ペルセポネの必殺スキルを読む

 ■冥導回帰門
  
 《冥導回帰門ペルセポネ》の発動は、発動準備としてギリシャ語による詠唱を伴う。以下はすべて『蒼白詩篇 二ページ目 地獄と殺人と冥王 その一四』より引用。
 第1連は、

――ここにイードー・ナー・至宝を捧るアフィアーローセー・シサブロイ門を築くフティアクスト・ティズ・パイルズ

 ギリシャ文字に直してみよう。カタカナであるためもちろん確証は持てないが、たぶん

①Εδώ να αφιέρωσα θησαυροί, φτιάξατε της πύλης.

 イードーは、“ここ”を表す副詞εδώ(edho)とした。発音はあんまりイードーには聞こえない(かなりエドー、エゾー)だけど、意味は合っている。

 ナーのνα(na)は、“ここに”という指示語の可能性もあるのだけれど、後ろに動詞が来ているので接続法の標識だと思う(後述)。アフィアローセーは、αφιέρωσα(afierosa)にした。“捧げる”という意味の動詞αφιερώνωの第一人称単数、アオリスト過去形だ。アオリスト命令(αφιέρωσε)という線もあるがここでは文法的に排除。
★【να αφιερώσαというふうに繋がることで、動詞は接続法になる。これは英語で言うところの仮定法にあたるもので、主観的なニュアンスが入る。意図、推量、依頼、願望、とにかく色んな意味に取れる。ここではアオリストに付いているのでアオリスト相の接続法、つまり動作を一回きりのものであるとか、完結した結果として捉えていると言えるだろう。“私は捧げるだろう”、“私が捧げよう”といったところだろうか?】

 シサブロイはθησαυροί(thisavri)は“宝”だろう。
 見ての通り語尾が-οιなので複数形。単数ならθησαυρόςになる。主語の形なので、“至宝を”なら目的語の形なんではないかと悩んだけれど、意味的に採用。いわゆる“シソーラス(類語辞典)”はこの語から来ている。
 フティアクストはφτιάξατε(ftiaksate)“築く、造る”を意味する動詞φτιάχνω、これのアオリスト過去形とした。が、問題はこれが二人称複数形だっていうことで、“汝らは築いた”となって、文意に合わないのだ。かと言って“フティアクスト”なので語末にtがつくのは確か(加えて語中のsはアオリストの特徴)。そうなると、これぐらいしかない。
 ティズ・パイルズは、της πύλης(tis pilis)。τηςは定冠詞の女性で、英語で例えればthe gate、“その門”といったところになる。
 が、気になるのはこれ、属格(英語だと所有格と呼ぶあれ)の形なのだ。つまり正確には“その門の〜”。属格は必ずしも所有の意味だけではないが、ここには属格を取るような動詞もないはずである(間接目的語ならともかく)。あと、個人的にはパイルズというよりティス・ピーリスと聴こえるのでかなり迷ったんだけれど、意味はドンピシャなので採用とした(他の“門”はπυλώνα(ピローナ)くらいしか無いと思うので……)。
 
 “ここに種々の宝物が?私は捧げよう。その門の?汝らは築いた”ってところか。
 概ね日本語と符合してると思う。
 
 ◆

 では第2連。
 
 ――これなるはアフトー・エーナイ・ター・ケートー・冥界の門コスモー・ティズ・パイルズ
 
②Αυτό είναι τα κάτω Κόσμου της πύλης.

 αυτό(afto)はわかりやすい。まさしくアフトー。“これ、this”の中性単数形だ。『ワールドトリガー』にアフトクラトルって国が出てくるけども、あれのアフト部分はこの語と同系。アフト・クラトール(皇帝の意味)なのである。
 
 είναι(ine)は三単現の存在動詞で、まとめて“It is”。
 正直エーナイとイネはだいぶ違うんじゃないかと思ったが、実はこれ(είναι)、古典読みだとエーナイになる。ので、なぜか局地的に古典読みだと解釈しよう(読みだけね)。他に当てはまりそうな単語もないし。

 ターは定冠詞の中性複数τα(ta)と解釈したいけど、ここには中性名詞がない。しかし他に当てはまりそうな語もない。一応、代名詞として“彼ら”の意味があるけど、そうなると今度は文章が繋がらない。
 ケートーは難しい。意味から考えるなら、κάτω(kato)“下に〜”という副詞があるにはあって、これは属格名詞を伴って“〜の下に”という意味で使われる。古典語の辞書には“地下世界”とか“死者”の意味合いも載っている。
 コスモーはたぶんκόσμου(kozmu)だろう。“宇宙の〜”。属格。これも有名な語。いわゆるコスモスで【マクロコスモス】とか。コズミック(宇宙の〜)とか。
 つまり、κάτω κόσμουで“下の世界”という意味を表すとも取れるし、ここが“冥界”に当たるっぽい。もっとも辞書にはwith Verbs implying Restと書いてあるのだけども。
 まさか海神ケートーでもないだろうから。

