やっぱり出た!『情況』トランス特集批判声明

 『情況』夏号の「トランスジェンダー」特集を批判する声明が出た。これまでのトランスジェンダー権利擁護活動家(TRA)の動きから考えると、予想通りというか、むしろ遅すぎたんちゃうん、今まで何やっとったん?って感じである。
 
 しかも、これまた笑っちゃうほど予想通りなのが、誰のどの論考のどの部分が具体的に「ヘイト」なのかという指摘が全くないまま、「明白なヘイト言説」だの「差別や抑圧の是認」などと批判しているところである。
 
 声明は、「「トランスジェンダー特集」は、「言論の自由」の名の下に「トランスヘイトの自由」を掲げる論考を掲載した。……今回の誌面においては、「言論の自由」が差別や抑圧の是認と混同されていると言わざるをえないだろう」と断じている。確かに『情況』の特集には、「トランスヘイトの自由こそ基本的人権である」と題する論考が掲載されており、その内容には私も反対である。しかしそれは、特集を構成する17本の論考やインタビュー・鼎談の中の1本にすぎない。他にも私が全く賛同できない論考は何本かあるが、特集を全体としてみた場合、大変有意義なものだと私は思う。しかし声明は、特集を全体として「差別や抑圧の是認」と断じているので、そうであれば、誰のどの論考のどの部分がそうであるのか、具体的に指摘すべきであろう。しかし、それが全くないのである。
 
 声明はまた、「特集に寄稿したLGBTQ当事者のひとりは、事前に特集テーマを正確に伝えられず、ヘイトの権利の主張と並べられるとは思わなかったと告発している」という。そうであれば、告発者の名前を実名で公表すべきであろう。「他のヘイト言説と一緒にされたくない」とおっしゃっているのであるから、名前を公表しなければ告発した意味がないであろう。それはともかく、『情況』の編集後記を見れば、特集の内容を知って、寄稿依頼を断った人が多くいたというのであるから、決して編集部が特集の内容を隠していたわけではないだろう。仮に特集の主流の傾向と自分の意見が違っていたとしても、自分がそこで言いたいことを言ったのであれば、一体何を告発するというのであろうか。考えられる原因としては、自分のお仲間に対して、「トランスヘイターの仲間」だと見られるのが怖いのではないか。なぜなら彼らは言説の中身を検討したりはしないからだ。
 
 声明はまた、「主たる寄稿者のイデオロギー的傾向が保守的リベラリズム(「言論の自由」の墨守)やいわゆる本質主義(男は男、女は女)と親和的な方向に偏っていることは明らかである」とも述べている。「主たる寄稿者」が誰のことかはわからないが、「イデオロギー的傾向」という漠然とした言葉に、「保守的リベラリズム」とか「本質主義」とかレッテル貼りして批判をしたつもりになっているのが可笑しい。これでは最初から「保守的リベラリズム」と「保守主義」は絶対悪だというコンセンサスをお持ちのお仲間にしか通じないであろう。いったいそれのどこがどう悪いのか、何の指摘もないのである。
 
 声明はさらに次のようにも言う。

「トランスジェンダー特集」は総体として、”傷つけない”ことを至上価値とする”正しさの体裁”を批判しようとしているのかもしれない。しかし結果的には、”みな対等に争える”という別の”正しい体裁”に陥り、やはり現実的力関係を隠蔽・否認しているのではないか。そんな”対等”がトランスジェンダーをめぐり今日どこにあるだろうか。

 具体的に問題点を指摘できないからか、自分で勝手に“仮想敵”の“仮想論点”を作り上げて、それに対して批判したつもりになっている。しかし、一体そんなことを誰が言ってるんですか? 誰も言ってないことを“批判”しても意味ないよ!
 
 最後に声明の署名者を見ると、「なぜこの人が?」という意外な人の名前も見える。これは推測にはすぎないが、特集全体(あるいは少なくとも特集の主要論考)を読んでいない署名者が相当数いるのではないかと思う。(もしも「読んだ」と開き直るのであれば、どこがどう具体的に「ヘイト」なのか指摘する責任がある。)なぜ読まずに署名ができるのかと言えば、星野智幸氏が朝日への寄稿文で書いていた通り、「リベラル派ならばヘイト言説を批判しなければならない」→「『情況』がトランスヘイト特集を出したらしい」→「それなら『情況』批判声明に署名すべきである」という思考パターンに基づくものである。このような安易な署名活動が、言論の自由を圧殺する恐ろしいキャンセル・カルチャーに加担していることを肝に銘ずるべきであろう。

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