「いじめをやめろ」と言われたあなたへ
こんにちは、インドア海洋生物、エイです。
実は人をいじめた経験と、人にいじめられた経験と、人がいじめられているのを傍から見ていた経験、全部を持ってる残念野郎です。
この記事は、誰もいじめの加害者にならないために、という思いで書きました。
そして、いじめをしている人への説得材料に使えないか、という考えもあります。
参考にしてみてください。
いじめの前のきっかけ、それは、
「出会ってはいけない二人」
全世界、すべての人と仲良くなることは不可能です。
なぜなら、人には必ず、「絶対に付き合えない人」「お互いに悪影響を与えてしまう人」が一定数存在するからです。
「いじめ」の大半は、この二人が出会うことで始まるのではないかと、私は考えています。
案外身近に、「出会ってはいけない人」は存在する
例えば、エネルギーバンパイア、と呼ばれる関係性の人が存在します。
この関係性の人は、話したり付き合ったりしているだけで、こちらのエネルギーを奪ってしまうような関係性の人です。
自分の話しかできない、被害妄想的である、などが特徴としてあげられます。
ほかにも、フレネミー、と呼ばれる関係性の人が存在します。
フレンド(友達)とエネミー(敵)を足して、フレネミーです。
友達のように親しげに話しかけてくるものの、こちらが不快に思うようなことばかり言う人です。
どちらも、その人がそういう人間なのではなく、あなたにとって、そういう人間に映る、と考えてください。
いじめの前の不快感は、本能の警告
ある程度鋭い人ならば、自分にとってのエネルギーバンパイアが現れたとき、無意識にこんな感情を抱くはずです。
「むかむかする」
「なんか嫌だ」
「怖い、どうしたらいいかわからない」
本能的な部分が「この人に近づいてはいけない」と警告している証拠です。
「仲良くしなきゃ」は、いじめのはじまり
ところが、善意から警告を無視して、無理やり距離を近づけようとする場合があります。
本能的に相手を敵と認識しているため、言葉は自然と鋭くなります。
話すことも少なくなるし、ひょっとすると黙り込んでしまうこともあるかもしれません。
これらは「いじめ」と「無視」に当たるのです。
無意識にいじめている人は、本能的
もう少し考えよう
悪気なくいじめをしているような人は、大抵相手、つまりいじめられている人のことを、無意識に悪とみなしています。
相手が自分に悪影響だと感じ取っているからです。
だけど、相手にとってもそれは同じだ、ということを忘れがちです。
相手が自分の言動によってどう思うか、考える必要があります。
「自分さえよければ、それでいい」
こんな考えを続けていれば、自然と友達は離れてゆきます。
次に「悪」とみなされ、攻撃されるのは、自分かもしれないからです。
「出会ってはいけない人」に出会ったら、
距離を保とう
もし、どうしても優しくできない、言葉がつなげない相手がいたら、距離を保ってください。
無理に仲良くしようとすると、返って傷つける結果になります。
お互いに「絶対に付き合ってはならない人」であった場合、あなたの言葉すべてが、相手を傷つける可能性もあります。
「出会ってはいけない人」に出会ったら1
無視はしない。相手を殺してしまうから
ただし、無視は絶対にいけません。
無視は、相手を人間として扱わないのと同じ行為です。
相手を貶め、殺すこととなんら変わりません。
こちらから話しかけるのを避け、相手からの投げかけには答えましょう。
「出会ってはいけない人」に出会ったら2
相談相手は考えて選ぶ。集団を味方につけない
周りの人間に対して、その人の相談はしないようにします。
なぜなら、「苦手な人」の相談は、自然と「陰口」へとつながるからです。
陰口は、あなたの周囲の人に「あの人は敵だ」と知らせる行為です。
周囲の人は、あなたと同じように距離をとってくれるとは限りません。
あなた以上に、その人を攻撃する可能性があります。
とにかく、その人にかかわる最低限のやりとりを除き、すべて排除してください。
どうしてもストレスが大きい場合は、本人に絶対に伝わらない相手に相談しましょう。
実家の両親、遠いところに住んでいる友達、祖父母などです。
