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真に平等な世界とは

「人は誰も平等にたったひとつの命をもらってこの世に生まれてくる。しかし、生まれたあとの人生は、決して平等とは言えない。自由を奪われ、貧しさや飢えに苦しむ人が多くいて、その人たちの命が、悲しいほど軽く扱われていている。けれど、そんな世の中を変える方法は、とても簡単だということだ。ひとりひとりが、まず自分自身を大切にして、ほかの人のことも、自分と同じように大切にする。これができれば、いつかきっと誰もが、自分らしく、力いっぱい生きることができる世界になる。人は変わることができる。人類も同じだ。」
~レ・ミゼラブル 少女コゼットより~ジャン・バルジャンの言葉

レ・ミゼラブルは、ひとりの徒刑囚
ジャン・バルジャンが、偉大なる
「正しき人」として生涯を終えるまでの物語である。

彼は、ミリエル司教との出逢いに
より、愛に目覚め、愛に生きる道を
選択するのである。

自分を愛するように、他人を愛する
人生を歩みはじめるのである。

人は、変わることができるということを、彼は自らの人生で証明したので
ある。

しかし、ここで考えるべきことは、
彼が、なぜミリエル司教と出逢ったのか。ということである。

そして、もうひとつ、彼は、
ミリエル司教と出逢い、なぜ改心することができたのかということである。

それは、ジャン・バルジャンが、
若くして亡くなった両親からの愛を
年の離れた姉から、直接受けて
育ったからである。

その数多の無償の愛を、ミリエル司教との出逢いで、思い出したからで
ある。

そういった意味で、彼の育った環境は、貧しくとも、愛あふれる豊かな
ものだったと言えるのである。

「自分を愛する」ということは、
自分に注がれし数多の愛に気づくということである。

自分が与えられた無償の愛に気づくことができれば、自然と深い感謝の念が、湧いてくるのである。

生い立ちの良し悪しが、その人の
人生を決めるのではない。
自分に注がれし愛にどれだけ気づくことができたのか。

そして、自らの生い立ちに特別な
意味と価値を見いだすことができたか。

自らの生い立ちにどれだけ深く感謝
することができるか。

この度合いにより、生まれた後の
人生は決まるのである。

これが、本当の意味での、
平等な世界と考えるわけである。

このような観点からみると、
一見不平等に見える世界も、
平等な世界に思えるのである。

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