猫のいる暮らし(3):猫本ベスト3(第3位)
かつて私は自分のことを「犬派」だと思っていたが、考えてみれば、これほど馬鹿げた勘違いも珍しいだろう。実は「猫派」だった、というのではない。それまで猫を飼った経験が一度もなく、(犬と猫では)犬しか飼った経験がなかったにも拘わらず、なぜ自分を「犬派」だなどと考えられたのか、そこが馬鹿馬鹿しいのである。考えてみれば、他人の家で猫を触ろうとしてもあまり触らせてくれなかったり、野良猫に近づいても逃げられたり、といった経験のみから、猫は犬ほど可愛くない、と短絡的に決めつけていたのである。犬と猫の習性の違いも知らず、そんなことから犬と猫の比較ができるなどと考えてしまったことが、我ながら馬鹿すぎる。「あなたは犬派ですか、猫派ですか」などという質問は、元来、犬と猫の両方を飼った経験のある人にしか意味をなさない質問だろう。しかし、質問する方も答える方も、そこまで考えずに聞いたり答えたりしていることも少なくないのかもしれない。
連れ合いは子どもの頃、犬も猫も飼っていたことがあり、そのうえで、「私は猫派だ」と常々公言していたので、これは一応信用してもいいだろう。我が家で猫を飼いたい飼いたいと言っていたのは連れ合いであり、ようやくペット飼育可のマンションに引っ越してきて、連れ合いの念願だった猫を飼い始めたのがちょうど4年前の9月である。そのころ、毎日ブリーダーのサイトを見ていた連れ合いが、ある日私に、「この猫ちゃんたち2匹のうち、どちらか飼いたいんだけど、どっちがいい?」と私に聞いてきた。私は一目見るなり、迷わず「こっち」と即決した。それがレオンである。私は当初、「飼いたければ飼えば」という態度だったのだが、いざ猫を飼い始めると、連れ合い以上に私の方がその可愛さにメロメロになってしまった。(後で知ったことだが、そういう人は結構いるようだ。)「こんなに可愛い動物がいたのか!」と思うほどの衝撃だった。いや、もちろん犬は犬で可愛いのだが、それとはまた全く違った種類の可愛さだった。
オスかメスかは全く気にしなかったが、たまたま選んだ猫がオスだった。選ばれなかった猫がオスだったかメスだったかは覚えていない。後で知ったことだが、一般的にメス猫はツンデレさんが多く、オス猫は甘えん坊で遊びたがりで感情表現が率直な子が多いと知って、オスで良かったと思った。レオンもその通りの性格だったからである。連れ合いは猫派のくせに、遊びたがり屋の猫は遊んでやるのが面倒くさいなどと言って、遊ぶ係はもっぱら私である。これまでに買ったオモチャは数知れず、壊れたりレオンが遊ばなくなって捨てたものも相当あるが、本棚の本の手前はレオンのオモチャで一杯である。
実は、レオンを飼い始めた頃、仕事で非常に嫌なことがあり、それから2年あまり精神的につらい時期が続いたのだが、そんなつらさは帳消しにして余りある幸せを与えてくれたのもレオンだった。飼い始める直前から「猫の飼い方」の類の情報を本とネットで急速に仕入れたのだが、それがひと段落ついた頃から、猫について書かれた本(主にエッセー類)も読むようになった。そんな猫本の中で、個人的ベスト3を紹介したい。今日はまず第3位、内田百閒『ノラや』(ちくま文庫)の紹介です。
これはたぶん、猫好き界隈では昔から有名な本だろう。夏目漱石の弟子として、百閒の名前だけは昔から知っていたものの、その小説はこれまでただの一つも読んだことがなかった。『ノラや』は百閒の猫に関するエッセイを集めたものだが、その大半は「ノラ」という、あるときから彼の家に住み着いた野良猫の子どもに関するものである。百閒夫妻はノラをことのほか可愛がって育て、ノラの可愛い行動や習性、それに対する飼い主夫婦の対応ぶりが一流小説家の緻密で的確な描写で綴られ、猫好きにとっては、「そうそう」「あるある」「わかるわかる」という気持ちにさせてくれるのである。ところが、そんなある日、ノラはいつものように一人で遊びに出たままプッツリと家に帰って来なくなるのである。そのときからの百閒の嘆きと取り乱しようは半端ではなく、あたり構わずどこでも泣き出してしまい、ご近所に聞こえてしまうと奥さんにたしなめられるほどなのである。そして、ノラを探すための奮闘もまたすごい。新聞案内欄に猫探しの広告を出し、新聞の折り込みチラシも何度も出し、近所の学校の子どもに渡す謄写版刷りを作り、NHKラジオや週刊誌でも取り上げてもらったり、果ては、外国人の家に紛れ込んでいるかもしれないと思い、英文のチラシまで作っている。似た猫がいると聞けば、すぐさま奥さんが確かめに行くが、そのたびに空振りに終わる。親切な人に、半年も経てば必ず戻ってくると慰められるかと思えば、いたずら電話も頻繁にかかってくるようになる。いつの時代も同じである。
エッセイと後掲の初出一覧等で確かめると、ノラが住み着き始めたのは1955年の秋ごろと思われ、失踪してしまったのは57年3月27日であるから、ノラが1歳半ごろのことと思われる。当時百閒は67歳である。ノラがいなくなってから書かれた最初のエッセイはその年の5月11日、つまり失踪後約1カ月半の時点で終わっている。次のエッセイはその続きで、1か月後の6月12日までの出来事が綴られ、その次のエッセイはノラがいなくなって半年後、さらにその次のエッセイは1年後に書かれている。そんな調子で、ノラのことを思い続ける百閒の気持が次々に綴られていくのであるが、1968年、ノラがいなくなって11年、百閒79歳の年に書かれたエッセイには、「今から十何年前の春爛漫たる3月27日の午後、花の咲き乱れたうちのお庭を通り抜けて南境から外へ出たまま、今日に到る迄いまだ帰ってこない。今更帰って来たら、猫の事だからそれこそ今の私にまさるじじいになっているに違いないが、それでも構わないから、今日にも帰ってこないかと待っている」と書かれている。そういえば、つい先日の東京新聞夕刊には、アメリカのサウスカロライナ州で失踪した飼い猫が11年ぶりに飼い主の元に戻ったという記事が載っていた。あり得ない話ではないのである。さて、ノラに関する最後のエッセイが書かれたのはその2年後の1970年であり、そこには、ノラが出て行って2日後か3日後、目が覚めてもノラが帰って来なかったと思った途端、予期しなかった嗚咽がこみ上げ、号泣したが、今思うと、その時ノラは死んだのだろう、という思いが綴られている。
『ノラや』にはもう一匹、クルツという猫の話も出てくる。クルツ(またはクル)は、ノラが失踪してから1カ月経ったころから百閒の家の近くに現れたノラに似た猫だったが、ノラと違って尻尾が短かったことから、(ドイツ語で「短い」という意味の)「クルツ」と名付けられ、やがて百閒の家に引き取られ、5年後、百閒夫妻の手厚い介護を受けながら息を引き取った。「帰って来なくなったノラと違って、してやり度いだけの事はみんなしてやった。クルがしたがった事はみなさせてやった」と書いている。それだけに百閒はクルについては心残りはなかっただろう。クルについてのエッセイも2編だけである。それに引き換え、理由もわからずある日突然いなくなってしまったノラのことはいつまでも引きずり続けなければならなかった百閒の気持ちを思うと悲しい。百閒が亡くなったのは、ノラに関する最後のエッセイを書いた1年後のことだった。