おじいちゃんの言葉
入院したおじいちゃんに会いに、
12時間かけて帰省した。
ベッドの上でにこっと笑って、
暖かい目で迎えてくれた。
久しぶりに会えたおじいちゃんに、
子どもの時みたいにずっと話しかけてた。
そろそろ、家に帰ろうという時、
おじいちゃんが言った。
この言葉が、私のその後の人生の支えとなった。
おじいちゃんに恥ずかしくないように、がんばろう。って。
私は家族が好きだ。
でも、そばにいることがいいこととも思わない。
私は私の人生を生きたかった。
だから、この言葉は、私の罪悪感を綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれて、背中をずっと押し続けてくれた。
私は過去一度、故郷へ帰ろうかと悩んだことがあった。
新規オープンする熊本店の、店長にならないか?と言われた時。大阪と熊本、どっちが人生経験を積めるか?どっちがより多くチャレンジできるか?を考えて、大阪の方が成長できそうだったからこの土地に残った。
大阪に来たばかりの時は、私は普通の女の子だった。結婚や子育てに憧れる、普通の20代。
でも、26歳の時に、一生続けられる仕事を持ちたいと思い、接客が好きだったのでアパレル会社に入社した。
そこでは、ものすごい体育会系な上下関係と、ノルマと美容に関する熾烈な競争が日常として用意されていた。ここで、仕事に対する姿勢を厳しく教えられた。
金銭的、精神的に続かなく、アパレルは1.5年で辞めることになる。
事務職を探して、働き始めるも、
退屈に耐えきれなくなり、掛け持ちでバイトを始めた。
その頃ジェルネイルが流行りだったので、
自分でもやってみたいなぁ、と思うようになり、
ネイリストになって、自分のお店を持とう。と決心した。
その、ネイリストになって2年後に、
おじいちゃんが入院したんだ。
こんなことを上司に言われて、
それを真に受けてしまった私。
そんなこと、世界一を目指すような人でなければ、ぜんぜんないことなんだけどね。
実際、休みは少なかった。
その少ない休みは、寝るだけで終わることが多かった。
仕事だけに集中した状態が、
3年続いた。
そのあと、限界を感じて、
勤めていたネイルサロンを辞めた。
という、意味のわからない誓約書にサインして。
ばかげてるけど、本当にあったこと。
がんばって来たのに、一体なんだったんだろう。
と、虚無感があった。
誓約書の作成者に、この話を聞くと、
そんな誓約書は知らない。(上司)が作ったんやろ。
って。
話し合いにエネルギーを使いたくもなく、
ただその場を一日も早く離れたい一心だった。
経験は、なくならない。
旅立つ時の持ち物は経験だけで充分だった。
そのあと、夢を叶えて自宅サロンをオープンした。
夢って叶えた先も人生は続くので、
夢を叶えたその先のプランがなく、売上は伸び悩んだ。興味もやる気も、驚くほどどこかへ行っていた。母の入院をきっかけに、自宅サロンを閉店した。後悔は、ない。
なぜか私は、苦しんでる人を笑顔にするのが好きだ。3年間のネイルサロン生活で気づいた自分の本心。
そこに、自宅サロンをしながら、5年ぐらいかけて取り組んでみた。ネットで情報発信したり、対面でセッションをしたり、講座を開催したり。
たくさん、心暖まる出会いがあった。
やってみてよかった。
5年かけて、また価値観も変わるようになり、
私は今メーカーで派遣をしている。
正直この先どうなるかという見通しはない。
でも、今は自分の中では一番幸せかもしれない。
何者かになろうとしなくても、いいんだ。って思えるようになったから。
毎年毎年、バージョンアップしてる感覚はあって、年を取ってる感覚はない。
でも、ベッドの中で骨ばった手に気づいたり、
朝鏡をみて年齢を感じたりはする。
今より悪くなるという不安ほど、
怖いことはないかもしれない。
でもその不安は、
持ってても何も変わらないんだよね。
どうせ生きるなら、楽しもう。
どうせ生きるなら、成長しよう。
どうせ生きるなら、変化しよう。
大丈夫。心は、老いることとは無関係だから。
2023/01/21
案奈
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?