未知なる異邦人

 ■<マスター>の出現

 デンドロはもともとティアンたちの世界だった。
 IDサービス開始後、<マスター>は爆発的にその数を増やし、その存在感を大幅に増すに至った。原生人類ティアンたちにとっては大きなショックであっただろうことは想像に難くないし、反発する人物も幾人か描かれている。
 しかしながら、作中の和やかな雰囲気に誤魔化されているだけで、これはもっと深刻かつ恐ろしい現象なのではないだろうか?不死の新人類の大出現は、ティアンたちにとって天変地異も同然だったはずだ。

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 ■不死身

 現実社会に置き換えてみたらどうだろう。
 ある日突然、人間とそっくり同じ体構造を持った生物が大量に出現する。彼らはみな固有の特殊能力を持ち、人語を流暢に操り、あまつさえ死亡しても三日後には生き返る。
 怖すぎる。
 明らかに地球侵略を目論むエイリアンだろう。知能が高くて人間に擬態するタイプ。ホモ・サピエンスを穏やかに駆逐して地球を乗っ取ろうとしているとしか思えない。怖めのSFだ。しかも彼らは概ね美形なのである。そのへんも高度な知的生命体が人間を模倣している感がある。『未知なる異邦人』とか題してハヤカワ文庫から出版されてそうだ。
 死なない人間が大量に社会へ溢れた場合、相当量の混乱が予想される。ひとりや二人ならミュータント扱いだが、彼らはやたら多いのだ。<マスター>達は総勢数百万人の規模で存在している。
 中央大陸はユーラシアと同じような規模だとある。ギデオン周辺の人口が数万人規模だそうだから、おおむね中世のような基準で、大国レベルの民族が大陸中に出現していると考えて差し支えないだろう。ゲルマン人がもし不死身だったらローマ帝国は跡形もなく滅んでいたに違いない。匈奴が超能力者だったら万里の長城は消し飛んでいただろう。唯一の救いは、彼らが見かけ上友好的なことである。【疫病王】とかもいるけど……

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 ■進化する異邦人

 【疫病王】はメイヘムを“絶やした”が、それまでに同レベルの事件を起こしてはいなかったようだ(どうでもいいが英単語mayhemは“破壊、混乱”を意味する。偶然か?)。いかなレシェフとはいえ下級では大したことができなかったからこその雌伏だろう。
 そう、<マスター>は万能の才能を持っている。つまり時間が経てば成長するのだ。
 想像してみてほしい。新人類の大量出現から数年、あらゆる分野で彼らが台頭し始める。スポーツ、科学、戦争、音楽、ありとあらゆる職業の頂点が彼らに奪われ始める。
 怖すぎる。地球侵略計画が着々と進んでいるようにしか見えない。人類の文化・技術を吸収して学習しつつある。
 ただでさえ相手は不死身の超能力者なのだ。それが人類の(ティアンにとっての)技能、保有技術まで取り込む兆しを見せている。<マスター>はティアンに技能面では劣るが、それでも超級職は保有できるし、何よりレベル500でさえティアンにとっては相当な上澄みなのだ。宇宙人がウサイン・ボルトをぶっちぎり、藤井聡太を制し、ホーキング並の知性を見せつけたとしたら?
 <叡智の三角>はドライフ皇国に出現後、独自のヒト型<マジンギア>を開発した。【ガイスト】に比べて戦力的にも有用なようだ。
 想像してみてほしい。“欧州に出現した宇宙人が会社を設立し独自の兵器を開発。既存兵器の性能、概念ともに凌駕する異質な新兵器だ”……。
 怖すぎる。
 絶対にエイリアンの技術だ。地球侵略のための機械兵器を現地で生産している。そんなもの軍隊に正式採用した日には、ある日突然裏切られでもしかねない。宇宙人にしか使えない隠しコマンドが仕込まれているに違いない。

 成長するというのは、ティアンの持つ能力においてだけではない。超級職や特典武具以外にも、<マスター>は進化する。<エンブリオ>である。
 想像してみよう。ある日突然地球に出現した宇宙人が、特殊能力を進化させていっていることが明かされる。第二形態、第三形態、第四形態までが現れ始める。
 怖すぎる。やっぱり怖すぎるぞ。
 明らかに侵略が次の段階へと進む前触れだ。おそらく第三形態あたりで巣か何かこしらえて卵を生み始めるに違いない。第七で惑星規模の胞子散布とか始めそうだ。きっと人類は滅ぶ。
 ティアンたちにとって、<エンブリオ>はかなり脅威になる。なにせ超級職と<超級エンブリオ>がぶつかったら基本的な出力では後者が勝つのである。どうしようもない。しかも、全個体がそれに至る可能性を持っている。加えて、能力特性的にも<エンブリオ>はより強い特殊性を持っている。炎や雷を吐くくらいなら避けるなり耐えるなりやりようもあるが、お菓子に変える攻撃をどうやって防ぐのだろうか。【菓子化】の状態異常への対抗方法など想像もつかない。
 <マスター>は全員が善良というわけではない。悪意ある能力によって酷い目にあった無辜のティアンは大勢いるだろう。それこそマール君とか。

