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トランスジェンダリズムやジェンダー・イデオロギーに関連した記事
初めての猫との暮らしのあれこれを綴ります。
歴史の事実に基づかない憲法9条幣原発案説の誤りを具体的に指摘します。
1993年から30年間の日本における歴史修正主義の広がりを検証します。
毎年、この時期は忙しいが、なかでも最近2週間の忙しさは、過去に経験したことがないほどだった。行きの通勤電車では仕事の段取りのことで頭がいっぱいで本やネットを読むどころではなく、帰りの電車では疲れてしまって、何も読む気力が起きないことが多かった。たまに読書意欲が残っていたときでも、堅いもの、難しいものは精神的に受け付けなかったので、何か気軽に読めるものはないかと探していたら、平野啓一郎の短編集『富士山』が面白そうだったので、Kindle版をスマホにダウンロードして帰りの車中で
英サセックス大学の哲学教授だったキャスリン・ストックの『マテリアル・ガールズ――フェミニズムにとって現実はなぜ重要か』の内容を紹介したい。ただし、この重厚な内容を1回で紹介することは、短文家の私にはとても無理なので、数回にわけて紹介できればと考えている。(なお、私事で恐縮ですが、現在非常に多忙なため、第2回がいつになるかは保証できません。) 現代のトランス活動家のジェンダーイデオロギー(著者の言う「ジェンダーアイデンティティ理論」)を厳しく批判した本書が2021年に出
30歳を越えた息子が毎日仕事もせず、一日中家でゴロゴロして、ベタベタ甘えてくるようになったとしたら、親としては心配になり、「いい加減家から出たいったらどうか」などと言いたくなるかもしれない(子育て経験がないので、あくまで勝手な想像ですが…)。ところが、これが猫となると全く話が違ってくる。 わが家の猫は4歳4か月なので、人間で言ったら32歳も過ぎて、33歳くらいかもしれない。元々人懐っこい猫で、私にも連れ合いにもよく懐いており、私か連れ合い(もしくは双方)が家にいるとき
以前こちらで紹介した歴史学者の杉谷直哉氏が東大先端研に新論文「“平和主義者”ダグラス・マッカーサーの実像――憲法第九条の父をめぐる言説史」を発表された。前回の論文「“平和主義者”幣原喜重郎の誕生――憲法第九条「幣原発案説」の言説史」の姉妹編とも呼ぶべき内容で、憲法第9条の発案者をめぐる論争において主役の座を競わせられているマッカーサーと幣原喜重郎のいずれをも引用符付きで「“平和主義者”」と呼ぶことで、両者もしくはどちらか一方を「平和主義者」であるかのごとく思っていた読者の“
年間読書人さんから拙記事に頂いたコメントに返事を書いていたら、数年前に読んだダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー(上・下)』を思い出した。著者のダニエル・カーネマンはノーベル経済学賞を受賞したことから、ときどき経済学者と勘違いされることがあるそうだが、あくまで認知心理学者であり、その知見を人間の経済行動に応用した研究(プロスペクト理論)がノーベル経済学賞の評価対象となったらしい。 本書は人間の思考の癖がどのような誤った推論に陥るかを様々な角度から実証研究したもので
先日紹介した斉藤佳苗氏の『LGBT問題を考える』に続き、トランスジェンダリズムの問題点を考える良書が相次いで出版された。キャスリン・ストックの『マテリアル・ガールズ』(慶応義塾大学出版会、9月20日発行)に、女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会編『LGBT異論』(鹿砦社、9月28日発行)である。なお、キャスリン・ストックについては、『LGBT問題を考える』の中でも紹介されていた。 ここでは、先に読み始めてまだ読み終わっていない『マテリアル・ガールズ』ではなく、一昨日入手
この10月7日でイスラエルによるガザ・ジェノサイドから1年が経った。死者の数は4万人をはるかに超え、そのうち約2万人が子どもである。9割の人が家を失って避難民となり、水も電気もガスも食料も医薬品も足りず、飢餓と感染症が蔓延し、毎日無辜の民が虐殺され続けているのに、何もできない無力感の中、岡真理さんの『アラブ、祈りとしての文学』を読む。2008年に書かれた本だ。 この本を通底するテーマは、「パレスチナでパレスチナ人が毎日虫けらのように殺されているとき、文学に何ができるの
