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誰もやらないことをやる
「誰もやらないことをやりたい」
心の奥底から湧きあがってくる
思いがある。
ここでいう「誰もやらないこと」とは、他人との比較ではない。
ご先祖の誰もできなかったことを
やりたいということである。
他人からみて難しいことのように
見えても、本人にとっては、容易い
ことがある。
それは、ご先祖の誰かが、成し遂げたことは、子孫のための道筋がついて
いるので、できるのである。
反対に、ご先祖が成し遂げる
ことができなかった、あるいは、
回避してきた未踏の道については、
他人からは、容易くみえても、
本人にとっては、たいへん難しい問題となるのである。
たとえば、夫婦の不仲や、嫁姑の不和。兄弟姉妹の葛藤や、親子の断絶といった家族の課題は、先祖代々抱えてきた課題ゆえに、その解決は、困難を極めるのである。
なぜならば、先人未踏の領域だから
である。
どうやら、ご先祖が成し遂げられなかった家族課題は、子孫に先送りされ、
子孫の誰かが、その解決に取り組む
ようになっているのである。
そのようなややこやしい問題には、
ふたをして生きても、そこそこの
生活はできるのである。
しかし、自分が回避した家族問題は、
子孫の代に先送りされることに
気づいたからには、やらねばならない
のである。
先祖代々の家族問題の根底には、
家系に流れる主たる価値観が、
硬直化し、制度疲労のような状態に
なっているということである。
家系に流れるコア常識を変えるという
チャレンジは、他人から見れば、
容易いことのようにみえても、
本人にとっては、人生を破滅させる
ような恐怖を感じるわけである。
つまるところは、「愛と赦しの家族物語」を生きるということである。
ご先祖が愛することができなかった
人を愛し、赦すことができなかった人を赦すことができた時、「誰もやらないことをやった」と言えるのである。
こういった生き方こそが、
「ご先祖が喜び、子孫に尊ばれる
生き方」と考えるわけである。
自らの心の奥底から湧いてくる
「誰もやらないことをやる」とは、
こういうことなのである。