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 ■不思議な性質

 <マスター>は常人(ティアン)とは違う不思議な体質を持っている。定期的に前触れなく消失するのだ。
 しつこいが宇宙人に例えてみる。各国に出現した宇宙人はしばしば身体を別の世界に飛ばされてしまうことが分かっている。しかも障害物などは意に介さない。そして再出現が同じ場所とも限らない。
 怖すぎる。
 絶対に衛星軌道上の母船へ帰還して地球侵略計画の中途報告をしている。地球上の姿とは全く違う姿を顕わにしているに違いない。体液は強酸性、卵生で、テレパシーによる会話をするのだろう。口は間違いなく二つあるしアリのような真社会性を有していると思われる。
 地球上でも宇宙人たちは彼らにしか分からない世界の話をしている。“向こう側”でのやり取りは人類には関知しようがない。地球侵略は着々と進んでいる。
 しかも彼らは地球人と積極的に婚姻を結んでいる!

 大げさに書いたが、ティアンたちが必ずしも<マスター>を恐れるとは限らない。融和主義者は当然いる。勿論、それと対を成すように排除論も起こり得るだろう。では排除論者のひとりであった初期のアルティミア殿下のありがたいお言葉を引用しよう。

 しかし、彼女は<マスター>によって……<超級>によって多くを失いすぎた。
 ゆえに<マスター>への不信は、根強く存在する。
(中略)
 そんな彼女の不信を氷解する出来事も、なかったわけではない。
 王都が封鎖された時は、<マスター>の自警団が組織された。
 <流行病>の時には、利益を求めずに病人を介抱して回った<マスター>達がいた。
 (『第五章 遺された希望』 前話 開かれた<遺跡>)

 ぬるすぎる。
 もっと急進的な排除論に傾くこともあり得たはずなのに不信止まり、これでは融和主義と変わりない。というより、<マスター>との結びつきが緩かったアルター王国においてさえ基本的には融和主義的なスタンスなのだ。泣いても笑っても<マスター>は消えないのだから、現実的な為政者だとも言える。なにせ大幅増から内部時間で六年が経っているのだから、諸国はすでに安定期に入っているとも考えられる。
 では、<マスター>排除論はなぜこれほどに不在なのだろうか?

 ◆

 ■君臨する無限

 忘れてはならないのが、D世界(仮称)は大陸どころか文字通り物理法則のレベルで<無限エンブリオ>に掌握されて久しいということだ。なにせ非人間範疇生物にとっては死の定義さえ変わっているんだから。
 【無限増殖】管理AI13号は文化流布担当として<マスター>の存在を認知させる役も担っていた。その過程でもし仮に反<マスター>主義のようなものがあったなら、当然排除したはずだ。融和主義への誘導は二千年前から始まっていたのだろう。
 ティアンたちにとって、<マスター>とのファーストコンタクトはすでに平和的に終了していたと言える。上で述べた極端な軋轢がさほど起こらなかったのは、明らかにグリマルキンの存在が大きい。文化流布担当は重要な役目だったわけだ。【無限時間】の口ぶりみたく、遊んでいたわけではないのである。

「(前略)文化流布担当として、自由に生きてきた君に、分かるのか……!」
 (『第六章 私《アイ》のカタチ』第十六話 主なき者達の戦場)

 
 気持ちはわかるが、【無限増殖】がこれをやっていなかったら間違いなく<マスター>対ティアンで戦争が起きていた(たとえそうでも管理AIたちは気にしないかもしれないが……)。そんな荒んだ世界ではトリガーを引けなかった<超級>もいるだろう。【疫病王】あたりは楽しみそうだけれど。

 しかしこれ、ティアンたちにとっては救いにもなんにもならない。
 彼らが知らないだけで、すでに征服は完璧に完了しているのだ。フラグマンの姿勢は全く苛烈でもなんでもない。D世界(仮称)はいわば使徒に負けたエヴァ、フェストゥムに同化されたファフナー、MUに乗っ取られたラーゼフォンみたいなものなのだから。
 それを取り返そうと思えない現代ティアンたちにこそ、むしろある種の悲哀がある。

