なぜ幣原は”9条を発案した”のか(笑)
タイトルを見て、私が幣原発案説に改宗したと早合点しないで頂きたい。引用符や「(笑)」は意味なくつけているわけではない。幣原が9条を発案したはずがないと考える理由はこのnoteでも何度も述べてきた。
先日、歴史家の杉谷直哉さんの「「憲法第九条は日本人がつくった」…すでに否定された「神話」が今でも支持されるワケ」という論考が『現代ビジネス』に掲載され、それがヤフーニュースにも転載されて反響を呼んでいることを紹介した(こちらの記事)。その中で、「X(旧ツイッター)上では、杉谷氏のこの記事を「チェリーピッキングもいいとこだわ」などと一方的に論難している研究者もいるようだ」と書いたが、杉谷さんはその研究者、すなわち中野昌宏氏に直接抗議するとともに、中野氏に対する以下の反論文を公表された。
なぜ「平野文書」は使うべきではないのか―中野昌宏氏の批判に応える―https://researchmap.jp/sugitani-naoya/research_blogs
優れた歴史家らしい精緻な論証により、完膚なきまでに中野氏の幣原発案説を打ち砕いている。これを読めばどちらがチェリーピッキング(自分にとって有利な証拠だけを選び、不利な証拠を隠したり無視したりする行為)を行ったのかが一目瞭然となる。
ところで、こうした幣原発案説批判をするとすぐに「発案者なんてどっちでもいいじゃないか」という反応が返ってくることが多い、と杉谷さんは書かれているが、それは私もよくわかる。杉谷さんも指摘しているように、幣原発案説の批判者は発案者にこだわっているわけでは決してない。杉谷さんが上記論考で使われている比喩を私なりにアレンジして表現すれば、糞の混入した味噌汁を「美味しいよ」と勧めている人たちがいるので、「危ない! それは糞が混じっているから飲んじゃダメだ!」と警告しているのが、幣原発案説批判者だ、ということになろう。虚偽の上にはどんな立派な議論も成り立たないからである。
それにしても不思議なのは、幣原発案説を唱える研究者はなぜ誰もそれを批判する研究に対してまともに応答しようとしないのだろうか。誰しも「フィルターバブル」的環境の中で、自分の主張に有利な証拠を集めようとしてしまう傾向があること自体は避けられないが、明らかに自分の主張を真っ向から否定する証拠に直面したときに、どう対応するかで、研究者ならもちろん、そうでなくても、人間の質が問われるのではないだろうか。こういうときに、「訂正する力」を持っている人は立派だが、残念ながらそういう人は少ないように思う。
もうひとつXをやらない私から見て不思議なのは、立派な社会的地位もあり、一対一なら礼儀正しい行動もとれる人が、なぜSNSでは平気で人を罵倒するような暴言を吐いたりできるのだろうか。そういう意味ではXは人間の醜い面を引きずり出す装置でもあるのだろうか。くわばらくわばら。
さて、ここでようやくタイトルの話に入るのだが、私も非力ながら、杉谷さんに加勢する論拠を一つだけ付け加えてみたい。
幣原発案説論者によれば、幣原が9条を発案したといえる最大の根拠は、1946年1月24日の幣原=マッカーサー会談(いわゆるペニシリン会談)の場において、幣原がマッカーサーに9条を発案したことを、当事者の2人が揃って証言しているからだ、という。ここにすでに間違いがあるのだが、幣原が、自分がマッカーサーに対して9条を提案した、と証言した文章は存在しない。「幣原からそう聞いた」といった間接証言は存在するが、それには資料的な裏付けがなく、逆の(これまた資料的な裏付けのない)間接証言も多数あるので、そうした裏付けのない正負両方向の間接証言はここでは無視することにする。
しかし、幣原は政府が憲法改正草案要綱を発表したとき(1946年3月6日)の首相であったので、枢密院や戦争調査会、貴族院本会議など、数多くの場面で、憲法草案を支持する立場からの趣旨説明を行っている。もし幣原が9条の発案者であったならば、そうした説明に、幣原の発案理由も表れているであろう。ここではいったん、幣原が9条発案者であったと仮定して、「幣原はなぜ9条を発案したのか」、幣原自身の発言からその理由を探ってみよう。
幣原は1946年3月20日、枢密院で草案発表の経緯を説明したが、その中で、9条規定の理由について、次のように述べている。
原子爆弾の発明は世の主戦論者に反省を促したのであるが、今後は更に之に幾十倍幾百倍する破壊的武器も発明されるかも知れない。こんにちは残念ながら世界はなお旧態依然たる武力政策を踏襲しているけれども、他日新たなる兵器の威力により、短時間に交戦国の大小都市ことごとく灰燼に帰し、数百万の住民が一朝塵殺せらるる惨状を見るに至らば、列国は漸く目醒めて戦争の放棄を真剣に考えることとなるであろう。
幣原はまた、同月27日には戦争調査会で、次のような発言を行った。
