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漫画家10年目で見えてきたことは「もう孤独じゃないし、貧困でもないし、底辺漫画家でもない」


漫画家を再度目指したのは「貧困を抜け出すため」

私が幼いころ夢見ていた漫画家の夢を本気で再び追い出したのは、社会人になってからだった。最初に入った会社はIT系の会社で、そこには自社のコンテンツとして配信する漫画を制作する漫画編集部が存在した。グラフィックデザインの制作として入社した私は、漫画を制作する現場を横目で見て「いいなぁ…」と懐かしさがこみ上げた。
留学したイギリスでもグラフィックやイラスト、フィルム(動画制作)をやっていたので、絵を描いていたのはそう遠い過去ではなかった。
中学校の二者面談で担任に「漫画家はちょっと現実的じゃないから、ほかの職業も考えておけ」と言われ、高校では漫画の勉強にと始めた演劇部でどちらかというとみんなでつくる楽しみのほうに目覚めていた。
イギリスで演劇をやろうと思ったが英語力に不安があり(イギリスで演劇をやるとなると、ネイディブレベルの英語力が必要)フィルムを専攻した。帰国後は幼いころからいじっていたフォトショとイラレ、フィルムのクラスで覚えたPremiereという映像制作ソフトが使える、という理由で、映像制作要員を欲しがっていたその会社に採用された。
最初はアルバイトで入社したものの、東京近郊で暮らすには低すぎる時給に根負けして正社員に。しかし正社員として出社初日から毎日怒涛のサービス残業。そんなとき横目で漫画編集チームに納品される原稿を見ては、「私も描きたい…」「どうせ過労死するなら、好きなことで死にたい」という気持ちがふつふつと湧いてきた。

思ってすぐにプロになれるわけもなく、その後は雑誌の賞に投稿したり、職場で知り合った同人描きさんからコミティアの存在を教えられ、同人誌を出しては出張編集部に通いつめる日々を送った。
その間、メインの仕事は東日本大震災を機に転職し、派遣社員になり、時給がどんどん下がり続け、「このままでは餓死する…」と本気で思い始めた頃、たまたま創作BLで出した本が同人配信代行業者の目にとまり配信のお誘いを受け、その書籍がランクイン。商業漫画のお誘いが来るようになった。
また、配信代行業者さんも同時期にオリジナルレーベルを立ち上げ新規作家さんを募集しており、配信代行のお声がけをしてくれた編集さんに速攻で「描かせてください!」と直談判した。
更に、平行して登録していた編集プロダクションのうちの一社からいくつかお仕事をいただき、そのうちの一つがTL作品で、これもまた電子書籍配信サイトで配信されてから、いくつかの編集部から商業のお声がけをいただいた。
電子書籍で出すまでは下積み時代として貧困生活を送っていたものの、いざ電子書籍を出してからはありがたいことに、途切れることなくお仕事をいただいている。
私にとって、漫画とは「私が持っているスキルの中で、最もお金になるスキル」となった。

10年目の迷い

漫画が私にとって「私が持っているスキルの中で、最もお金になるスキル」となっていた最初の数年は、私は「レーベル元が収入を得るための素材を提供している」という感覚だった。だから編集さんに「こうしましょう」と言われたらあっさりと了解していた。
しかし、さすがに5年、6年と続けていると、それでも隠し切れない個性が出てくるし、固定の読者さんがいてくれる実感も湧いてくる。
当時担当してくれた編集さんのひとりが「稲本さんの強みを出していきたいですね。稲本さんのいいところは…ハッピー感、あと大人の女性の最先端の考え方に敏感ですよね」みたいなことを言ってくれた記憶がある。
漫画家デビューした初期の頃、私は「ちょっと昼ドラっぽいどろどろを」とリクエストを受けた漫画を制作していた。私は嬉々として自分なりのどろどろを描いたつもりだったが、その連載が終わるころ、そのレーベルは終了した。なんでも「やっぱりどろどろモノってあんまり受けなくて…稲本さんのはその中でも比較的ラブラブ感があったから、けっこう読まれたんですけど」とのことだった。

なるほど、どうやら私の強みはやはり「ハッピー感」らしい。
その後も描き続けて、ときたまレビュー欄を見たり、ファンレターをいただいたり、私の作品をチェックしてくれている根っからの漫画好き考察厨から意見を聞く限り、私の漫画の強みは「主人公の芯が強い」「不器用女子」そして「ハッピー感」らしいということが浮き彫りになってきた。
納得しかない。だって私は自分で漫画を読んでいても、そういう主人公に共感するから。

