親が知らない人生の歩き方
食事の時、このごろ私は、始終
「アフリカの人のことを考えたら、
雨の漏らない家に住んで、水が出てトイレが清潔で、乾いた布団に寝られて、毎日ご飯を食べられて幸せ」と
言っている。
これだけの条件を叶えている人間の
生活は、地球上でまだそれほど多くはないだろう。
日本に生まれたというだけで、
私たちは、ある程度の幸運を得てしまった。そんなことは、当然という人もいるが、私はどうしても当然とは思えないのである。
曽野綾子「日本人が知らない世界の歩き方」より
15年前、同じような思いを抱き、
ウガンダより帰国したことを
思い出したのである。
この時代に、日本に、日本人として
生まれたこと。これは奇跡である。
では、この命をいったい
何に使うべきなのか。そもそも自分とはいったい何者なのか。
そして、何をするためにこの世に生まれてきたのか。
残りの人生を懸けてそれを知りたい。
そう思っていたわけである。
それゆえ、母が我が子に願う「普通に
暮らすこと」とは、かけ離れた奇想天外、摩訶不思議の人生が待っていたのである。
だから、母が不安に苛まれ、苦しむ顔を見るたびに、自らの無力さを嘆き、
この上ない罪悪感を抱いていたわけである。
すべては、あの時、あのような志をもってしまったからなのである。
「親が知らない人生の歩き方」
これをはじめたあの日から、家族に
おける価値観の孤独を避けることは、
できなかったわけである。
だから、まず、自分が、母の人生を、その生きざまに尊敬と感謝の念をもつこと。
これが大事だったわけである。
そうやって母が大事とする価値観が、理解できてくると、少しずつ、自分が大事とする価値観が浮き彫りとなり、
明らかになってきたのである。
お互いの価値観が明らかになってくると、その違いが、明らかになってくるゆえ、「わかって欲しい」という思いは消え失せ、不要な対立はなくなっていったのである。
「親が知らない人生の歩き方」
つまるところは、ここに踏み込みし
あの日から、家族における価値観の
ぶつかり合いは、はじまったので
ある。
そして、激しい葛藤を繰り返しつつ、自らの大事とする価値観に気づいて
ゆけば良かったのである。
親子は、お互いに自分の価値観を
知るための鏡であり、その役割を
果たせば、不調和は無くなるので
ある。
いつの間にか、母子の調和が、
戻っていたのである。
それも、いまだかつてないほどの
穏やかな空気が醸し出されている
のである。
これこそが、「親が知らない人生の
歩き方」である。