頑固おんなのスピリチュアル道 #3_枠を取り除けるか
昨年末、世間が華やぐクリスマスに突如はじまった
「頑固おんなのスピリチュアル道」。
このシリーズは、わたくしineのリアルな体験や気持ちなどを記録していく超個人的スピリチュアル日記です(思い切って公開しちゃいますよーっと!)。
あなたは、スピリチュアルに目覚めていますか?
★★★
《ふり返り》
はじめましてのスピ日記は、こちら→★
《本日の日記》
2022年1月8日 晴れときどき、気分上々
#3 枠を取り除けるか
自分という存在は、とにもかくにも謎が多い生きものだと思うのです。こんな気持ちになったのは、きっとわたしだけではないはず。
自分のことなのに、分からないことが多すぎる。
自分は何のために生まれてきたのか?
自分の使命は?
何が好きで、何がやりたいの?
どうすれば、人生を好転させられるのか?
そうやって日々迷い、悩み、もがきながら生きている人が多いように思うんですね。わたしも含め。
ただ自分の心にまっすぐ進めばいい!
そうは言われましても、それすらも分からないんですよ。プンプン。
そんな憤りを感じたこともしばしばでした。
自分ってなんだ?
そんな自問自答を長く続けてきたある日、スピリチュアルな世界を通じて分かったことがあります。
これはあくまで個人的な意見であり、体感ですが…
わたしはわたしであって、わたしを超えた存在だということ。
(肉体はあるのに、肉体以上の存在だからこそ、余計に分からなくなるのですよね…)
本来、小さくまとまる必要がない!
それぐらい一人ひとりの存在は、大きいものだと思います。
なのに、幼い頃からの親のしつけ、学校教育、社会構造によってつくられてしまった目に見えないバリアのような「枠」にみんな囚われて生きている。
わたしが頑固あたまであることに、無自覚だったように、その枠すらも気づかないまま過ごしてきたのだなと、ふり返ってみて感じます。
サインに気づけるか
なぜか分からないけど、窮屈。どこか息苦しいというのは、サイン。
小さくまとまらなくていいよ。
枠にとらわれなくていいよ。
そうやって、サインがやってきているけど、多くの人はそのサインにすら気づかない。気づこうとしない。
作られた世界のなかで、そこが正しいと教えられ、疑うことなく生きてきた人にとっては窮屈さも、息苦しさも、自分のとらえ方が間違っているのだろうと、自己否定の方に気持ちを向けてしまいやすいのです。
そうすると、余計に大切なものを見失いやすい。
枠に気づけたときが、チャンス!
息苦しさや窮屈さを感じたときは、やっと自由に生きられるチャンスなんです。
世界はとにかく広いこと(宇宙視点で考えると無限に広い世界ですよね)。自分という存在の大きさも、それと同じように限りなく大きく、自由であること。
そこに気づいてしまったら、枠にとらわれるなんて、もったいない。
鳥かごのなかの鳥にならなくていいんです!
見えているもの。(強制的に)見せられているものがすべてではない世界。この世は、見えないことの方が多いのだから。
自分がいま知り得ていることは、わずかなものでしかない。
枠の中にいる方が安心だという幻想を、そろそろ終わりにするときが来ているのかもしれませんよね。
枠のない世界は、どこまでも広く、どこまでも自由。風にのって羽ばたいていける時代。
それでも枠のなかに居続けますか?
それとも自由に羽ばたきますか?
わたしは、絶対後者だな♡
つづく…