これは好みの問題だと思うが、私は恋愛シミュレーションゲームの面白さがいまいちわからない。主人公の顔が描かれず、個性もないままだと、物語を進めていく駆動力が感じられないのだ。
「これはハマる!」と絶賛されていた女性向けのVRAVも、まったく面白さを感じられなかった。なんだか綺麗な男子が目の前で裸でくねくねしているだけで、受けている女性の反応が一切ない。これなら男女二人を客観的にどちらも見られる普通のAVのほうが断然面白い。私は何を見せられているんだろう…と思ううちに寝落ちした。
なので私は、主人公もキャラとして楽しめるほうが共感できる。
だけど、一部TLでは「主人公に感情移入するためには、極力独特な個性は削るべし」という方針がそこはかとなくあるように感じる。こっちのタイプを推す編集さんに当たると、どんどん私が「この子面白い!この子がどんな恋愛するのか見たい!!」と思える個性を削られていき、読んでも名前すら記憶には残らない没個性の主人公になってしまう…気がする。
私自身が主人公に何をさせたいのか、この子は何をしたいのかが全く見えなくなってしまう。

いやほんとこれ、好みの問題だと思うんですよ。善悪でも優劣でもなく。でも好みの問題で好きでもない話を編集さんの指示で描かされるなら、そういうのが好きな作家さんに描いてもらったらいいってだけの話で。
描くほうもそうだし、読むほうもそう。私はこの10年で、私の描く「主人公の芯が強い」「不器用女子」そして「ハッピー感」のある女子を好んで読んでくれる読者さんに読んでいただいて支えられてきたと思うんですよ。そこで今更「主人公に芯がなく」「なんとなく器用に男に流されて」「根拠のない、雰囲気だけで作られたハッピー感」を受け入れている女子を描くのは、私の読者への裏切りだと思えてきたのが、ここ数年のこと。

おそらくもう「なんでも描きます!」と全力で手を挙げる新人時代は終わって、固定の読者がつき、名前にそれなりの色が出てきて、顔見世代わりに仕事を受ける時代が終わったのかなと思う。
きっとこういう状況で割り切って描きたい人が、名義を変えて新人として違うジャンルを描いたりするんじゃないかな。

コルクマンガ専科9期生として

ちょうどそんなタイミングで入ることになったのが、株式会社コルクが主催するコルクマンガ専科。私はその前にも一度応募していたのですが、一度目は選考から外れ、二度目の応募で9期生として入ることになった。
コルクマンガ専科は5か月の講座を一期として、毎回内容がパワーアップしているらしい。なので9期には9期の強みがあると思う。9期は「SNS時代に勝ち残れる漫画家を育てる」がテーマだったっぽい。
9期を通して中だるみした時期もあったけど、佐渡島さんからの言葉で一番ずしんと来たのは「今まではジャンルに合わせて個性を削らなければいけなかった。でも電子書籍の今の時代、自分でジャンルを作ることができる」だった。
TLは嫌いじゃない。ただまだBLほどジャンルが成熟していない。だから私が描きたいと思う、個性がある女の子の主人公が煙たがられてしまうこともある。
そのうちTLが成熟してくれば…と思っていたが、まだまだ先は遠いような気もする。その時まで待てたらいいのだが、待てなかった場合は?そのままお蔵入りしてしまうのはもったいない。それなら、わざわざ商業TLに頼らなくてもいいんじゃないの?ジャンル・稲本いねこもいいんじゃない?という選択肢が見えてきた。

これからを考えてみる

もちろん、同じネタを別の編集部に持っていったら全然アリだったということも有り得るので、希望は捨てていない。
商業は描けば描いただけ原稿料を頂けるし、私の力では遠く及ばない読者まで作品を届けられる、めちゃくちゃ有り難い販路だと思っている。
でも、もし編集部でストップがかかってしまい、私の個性や人格をねじ曲げるようなことがあったら…?私が作品を通して励ましたい、私の作風を信じて読んでくれている読者を裏切るようなものを描くように強いられたら…?
そう考えたら、やはりジャンル・稲本いねこは確保しておきたい。
商業のいいところは、編集さんという相談相手もいるところだけど、今ではコルクマンガ専科でお世話になったごとう先生がいる東京ネームタンクでもネームの相談ができる個別相談がある。
個人出版は1人で制作しなければいけないけど、孤独にならない制作環境は作れる。9期の同期もいるしね。

そう考えると、餓死を危惧していた下積み時代からはずいぶん遠いところまで来たもんだ……
漫画家10年目、そんなことを思う2024年なのでした。

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