いじめは自分でやめるしかない
誰もいじめ加害者を弁護してあげられない
もし、あなたが、誰かをいじめる加害者になっていたら。
あなたは学校や職場を追われることは、ないかもしれません。
だけど、周りからあなたは、「異常者」「危ないやつ」として見られてしまいます。
実際、海外ではいじめた側が精神病院に送られ、いじめは解決されています。
日本ではいじめられた側が学校を移され、深い傷から立ち直れなくなったり、後から起こったフラッシュバックで命を絶つ例もあります。
人を殺しても平気でのんきに生きる人間、冷静に考えれば、とても危険な人間です。
誰も弁護はしてくれません。
いじめは、自分でやめるしかありません。
少しでも、危ないと思ったら、相手から距離をとってください。
絶対に加害者にならないでください。
その勇気と努力が、人の命を救い、いじめをなくす大きな一歩になるんです。
この記事が、一人でも多くのいじめをなくすことを、心から願っています。
エイでした。
この後は、あとがきです。
あとがき:
高校のころ、「いじめ」に関する専門の教授とお話しする機会がありました。
その教授は生徒たちに自分の著書を配り、いじめの心理について語りました。
だけど、私は腑に落ちませんでした。
なぜなら、著書の内容はあまりに被害者に偏っていて、加害者・傍観者のことはほとんど書かれていなかったからです。
加害者については、「誰もいじめをした記憶は持っていなかった」とだけありました。
いじめに関心をもつのは、大抵いじめられた側です。
だからいじめに関する著書は、被害者に寄ったものがほとんどでした。
「誰かが加害者側になりそうな人に、アドバイスをする必要がある」
そう思いました。
今回の記事を思いついたのは、TikTokやYoutubeの動画がきっかけでした。
大体こんな内容です。
「世の中には、どうしても分かり合えない人がいる。だから、逃げてもいい、離れた方がいい場合もある」
この考えには、とても同意しました。
だけど、もし、同じ人に対して、大勢の人が同じことを思ったら。
この考えから、相手を敵と認識して、攻撃したら。
それはただのいじめになってしまう。
世間で話題になっている、誹謗中傷も同じ原理です。
有名人であっても、世界中すべての人から好かれることはできません。
情報を受け取る人の中には、「出会ってはいけない人」が存在しています。
そして、「出会ってはいけない人」が、相手を悪と認識して、攻撃を行うのです。
あるいは、相手を遠ざけたい、消したい、という意思が働くのかもしれません。
結局それは、誹謗中傷です。
集団を味方につければ、炎上になります。
SNS上での距離の取り方は、現実よりずっと簡単です。
多くの人に発信されている「つぶやき」については、反応をしないことです。
たったこれだけでいいのです。
ほめろなんて言いません。
その指を止めればいいだけです。
指を止めただけで、命を救うことができるのです。
「発言の自由があるじゃないか」という人もいらっしゃるでしょう。
確かにあります。
だけどその自由には、責任がつきまといます。
「相手に自分の意志を正しく示し理解を得る責任」です。
無駄にあたりのキツイ言葉を使うこと、あえて皮肉った言い方をすること。
どちらも責任放棄です。
意見を言いたいのなら、相手を傷つけずに言葉を吐くだけの、思慮と技量、気持ちを持ってからにしましょう。
思慮も技量も気持ちもない意見は、中傷や批判につながります。
もっとも、私自身、いつも文章を書く時には綱渡りです。
この言葉は誰かを傷つけないか、誰かをのけ者にしないか、ということを考えながら、ひとつひとつ選んでいます。
もしかしたら、それで傷ついてしまう人もいるかもしれません。
だけど、私は確かに思慮し、技術を磨く努力をし、読む人を思う気持ちを持っています。
私にとっての「出会ってはいけない人」でなければ、傷つくことはないはずです。
もし、これを読んだ方のなかに、私の言葉で傷つく「出会ってはいけない人」がいたら、ごめんなさい。
でも、関心を持ってくれたこと、出会ってくれたこと自体に、感謝をささげます。
それでは、また。
エイでした。