見出し画像

時代

 元号が昭和から平成に変わった1989年、中国では天安門事件が起き、ヨーロッパではベルリンの壁が崩壊し、東欧各国で共産党政権が崩壊して「東欧革命」と呼ばれ、年末にはマルタ島で「冷戦終焉」が宣言された。この年、日本の憲法学者・樋口陽一氏はパリで開かれたフランス革命200周年を記念する国際学会で「4つの89年」と題する報告を行い、アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマは『ナショナル・インタレスト』誌に「歴史の終わり?」と題する論文を発表した。「4つの89年」は、イギリスの名誉革命を受けて権利章典が制定された1689年、フランス革命が起きた1789年、大日本帝国憲法が公布された1889年という歴史の大きな流れの中に1989年を位置づけたものであったが、樋口氏自身、この報告の後に東欧革命や冷戦終結宣言が出て、自分が当初考えていた以上に1989年が大きな意味を持つものになったと述べている。「歴史の終わり」は、イデオロギー対立の時代が終焉し、リベラル・デモクラシーが普遍化した結果、それ以後の世界史は大きなイデオロギー的対立がなくなる時代が到来すると予測したものだったが、こちらはかなり予想が外れたかもしれない。
 
 「ミネルヴァの梟」ではないが、後から振り返ってみれば、やはりこの頃ひとつの時代が終わったように感じる。これ以後、新自由主義が世界を席巻して格差の拡大と国民の分断が進行し、歴史修正主義、あるいは歴史の「政治化」が世界的に進行し、日本ではバブルに続いて中産階級が崩壊し、失われた30年から失われた40年へと無限延伸を続け、もはや老後は年金に頼れないので、株に投資するか(失敗しても自己責任だけど)、貯金がなければ死ぬまで働きなさいという社会になってしまった。
 
 私が個人的に、時代が変わってしまったなと最初に感じたのは、90年代の中頃だったか、「勝ち組」「負け組」という言葉が何の恥じらいもなく堂々と使われるようになったときだ。一体いつから日本人はこんなに傲慢で冷淡な国民になってしまったのかと驚いた。少なくとも昭和の大衆文化は庶民の味方であり、我々貧乏人に対する視線にも温かいものがあったはずだ。次に驚いたのが、2004年に起きたイラク日本人人質における「自己責任」の大合唱であり、2006年頃からはネットカフェ難民や派遣切り、ワーキングプア、格差社会、果ては下流老人といった言葉まで流行するに至り、貧困が目に見えて広がってきた。今にして思えば、新自由主義イデオロギーが社会の隅々まで浸透した結果、失敗すればすべては自己責任とされてしまうので、生き延びるためには誰もが自分のことしか考えられない世の中になってしまっていたのだった。
 
 1997年には「新しい教科書をつくる会」とそれをバックアップする国会議員による「歴史教育議連」、改憲団体と宗教右翼が合体してできた「日本会議」とそれをバックアップする国会議員の「日本会議議連」ができて、「歴史修正主義」元年となったが、日韓ワールドカップと小泉訪朝の行われた2002年は「排外主義」元年となった。その後、本屋には嫌韓・嫌中・嫌北朝鮮本が平積みされ、街頭には在特会などネット右翼起源の排外主義団体による、聞くもおぞましい差別的で暴力的な言辞が溢れ、歴史修正主義と排外主義がネットから街頭まで覆い尽くすようになった。
 
 経済も政治も民主主義も衰退していくのとは裏腹に、メディアやネットには「ニッポンすごい!」「世界が驚くニッポン」などという幼稚な自己陶酔的言説が飛び交い、それは現在に至るまで続いている。若者は批判を悪しきものとして遠ざけ、誰もがポリコレ「正義」言説に飛びつき、「マスクをします」「ワクチン打ちました」と“良い子ちゃん”アピールに余念がない。「4つの89年」から30年後の2019年、樋口陽一氏は『リベラル・デモクラシーの現在』の中で、現代はイリベラルな国家主義とネオリベラルの経済自由主義によって、思想の自由と社会正義が挟撃される時代になったと特徴づけている。
 
 一言で言って、世の中から理想と希望と共感が失われ、矮小ナショナリズムと矮小「正義」ばかりが跋扈する世の中になってしまった。
 

いいなと思ったら応援しよう!