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黄色い家
「黄色い家」といえば、フィンセント・ファン・ゴッホが1888年、芸術家のコミュニティーを夢見て南仏アルルに借り、黄色く塗った家家を描いた絵(ヘッダー写真、1888年9月、ゴッホ美術館蔵)を思い出す人も多いだろう。この家の中の自分の寝室を描いた絵(「アルルの寝室」1889年9月、シカゴ美術館蔵)も有名だ。同年10月、この地にやってきたゴーギャンとの共同生活は芸術観や性格の違いからうまくいかず、有名なゴッホの耳切事件によって破局を迎え、ゴッホは精神病院に入院することになった。
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20年ほど前にアルルを訪れた際、「黄色い家」は、戦災で破壊され現存していなかったが、ゴッホが入院した病院は、現在は「エスパース・ヴァン・ゴッホ」という名で、展示室や図書館・資料館などになっていた。また、ゴッホが「夜のカフェ・テラス」で描いた店は、「カフェ・ヴァン・ゴッホ」として当時も営業していた。
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ところが、9月21日東京新聞夕刊のコラムに木村元彦氏が書いていた「黄色い家」は、そんなのどかな場所ではない。アルバニア北中部の都市ブーレルから約20キロ離れた山の中にあるその家は、1999年のNATO軍によるコソボ空爆以後、現地で3000人以上の罪のない民間人が拉致され臓器密売の犠牲になった現場である。拉致を行ったのはアルバニア系テロ組織KLA(コソボ解放軍)で、犠牲となったのは、コソボのセルビア系住民のほか、ロマや不服従のアルバニア系住民、その他の民族の人々である。
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この衝撃的な事件のことは木村氏が2023年1月に出版した『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)において詳しく記しているが、この事実を世界で初めて報告したのは、ICTY(旧ユーゴ国際戦犯法廷)の検事だったカルラ・デル・ポンテが2008年春に出版した著書『追跡――戦争犯罪と私』であった。拉致被害者は地下室や家畜小屋に監禁され、ある者はレイプされ、ある者は拷問され、ある者は処刑され、残りの人々はトラックに乗せて国境を越え、アルバニア北部のブーレル周辺にあるいくつかの拘束用建物に監禁された。外科医が到着すると通称「黄色い家」に連れ込んで内蔵を摘出され、外国の富裕層に密売されていたというのである。しかし、デル・ポンテの調査は難航を極めた。コソボを含むアルバニア人社会は法の支配よりも血族主義と血の復讐を良しとする氏族社会であり、目撃者は暴力と恐怖によって沈黙を強いられ、証言予定者は次々と暗殺されたからであり、KLAの幹部たちは今やコソボ(2008年に独立)の政治指導者になっているからである。
しかし、デル・ポンテの著作を受けて、欧州評議会法務人権委員会のディック・マーティ委員が調査を引き継いだ。彼は2010年12月14日に報告書「コソボにおける非人道的行為と臓器密貿易」を発表した。その中の一部を引用すると――。
臓器密売の犯罪を主として行っているのは、KLAという96年に結成されたアルバニアのゲリラ集団である。(……)KLAは紛争時から氏族の結束を武器に麻薬、売春などの犯罪を組織化し、紛争後に国際機関、とくにアメリカから流れてきた復興金を私腹に入れて、組織を京大にした。コソボ内で少数派となったセルビア人を捕虜として拉致し、若くて元気な捕虜を選別して食事を十分に摂らせて、アルバニア北部の「黄色い家」に運び、医師が臓器を取り出して密輸する、という臓器密売のルートもまたたく間に組織化された。
このマフィア組織の主導的なメンバーは、現在コソボ共和国の首相であるハシム・タチとその仲間である「ドレニカ・グループ」である。彼らはアメリカ政府と西側諸国の後ろ盾で勢力を拡張した。