元号が昭和から平成に変わった1989年、中国では天安門事件が起き、ヨーロッパではベルリンの壁が崩壊し、東欧各国で共産党政権が崩壊して「東欧革命」と呼ばれ、年末にはマルタ島で「冷戦終焉」が宣言された。この年、日本の憲法学者・樋口陽一氏はパリで開かれたフランス革命200周年を記念する国際学会で「4つの89年」と題する報告を行い、アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマは『ナショナル・インタレスト』誌に「歴史の終わり?」と題する論文を発表した。「4つの89年」は、イギリスの名誉革
「黄色い家」といえば、フィンセント・ファン・ゴッホが1888年、芸術家のコミュニティーを夢見て南仏アルルに借り、黄色く塗った家家を描いた絵(ヘッダー写真、1888年9月、ゴッホ美術館蔵)を思い出す人も多いだろう。この家の中の自分の寝室を描いた絵(「アルルの寝室」1889年9月、シカゴ美術館蔵)も有名だ。同年10月、この地にやってきたゴーギャンとの共同生活は芸術観や性格の違いからうまくいかず、有名なゴッホの耳切事件によって破局を迎え、ゴッホは精神病院に入院することになった。
静岡地裁が袴田さんに対する無罪判決を出した。事件発生から58年、最高裁による死刑判決から44年、第1次再審請求からでも43年が経過している。気の遠くなるような年月である。その間に袴田さんは拘禁反応により本来の自由な精神を奪われてしまった。 袴田事件には日本の刑事裁判の問題点が凝集されている。考えるべき問題、議論すべき論点はあまりにも多く、今ここでそれを論じる能力は私にはない。ただ、思いついた2,3の感想のみ記すにとどめたい。 ほとんどの冤罪事件に共通しているのは、日
素晴らしい本が出版された。医師の斉藤佳苗さんが書かれた本書は、今後、トランスジェンダー問題について考えたり議論したりする際に、真っ先に参照されるべき基本書・教科書となるべき書籍である。なお、タイトルにある「LGBT問題」とは、実質的にはトランスジェンダー問題のことであり、性的指向を表す「LGB」はほとんど関係ない。また、著者の言う「LGBT思想」とは、別の言葉で言えば、「トランスジェンダリズム、ジェンダー・イデオロギー、性自認(至上)主義」などとも呼ばれて、要は「性別は肉体
『ねこのきもち』10月号は、「私たち、大好きな愛猫がいるから○○やめました」という特集を載せている。そこで挙げられているのは――、 ・仕事が終わったら、寄り道をして帰らなくなりました! ・飲み会の2次会にはいかなくなりました ・2泊以上の旅行はしなくなりました ・朝寝坊をしなくなりました ・猫グッズを買うため、無駄遣いがなくなりました! ・夫婦喧嘩が減りました ・禁煙しました! ・猫のいる部屋でアロマを楽しむのはやめました ・観葉植物や生花を飾るのをや
『情況』夏号の「トランスジェンダー」特集を批判する声明が出た。これまでのトランスジェンダー権利擁護活動家(TRA)の動きから考えると、予想通りというか、むしろ遅すぎたんちゃうん、今まで何やっとったん?って感じである。 しかも、これまた笑っちゃうほど予想通りなのが、誰のどの論考のどの部分が具体的に「ヘイト」なのかという指摘が全くないまま、「明白なヘイト言説」だの「差別や抑圧の是認」などと批判しているところである。 声明は、「「トランスジェンダー特集」は、「言論の自
1カ月ほど前のことだが、作家の星野智幸氏が朝日新聞に「言葉を消費されて「正義」に依存し個を捨てるリベラル」という文章を寄稿していた。私は共感と同時に疑問も抱いた。もう少し掘り下げることができれば、星野氏の気づいた現代社会の問題点をより的確に理解できるのではないかと思った。少し時間が経ってしまったが、そのことについて書いてみたい。 星野氏の論考の要旨はこうだ―。 11年前、星野氏は朝日新聞に寄稿した「『宗教国家』日本」のなかで、長期の景気低迷と原発震災によって自信を失
戦前の日本があの無謀な太平洋戦争へと突入していくまでには、おそらく無数の転機があったに違いなく、そこから一つだけターニングポイントを選び出すことは不可能だろう。しかし、極めて重要なターニングポイントをいくつか選べと言われたら、その中に、1935年に起きた天皇機関説事件を挙げる歴史研究者は多いだろう。天皇機関説事件は歴史や憲法を勉強した人なら名前くらいは知っていても、それが後世に与えた影響まで的確に指摘できる人は、専門家を除けばあまりいないだろう。そんな一般人に対して、天皇機
かつて私は自分のことを「犬派」だと思っていたが、考えてみれば、これほど馬鹿げた勘違いも珍しいだろう。実は「猫派」だった、というのではない。それまで猫を飼った経験が一度もなく、(犬と猫では)犬しか飼った経験がなかったにも拘わらず、なぜ自分を「犬派」だなどと考えられたのか、そこが馬鹿馬鹿しいのである。考えてみれば、他人の家で猫を触ろうとしてもあまり触らせてくれなかったり、野良猫に近づいても逃げられたり、といった経験のみから、猫は犬ほど可愛くない、と短絡的に決めつけていたのである