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 ■いわゆる帝国の類型

 征服後における①征服者(マスター)と②被征服者(ティアン)の現役世代には、③フラグマン陣営のような敵対心がない。現代ティアンはすでに現在の世界に馴染んでおり、かつてのアイデンティティとは(もちろん<無限エンブリオ>の殲滅戦によって)切断されている。これを再接続できるのは、④旧世界のシステムを残しているハイエンド(クラウディア)のみとなる。
 ところが、現代<マスター>たちの侵入は、かつての侵略を引き継いでいるにも関わらず、そのような自覚を持ってはいない。
 というのは、<マスター>たちは“化身”の同類と見なされてこそいるが、実際のところ第三者だからである。本来の侵略者である<無限エンブリオ>は世代交代による変質を経ることもなく、ただ隠れ潜んでいる。侵略戦争と帝国(的なシステム)を巡る二元論的対立は、征服者の化身(文字通り、アバター)を被せられた第三者を巻き込んで緩やかに複雑化していく。
 つまり、2043年から始まったものは、ティアンたちにとっては異民族に同化させられるプロセスの第二段階なのである。ところが、高度に同化を済ませたティアンたちにとって第一段階を認識し、思い出すことはできない。
 一方現代<マスター>たちにとっては、D世界(仮称)は呑気なゲームである。勿論、同時に、ゲームであるか否かというところにも選択肢と対比がある。このような複雑化していく対比の連続体がなぜ生まれるかと言えば、作中人物たちの持っている情報に齟齬があるからに他ならない。この齟齬は侵略者<無限エンブリオ>が齎した嘘や不明である。つまり、1)<マスター>に対する“ここはただの遊戯である”という欺瞞、2)現代ティアンに対する“二千年前の過去の抹消”、3)フラグマン陣営は<マスター>の内的実情よりも外面的な“化身“としてのカテゴライズを優先し、4)ハイエンド(クラウディア)は2)を看破しながらもそれを棄却しきれない。これらの齟齬が、単なる“帝国”としてのD世界(仮称)に対してさらなる対立軸を加えていく(若しくは<IF>のように独自の目的意識を持つ者たちも多いわけだが)。
 
 デンドロは、高度に同化された<無限エンブリオ>帝国体制の中でのアイデンティティを巡る物語であると言えるのだ。③古いアイデンティティを持つもの(フラグマン)と、②持たない大多数の被征服者(ティアン)、そして①侵略者の末裔(マスター)もまた侵略者としてのアイデンティティは持たない。そして、④部分的に思い出したものたち(ハイエンド)もまた現在の秩序を破滅的に破壊することは望まない。
 これらの構造は複雑だが、そのおおもとは征服/被征服のシンプルな軸から派生している(しかしながら⑤さらに古く征服された旧世界の体制すら敵視する<未来神>、というもう一つ下の古層もあるわけで……)

 ◆

 ところで、この侵略体制(いわば<エンブリオ>帝国)は遠からず終りを迎えることが明言されている。

『けれど、それは無駄なことよ、ドーマウス。あなたの<マスター>に似た【邪神】が生きようが死のうが、どうせ計画が終わればこの<Infinite Dendrogram>は……』
 (『Touch the GAME OVER』 第二〇・五話 選択へのリミット 管理AI2号の台詞)

 
 絶対にろくなことにならない。
 よくて放置、最悪の場合には世界丸ごと消滅しても驚かない。<無限エンブリオ>到達の何らかの儀式の過程でそうなるとしても管理AIたちは恐らく許容する。【無限生誕】あたりは洟も引っ掛けないだろう。

 彼女が尊重しているのは<マスター>のみ。ティアンは彼女の愛の範囲外であり、先々期文明との戦争では“冒涜の化身”として一等恐れられた存在でもある。
 (『第六章 アイのカタチ』裏話 管理AI達の答え合わせ)


 仮にティアン社会が崩壊せず捨て置かれるに留まる最良のシナリオであったとしても、【邪神】降臨を防ぐ【無限変換】がいなくなればあっという間に史上最悪の<終焉>が世界を終わらせる(クラウディアの目論見通りテレジアが排除されれば【覇王】復活までの時間が稼げるかもしれない。また、ラ・プラスが<破壊神>の亡骸を回収すれば<終焉>はいなくなる可能性がある。十中八九暴れたあとだろうが……)。たとえ諸国のすべての問題がなくなっても、現時点ではティアンにまず未来はない。
 間もない破滅が確定しているという点でも、二項対立に留まらないという点でも、デンドロの物語の“帝国”構造は特徴的だといえる。そしてティアンたちにとってはコズミック・ホラーだ。救いがあると良いのだけれど。

 To be continued


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