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文章修行再開。 近日人間の名前に戻します。

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魔法使いはいらない

 五年生になった時から担任の先生がキラいでキラいで、いっつも顔怒ってるから誰怒っとるんや思うてよう見たら僕を怒ってるらしい。  先生の名前は大江信一。歴代担任最速で覚えた。  他のクラスの担任の先生はアイドルみたいなかっこいい先生やのに、うちの大江先生は時代劇で切られる専門みたいな顔をしてる。  まあ、僕も怒られたくらいでしょげるのがイヤなのでわりと反発をした。  反発をしたら何回も職員室に呼び出された。あくじゅんかん、や。  お母さんからついでに、じょーしゅーはん、いう言葉

    • 空から聞こえた音楽

      後輩たちから贈られた花束を両手で庇いながら暖簾をくぐる。 「ごちそうさま。私は随分酔ったから帰らせてもらうね」 (二次会は60のおばちゃん抜きで楽しんでね) 音楽の先生になれなかったピアノ科ポンコツ学生は今日保険の営業を卒業する。 社内表彰を受けることができたのはビアノを捨てたからだ。出世したのは音楽を憎んだからだ。上司に誉められたのは嫌いな演歌をクライアントに合わせて歌ったからだ。 ピアノのリサイタルが映るテレビのチャンネルを替えたからだ。同窓会に出席しなかったからだ。

      • 冬の星座

         ミナちゃんは部屋に宝石シールを広げて夢中になって並べている。 散らかったおもちゃを念入りに片づけたあと、カーペットをお空にして宝石シールで星座を描いている。  おじいちゃんはいろいろな星座の形を教えてくれた。あれはオリオン座。あれは北斗七星。すぐにミナちゃんはおじいちゃんより早く星座を見つけられるようになった。はしゃぎ声とガッツポーズ。  ミナちゃんは一人で星座を眺めるようになった。わからない時は絵に描いて病室のおじいちゃんに訊ねたがだんだん答えてくれなくなり、ついには

        • ドはドーナツのド

           孫はこないだもドーナツだったじゃないかと妻に文句を言っている。自分の叫び声に盛り上がり泣き始める。  そこで私の出番。ドーナツをいかにも旨そうに食べ始めると孫は泣き止む。ただ甘えたいだけなのだ。ドーナツが問題じゃない。 「また蒸しパン?」  私はばあさんに文句を言った。 「こないだ好きって言ってたじゃないか」 「同じものばっかりじゃ飽きちゃうよぉ!」  ぐずる。  ばあさんは孫が喜ぶと繰り返す。  孫はすぐ飽きる。  出張先からの降雪渋滞で私はばあさんの最期に立ち会えな

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        魔法使いはいらない

          遠き島より

           じいさんの家の床の間には椰子の実が転がっていた。それは十分に乾燥しずっしり密度感があってしっかり磨きこまれたような光沢があった。  そしてそれは時々家の中のあちこちを漂流してはまた元の位置に漂着した。漂流の張本人は子どもの時分の私に違いなく漂着に導いたのはばあさんであった。  子どもの柔らかい爪で押したくらいで凹まない。固くてかてか光る椰子の実を見てはこれは木の実でなく木そのものではないのかと思って匂いを嗅いだり先端を探り繊維を割こうとしたりしたが子どもの調査にはせいぜい

          遠き島より

          たくぼうとじいじと夏 【落語台本】

          孫と祖父  ある夏の日のことでございます。  この家のわんぱく坊主が縁側にもたれかかってさっきから落ち着かない様子で家の中をのぞいております。 たく「おーい!じいじ、じいじ!」 じい「おお、たくぼうか。ジージジージてセミの鳴き声かと思うたわ」 たく「しっかりしてえな。男と男の大事な話があるんやで」 じい「なんや、大ごとやな。ぶるぶる緊張してきたわ」 たく「おカネを融通してもらいたいねん」 じい「えらいもんやなぁ。今日びの六歳は難しい言葉知っとるんやのう」 たく「じいじ知ら

          たくぼうとじいじと夏 【落語台本】

          ヒサシブリちゃん

           私はOLだ。  求職中だが南大阪出身なのでオオサカレイディでOLだ。  そんなくだらないことを言っている暇があったら夕飯の後片づけくらいしたらどうだと言われそうだがしようとは思っている。しようとは思っているのだが、ただ今キッチンに入れない。  キッチンに「アイツ」がいるのだ。  思い出しても気が遠のきそうなのでひとまず頭の中を初期化した。初期化してもなんの変化もないので最初から空っぽだということが判った。  ちなみに私はつい今しがたキッチンで天井に頭ぶつけるほどジャンプ

          ヒサシブリちゃん

          潮騒

          この街の赤い色を全てかき集めてきたかのように砂浜も海辺も一斉に赤一色をまとい始めた頃、ギターを持った一人の老人が浜辺にやってきた。 歩道と砂浜の間に一部コンクリートのステージのようになっているところに腰かけて咳払いを一つするみたいにギターを小さくジャランと鳴らした後、慣れた手つきで調弦を始めた。 その調弦から境目なくボサノバのリズムを刻み出し、さらにつぶやくように歌い始める。 老人のギターの調べに誘引されるかのようにしてジーンズにイエローのTシャツ姿の女がやって来て、老人のす