 そしてまたティズ・パイルズが出てくる。ここで思ったのだけれど、πύληςがパイルズなのは、υをyで写すことがあるがゆえに(pyles)それを英語読みしたのだろうか(なぜyで転写するかといえば、古典読みではュと読むから。πύληςはピュ↑レース)。

 “これがその門の下の世界だ”、“これがその門の世界の下方だ”、“これがその門の世界の下にある”……?

 ◆

 第3連。

 ――我が内なるポーター・アノイゲー・エナー・霊安室をネクロートーメーオー・ナー・開く扉なりエーナイ・メテークシー・マウ

③Πόρτα ανοίγει ένα νεκροτομείο να είναι μεταξύ μου.

 ポーターはπόρτα(porta)“扉”だろうか。
 アノイゲーはまず間違いなくανοίγει(aniji)。“開く”という動詞ανοίγωの三単現で、“それは〜を開く”。これも古典風な読みかもしれない。現代語ではアニィィというふうに聴こえる。
 エナーはένα、“一つの、とある〜”だろう。中性名詞に係る。ちょうど後ろへ中性名詞が来ている。不定冠詞なので英語でいうa, anにあたる。ここでは複数の中の一つを表しているのだろう。
 ネクロートーメーオーもわかりやすい。νεκροτομείο(nekrotomio)で“死体置き場”。中性名詞だ。《ネクロ・オーラ》や《死者の覆いカリプシ・トン・ネクロン》などからも分かる通り、ネクロはギリシア語の“死んだ”(νεκρός)から来ている語。τόν Νεκρών で複数属格の“死者の”(カリプシは古典語のアオリスト分詞かなにかだろうか、καλύπτω“覆う”(カリュプトー)由来だろう)。他にもネクロマンサーとかネクロノミコンとか、有名な言葉が多い。
 ナーは上で言った接続法を導くναだろう。それだとやや後ろの動詞のニュアンスが変わってくる。エーナイはείναι だろうか、やっぱり。上述。
 となると、να είναιで“あらんことを、あるべきだ、あるだろう……”とも読めそう。たぶん名詞節を作っている。
 メテークシーは前置詞μεταξύ(metaxi)ではないだろうか。“間に”を意味する語で属格を支配するから後ろの単語とも整合する(コロケーションとして自然なのかはわからないが……)。
 マウはたぶんμου(mu)。“私の”。

 “扉は、私の間?にあるべき(?)死体置き場をひとつ、解放する”

 ◆

 第4連。

 ――ここに魂は凱旋するプシッチー・ストー・アーク・ディー

 プシッチーは、(日本語が“魂は”なので)間違いなくψυχή(psichi)だろう。ところがこの読み方が面白い。たぶんpsichiという翻字で英語風に〜ッチーとしたんだと思うけど、χの文字はヒーと読むのだ。というか、ψυχήだから古典読みだとプシュケーである。すごーく有名な単語ですね。
 というのも、χの文字は古典語では息の強いカ行で読まれていたとされている。この息を気息という。khやchで転記するのは、ふつうのk(c)より息が強いことをhで表したものである。で、χは現代語ではヒーというような音になった。ドイツ語のchをイメージすればわかりやすい。chをチャと読むのは英語における習慣なのだ。
 この語は呼吸に関連した語源を持つという。呼吸や息吹と魂・精神が結びつく例は、他にもラテン語やヘブライ語などにある。単数主格。“魂は〜、魂が〜”。

 ついでストー。これが難しい。素直に考えればここにあるのは動詞なのだけど、“凱旋する”というような動詞でストーに聞こえるようなものは見つからない。στο(sto)であれば前置詞と定冠詞の融合形になる(その〜に〜)。
 そもそも、主語が上のψυχήである以上、動詞の語尾は絶対に-ει(-i)で終わらなければならない(現在)。-ω(-o)は一人称単数の語尾になる。だから、これが動詞だとは考えにくい。
  アーク。古典読みならἀρχή(archē)“原初”の変化型を疑いたくなるけど、上でプシッチーとしている以上χはないだろう。εκ(ek)なら前置詞で“〜から”になるが、他と繋がらない。άκου(aku)ならば動詞ακούωの継続相命令形で“耳を澄ましていなさい”とかなんとかそんな意味になりうるが、ここでは文脈にそぐわないだろう。
 ディーは、ντε(de)と書いて“そら来い!”という語がある。ひょっとするとこれは、単なる名詞を呼ぶだけの動詞のない文章かも。

