ければ呼び捨てルールの一貫性を失い、改めればクソダサい。
リスクとリターンが見合っていない。それなら相手構わずさん付けするのが最も楽ちんだと考える。うん、全然敬ってなかった。