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袴田事件に思う

 静岡地裁が袴田さんに対する無罪判決を出した。事件発生から58年、最高裁による死刑判決から44年、第1次再審請求からでも43年が経過している。気の遠くなるような年月である。その間に袴田さんは拘禁反応により本来の自由な精神を奪われてしまった。
 袴田事件には日本の刑事裁判の問題点が凝集されている。考えるべき問題、議論すべき論点はあまりにも多く、今ここでそれを論じる能力は私にはない。ただ、思いついた2,3の感想のみ記すにとどめたい。
 
 ほとんどの冤罪事件に共通しているのは、日本の刑事司法における自白の偏重である。戦前の日本の刑事裁判においては「自白は証拠の王様」とされ、拷問を含むあらゆる取り調べ方法によって「自白」さえとってしまえば無実の人でも有罪にしていた戦前の反省から、戦後の憲法では自白だけを証拠として有罪にすることができない(38条3項)と定められたはずであるが、実際の刑事手続きにおいては、戦前の手法が踏襲され、自白さえとってしまえば、後は適当な証拠を見つけるなり捏造なりしてしまえば、有罪にできるという慣行が続いていた。袴田事件においては、1日平均12時間超という異常な取り調べを連続20日も続けるという、拷問といって過言ではない過酷な「取り調べ」によって袴田さんを「自白」に追い込んだのである。こうした状況において、警察・検察の犯行筋書きに沿って嘘の「自白」をせずに耐えきれる人はほとんどいないだろう。無実の人は、こうした苦しみがいつまで続くかもわからず、一時の方便としての「自白」がまさか死刑につながるなどとは夢にも想像できず、裁判で本当のことを話せば信じてもらえると思って、現下の苦しみを逃れるために、警察・検察の筋書きに沿って嘘の「自白」をしてしまうのである。実際、「どんな人間でも(つまり事件とは全く無関係の人でも)必ず落としてみせる」と豪語する“ベテラン刑事”は80年代頃まで全国各地にいたようである。このような状況で取られた自白を証拠とすることは、明らかに憲法38条2項の定める「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」に反していることは明白であると思われるが、なぜかこうした証拠は近年に至るまで多くの裁判で採用され続けてきた。

尾形誠規『美談の男』鉄人社、2010年

 こうしてとられた「自白」においては、袴田事件もその典型であるが、警察のそのときどきの捜査状況の進展に合わせて「自供」の内容が次々に変遷するので、犯罪心理学の専門家が見れば(あるいは素人でも注意深い人が見れば)すぐに「強いられた自供」であることはわかるものである。実際、第一審の静岡地裁判決(1968年9月11日)の裁判を担当した熊本典道裁判官は、袴田さんが無実であることを確信していた。しかし、法律の勉強しかしていない専門バカであったり、エリート意識が強く検察官には仲間意識を持つが刑事被告人には始めから偏見を抱いているような裁判官にはそういうことが読み取れないことがしばしば起こる。そして、3人の裁判官で構成される合議審であったこの裁判で、熊本氏は、有罪に傾く他の2名の裁判官を説得できなかっただけでなく、判決を起案する主任裁判官でもあったため、自身は袴田さんを無実だと思いつつ、死刑判決を書かざるを得ないという恐ろしい立場に追い込まれるのである。(裁判員裁判が行われている現在、判決こそ書かないにせよ、同種の問題はすべての国民が直面する可能性がある。)このため熊本氏はその半年後に裁判官を辞職したが、このときの罪悪感からは生涯逃れることができなかったようで、2007年になった初めてそのことを世間に公表した。熊本氏の数奇な人生について、私は『美談の男』で知ったが、その後、この本の増補完全版が出たようであるが、私は読んでいない。ここで指摘しておきたいのは、合議審においては多数決制であるため、熊本氏のように自らの判断と良心に反する判決に署名せざるを得ない裁判官が必然的に出てくるということである。これは、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」という憲法76条3項に違反しているのではないだろうか。少なくとも最高裁のように、多数意見に同調できない裁判官は自らの少数意見を判決に書き込むことが認められなければならないのではないだろうか。最高裁の少数意見が後に最高裁の判例になるということは決して珍しいことではない。もしこのとき、熊本氏が自らの少数意見を判決に書き残すことができていれば、その後の裁判の経緯も違っていたのではないだろうか。
 
 しかし、何といっても異様なのは、事件発生以後の58年のうち、第1次再審請求が出されてからの43年間という期間が、そのうちの4分の3を占めるという事実である。再審請求の要件が厳しいというだけでなく、たとえ裁判所が再審請求を認めても、検察側の異議申し立てを認めているために、再審請求→異議申し立て→請求棄却→即時抗告→棄却→特別抗告→棄却……というプロセスが延々と続いていたずらに時間だけが浪費されてしまうのである。無罪判決に対する検察側の上訴を認めている制度も問題ではあるが、それ以上に、再審での有罪立証の機会がある検察が、再審決定自体への異議申し立てを可能にしている現行刑事訴訟法は即刻改正する必要があるだろう。
 
 この事件は発生当時、マスコミが警察発表を鵜呑みにして袴田さんを犯人と決めつけ、センセーショナルな報道を行ったが、それが裁判に与えた影響も無視できない。実際、熊本氏が説得できなかった裁判長は、無罪判決を出した場合の世論の反応を気にしていた節がある。裁判官の大半は他の国民と同様、俗物でしかありえないため、そうしたマスコミ報道の影響を強く受ける。袴田さんの無罪判決を報じた27日の東京新聞は一面で、事件当時の報道について「袴田さんにおわびします」という文章を載せたので、私は好感を持った。他の新聞はどうだったのだろう。ただ東京新聞も電子版ではその文章が見当たらず、社説でもそのことに触れていないのは残念に思った。大きな刑事事件が発生すると、マスコミが警察発表を鵜呑みにして、被告人でもない被疑者段階から被疑者を犯人扱いし、その後の裁判に影響を与えるだけでなく、(真犯人であろうとなかろうと)被疑者の人権を侵害しているという問題は、1985年頃から浅野健一氏の『犯罪報道の犯罪』などで告発されていたが、なかなか改善が進まず、1994年の松本サリン事件では被害者の河野義行さんを犯人視した大報道を繰り広げるという大きな過ちを犯した。このとき、そしてそれ以後の河野さんの態度は実に立派だったが、マスコミもその後、河野さんを講師に招いて研修などしたはずだが、その教訓は今日活かされているのかはなはだ疑問である。
 
 袴田事件については他にも論じるべき論点はたくさんあると思うが、今日のところはこの辺でお茶を濁したい。

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