 結論は出せない。④Ψυχή στο(?), ??? ντε(?).
 “???に向かって、魂よ、来い!”か。
 
 ◆

 第5連。

 ――栄光と栄華はドクサー・カイ・ター・メゲーレーオー去りしものエチャウン・イッディー・ファイゲー

 ここまで複雑なカタカナだと逆に特定しやすい。
 カイはκαι(kai)、英語でいうandに相当する接続詞。つまりこの前後のドクサーとター・メゲーレーオーが、栄光と栄華にあたるとすぐわかる。δόξα(dhoxa)“栄光・誇り”と、μεγαλείο(meghalio)“偉大さ”。ターは定冠詞中性単数のτα。片方だけ定冠詞付きなのはなぜなのだろうか。
 メガロとかメガが“大きい”を意味するのは有名だと思うが、これらは古典語の形容詞μέγας(meghas)“大きい”から来ている。このメゲーレーオーもその類だろう。マハラジャのマハ部分なんかも同語源とされる。
 エチャウンはέχουν(echun)、動詞έχω“持つ”の三人称複数形だろう。英語のhaveにも似ていることに、ギリシャ語はこのέχωを使って、完了を表す。
 となるとファイゲーがφύγει(fiji)で完了形になるに違いない。これはφεύγω“立ち去る”という動詞だから、全部あわせて“すでに立ち去った”という意味になる。
 υでアイと読むのはやはり英語風。ガンマにしても、現代ではこういう場合ヤ行になるのが標準的だから、ギリシャ語ではフィイイとかいう感じに聞こえる。ガ行子音がヤ行子音になること自体は別に珍しくなくて、英語の歴史でも起こった変化だ。yesterday(英)とGestern(独)を比べてみるとよくわかる。 

 で、イッディーだが十中八九、副詞のήδη(idi)“すでに〜”だろう。

⑤Δόξα και τα μεγαλείο έχουν ήδη φύγει.

“栄光と、かの栄華は、すでに去った”

 ◆

 第6連。

 ――されど今オストーソー・この時はオタン・アフトー・トーラー

 ⑥Ωστόσο όταν αυτό τώρα……

 オストーソー。こんな込み入ったカタカナは他にはない。ωστόσο(ostoso)“しかし”。
 オタンは接続詞όταν(otan)、“そのあいだ”。
 アフトー・トーラーはαυτό τώρα(afto tora)か。τώραは“今”という副詞。αυτόはすでに述べたとおり“これ”。

“しかし、今このときの間は〜”

 ◆

 第7連。

 ――全盛のままにチェーリステアイト・ティン・力を振るわんアクミー・ティズ・ディナミズ

 チェーリステアイトは例によってχのchだろう。となると、χειριστείτε(chiristite) “あなた達は振るう、行動する、対処する”か。χειρίζομαι“振るう”という動詞の二人称複数形。【琥珀之深淵】隊アンバー・アビス・スコードロンは複数人なので、まぁ合ってるか。
 ティン・アクミーは、την ακμή(tin akmi) “その全盛期”という名詞だろう。単数対格で、目的語の形だ(次の語がαという母音始まりなので、定冠詞がτηνになっている)。しかし“全盛期”が目的語になるのは果たして……? 
 ティズ・ディナミスはもうおなじみτης“その〜”と、 δύναμης(dhinamis)“力の〜”だろう。属格。ちなみに複数主格だとδυνάμειςとなり、これはデュナメイス、すなわち力天使階級を意味する語に用いられる。
 関連して、ガンダム・デュナメスとか。力の単位ダインとか、ダイナモ、ダイナミズム、ダイナミック、ダイナマイトなんかも親戚だ。

⑦Χειριστείτε την ακμή της δύναμης.

“あなた達は振るう、その力のその全盛期を(?)”

 ◆

 最後にまとめておく。

①Εδώ να αφιέρωσα θησαυροί, φτιάξατε της πύλης.
②Αυτό είναι τα κάτω Κόσμου της πύλης.
③Πόρτα ανοίγει ένα νεκροτομείο να είναι μεταξύ μου.
④Ψυχή στο(?), ??? ντε(?).
⑤Δόξα και τα μεγαλείο έχουν ήδη φύγει.
⑥Ωστόσο όταν αυτό τώρα, ⑦Χειριστείτε την ακμή της δύναμης.



 ◆

 参考:福田千津子『現代ギリシア語文法ハンドブック』白水社(2009)


 ◆

 To be continued

いいなと思ったら応援しよう!