          ダブルレインボウ

          折り畳み傘をやや大げさに振り露を切った。空をさっと洗うような一瞬の通り雨だった。 私は秋の盛りを越えたあたりのこの頃が一番好きだ。 凛とした空気はどこまでも透明を保ち、空を見上げたらその清々しさに自然と背筋が伸びてしゃんとする。 さらに今日なんとなく嬉しいのはバッグにウエハースが一包み収まっているから。 父さんがウエハースを食べたい食べたいってね、と母が身づくろいを始めた。 父の咳は日増しに酷くなりあとどれくらい一緒にいられるだろうか。 私が行くよと言うと、母はショールを慣

          ダブルレインボウ

          ガムランボール 【短編小説】

          都心にありながら新しさを競う周辺の景色には全く関知しないかのような古びた店構え。そしてどこを見たら店名が判るのかこちらから探しに行くほどにささやかな看板。 なんとなく以前から気になってはいたもののわざわざ中に入って見に行くこともなかった。 それよりも食事さえ済ませたら机に早く戻って、午前中に片づけ切れなかった残務を少しでも早くやっつけたかった。 しかし、その日は違った。 一緒に出た同僚に声を掛ける。 「先に戻っててくれないか。俺は少しそこの店覗いてから戻るよ」 同僚だって忙し

          ガムランボール 【短編小説】

          【よみがえる遺産】 そんな壮大さとは無縁だけれど

          果報者さんから確かにバトンをお受けしました。 昨夜、果報者さんのこの投稿作品を読み進めるうちに後方のくだりに突然にして自分の名前を発見するに至り、えっ!と壮大な「遺産」タイトルと無防備な自分の姿を比較確認するしかございませんでした。 インドネシアに住んでいるものにとって「遺産」はボロブドゥル寺院です。 まこと畏れ多いこと。 果報者さん、ご指名を有難うございます。ところでバトンてこんなに重たかったっけ。。 果報者さんのこと果報者さんご自身も書かれていますようにGreen be

          【よみがえる遺産】 そんな壮大さとは無縁だけれど

          雲の上のふじこさん 【短編小説】

          僕はモノ書きになりたいと思っている。 それなりの気概を持っているつもりだが、時々はもう一人の冷めた自分が出てきて大志を抱いているその青年のことを「身の程知らずの夢見る夢子ちゃん」呼ばわりする。 大学の専門課程を徹底的に修めて飯はこちらで食っていこう、僕の専門分野は世界的に専門家が不足している技術分野だからこっちを選んだ方が食べていける確率は高い。モノ書きの夢は一生をかけて少しずつ実現させよう、とそろそろ「院」への進学準備のこともあって、そんな夢のない夢の持ち方も芽生え始めてい

          雲の上のふじこさん 【短編小説】

          カレーなるごろごろライスカレー 【ショートショート】

          山之内スミエ先生!先ほどはうちのスタッフが大変失礼いたしました! 今日の「ハロー!クッキング!」は先生の料理の回と知りながら他の料理番組の台本と入れ換わってMCに渡してしまいまして、しかも一番肝心な先生の紹介の時にイタリア人料理研究家名を大きな声で言ってしまいました。 Abramo Torisginoってよりによって先生に、油も摂り過ぎ~の、って洒落になりませんよね。 しかも男性名ですよ。MCは山之内先生をちゃんと見て言ったんですかねえ。仮に男っぽく見えてもイタリア人には見え

          カレーなるごろごろライスカレー 【ショートショート】

          喜び 【ショートショート】

          その昔、何か調べものをするには図書館に行くしかなかった。 多くの人はそのためにバスや電車を利用することになる。 しかし、知りたい情報が必ずそこに揃うとは限らない。また、目的とする情報の収まった本があったとしても他者がその本を借りているのであれば何日間か待つことになる。その間また何度か図書館の往復となる。 その場合は書店に行って自分で本を買う。もし、幸運にして家族や知人がその本を持っているならお願いして貸してもらうこともできる。ただし場合によってはお礼の菓子折りを準備する必要が

          喜び 【ショートショート】

          三日間の交流 【ノンフィクション】

          ホテルの部屋に荷物を投げ置いてすぐさま飛び出し、バリ島はクタのメインストリートの夜道を一人足早に歩き始める。 急に暗がりになる大きくカーブを描くあたり、その脇の空地から、兄さん!と呼び声が聞こえる。 その声の主はエンジンを切ったバイクにまたがっている男であった。夜の悪い遊びを誘ってくる。 暗がりで顔がよく見えないが笑っているのが判る。 急いでいる、と通り過ぎようとすると男はにやりと笑い、 気付かないのか、というように、後ろに座る女を顎で指し下品な笑いを浮かべた。 街灯で男の顔

          三日間の交流 【ノンフィクション】

          おむすびが食べられない 【エッセイ/#おむすびの輪】

          はじめに私ただいまインドネシアに単身赴任の身でございます。 しかも住んでいるところが在留日本人一万人のジャカルタでなく、何百人のメダンですのでまず日本のあのしっとり甘い米が日常的に手に入りませんし口にも入りません。 おむすびのことを思うと、大人の社会ですっかり汚れてしまった自分自身の手でにぎっても、それも塩おむすびでもいいので、あの日本のふっくらとしたおむすびが食べたいものです。 当初このあまりに平和で幸せな「おむすびの輪」というタイトルを見た時は実に大人げないのですが、いじ

          おむすびが食べられない 【エッセイ/#おむすびの輪】