それでも人生にイエスと言う
「いつまでも信じていたい。
最後まで思い続けたい。
自分が生きる意味があるはずと」
~反町隆史「POISON」より~
自らの深いところから湧きあがって
くる思いを言葉にすると、これだったわけである。
「自分は生きる意味があるはず」
これを信じて生きてきたのである。
だから、周囲や自分自身の期待に
応えられない。
そのような状況になった時には、
死にたくなったのである。
自分には、生きる価値がないと
信じ、絶望してしまっていたからで
ある。
だから、何をしても、感謝されたことよりも、クレームだけが記憶に
残っているのである。
「お前には生きる価値がない」
そう宣告されたように感じていた
からである。
思えば、我が教師生活は、
「生きる意味や価値」を
発見することができない。
そこで苦悩している生徒との
葛藤の日々だったわけである。
ただ、それでもなお「生きる意味が
ある」と伝えることができれば、
良かったのである。
ただその一言を、自信をもって
言うことができなかったのである。
なぜならば、自分自身が、
「生きるということ」を
「人生というモノ」を
本当の意味で、理解できて
いなかったからである。
思えば、あの頃の生徒からの
問いかけ。これに対する
答えを発見することが、
ライフワークとなっていたのである。
生きる意味を知るためには、
あの頃の生徒のような苦悩を味わう
必要があったわけである。
そして、「それでもなお人生に
イエス」という経験が必要だった
わけである。
普通とか平凡とか、一般的な
道のりでは、決して発見できない
ことを追い求めてきたということで
ある。
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