愛は理屈じゃない
突き詰めて考えると、思考と願望の境界線は曖昧になる。じゃあ、もう一緒でいいじゃん。一般的にも人間は精神と肉体の二つで構成されていると考えられている。三位一体にこだわる必要はどこにあるのか。
甘いものが食べたくなるのは脳が糖分を必要としているとか、なんちゃらホルモンの分泌を促すためとか、色々な説があるらしい。が、実際は食べたいものを食べて、それが健康に繋がる種だけが生き残った結果なのだと思う。
進化論の自然淘汰というやつだ。たぶん僕の遺伝子にはカスタードプリンを愛するように刻まれているのだろう。そういう風に出来ている。すべての願望はそれで説明がつく。
これが思考とは相容れない。
てやんでい、こちとら理屈一本でやらせてもらってんだ。遺伝子だか何だか知らねえが、理由もなしに「はい、そうですか」と受け入れられるかよ。
親方は身内には頑固で厳しいが、依頼主には実直で仕事も丁寧だ。だから思考と願望は分けておいたほうが丸く収まる。
それと、もう一つ。思考と願望が一体になっていると、願望の大きさが思考の限界になる。それではダメだ。願望を俯瞰しろ。そして、超えてみせろと願望自身が願っている。遺伝子にそう刻まれている。