戦争を放棄すると云うことは、是は夢の理想である、現実の政策でないと考える人があるかもしれませぬけれども、併し将来学術の進歩発達に依りまして、原子爆弾の幾十倍、幾百倍にも当る破壊的新兵器が将来決して発見せられないことを何人が保証することができましょう。若し左様なものが発見せられましたる暁におきましては、何百万の軍隊も、何千隻の艦艇も、又何十万の飛行機も、全然威力を失って、短期間に交戦国の大小都市は悉く灰燼に帰し、数百万の住民は一朝塵殺しになることも想像せられないことはありませぬ。今日我々が戦争放棄の宣言を掲ぐる大旆を翳して、国際政局の広漠たる野原を単独に進み行くのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私共と同じ旗を翳して、遥か後方に踵(つ)いて来る時代が現れるでありましょう。
幣原は翌4月22日には再び枢密院で、次のような趣旨説明を行った。
現在に於きましては、諸国は尚武力政策に執着するの状況でありますが、学術の急激なる進歩は益々恐るべき破壊力を有する武器の発明せられないことを、何人が保証し得られましょう。斯かる発明が完成せられたる暁には世界は初めて目を醒まし、戦争の廃止を真剣に考える時があるものと思われます。我々は此大勢を察し、今後は新武器の発明又は整備よりも、全然武器使用の機会なからしめんことを、最先の目標として、この条項を草案の一眼目と致して居る次第であります。
ほかにもまだ9条に関する幣原の発言はあるが、要するに幣原が最も強調していることは、原爆の開発によって、軍備による防衛が無意味になった、ということである。では、マッカーサーは何と言っているか、『マッカーサー回想記』の中から、1月24日の幣原との会見の場面を描いた一節を抜き出してみよう。
首相をそこで、新憲法を書上げる際にいわゆる「戦争放棄」条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい、と提案した。そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意志は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。/首相はさらに、日本は貧しい国で軍備に金を注ぎ込むような余裕はもともとないのだから、日本に残されている資源は何によらずあげて経済再建に当てるべきだ、とつけ加えた。
マッカーサーによれば、幣原が戦争放棄条項を提案した理由は、第1に「旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すこと」、第2に「日本にはふたたび戦争を起す意志は絶対にないことを世界に納得させる」こと、第3に、「軍備に金を注ぎ込むような余裕はもともとないのだから、日本に残されている資源は何によらずあげて経済再建に当てるべきだ」ということである。
両者の言葉を並べてみれば、違いは一目瞭然だろう。マッカーサーの回想記には、幣原があれだけ強調していた原爆の発明による軍備の無意味化といった話はどこにも出てこない。逆に、幣原による9条の趣旨説明には、マッカーサーが挙げた3つの理由がどこにも出てこないのである。特に重大なのは、幣原の発言にはどこにも侵略戦争に対する反省が見当たらない、ということである。むしろ、「日本が袋叩きになって、世界の輿論が侵略国である、悪い国であるというような感じをもっております以上は、日本がいかに武力をもっていたって、実に役に立たないと思います」(46年9月13日貴族院憲法改正特別委員会)といった発言があるくらいで、日本が侵略国であるというのは不当な非難だといった気分が読み取れよう。「日本にはふたたび戦争を起す意志は絶対にないことを世界に納得させる」といった積極的な意思表示ではなく、不当な国際世論の中でのやむを得ざる処世術、といった気配が濃厚なのである。
マッカーサーが9条(のような不戦・非武装規定)を憲法に入れる決意をした真の理由ははっきりしている。天皇の戦争責任や天皇制について批判的で、憲法改正問題についてもうるさく容喙してくる可能性の高い極東委員会の先手を打って憲法改正のレールを敷き、対日占領政策でのフリーハンドを維持するためだった。
しかし、もし幣原が、不戦のみならず非武装まで規定した9条を発案した、というのであれば、これは大変な(画期的な or 非常識な)ことであった。どこからそんな発想が出てきたのか、なぜそんな規定を入れるのか、というのは9条に関する最も重要な思想問題である。その理由づけが、幣原自身の説明とマッカーサーによる“回想”(=創作)とではまるっきり食い違っているのである。これだけでも幣原発案説を疑うには十分であろう。
【後書】
この記事で書いた論点は、幣原発案説を疑う根拠の中で有力なものというわけではありません。というより、幣原発案否定論者の中で、この論点をとり上げた人を寡聞にして知らないため、あえてここで取り上げた次第です。しかし、意外と重要な論点なのではないかと思っています。もちろん、幣原発案説を疑うべき根拠は他にも数多くあります。