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貧困の光景

アフリカでは、子供に対するエイズ検査は、行わないほうが良い。
HIVが、プラスになると、親はもう
その子にミルクを与えない。どうせ死ぬ運命の子供より、少しでも生きる
可能性のある子を食べさせないと、
一人の子も残らないことになるのだ。
~曽野綾子「貧困の光景」より~

貧困は、自らの価値観を明らかに
するのである。
だから、この母親を責めることはできないのである。
なぜならば、「我が子を一人でも生かす」という目的が、彼女の判断の拠り所となっているからである。

思えば、このような光景をみたり、
聞いたりするたびに、いつも考えて
きたわけである。

それは、「なぜ自分は、この家庭に
生まれなかったのか」ということで
ある。

「なぜアフリカでなく、日本に生まれたのか」ということである。

そして、「きっとそこに、何か深い意味があるに違いない」と感じてきたのである。

だから「自分にしかできない尊い使命があるのではないか」と考えてきた
わけである。

それゆえ「ただ気楽に暮らすため
だけに自らの命を使うのは、もったいないことではないのか」

アフリカにおける貧困の光景を見る
たびに、このようなことを自問自答してきたわけである。

そして、このような問いを発し続けてきたことで、その答えがわかるどころか、人生が混迷を極めていったわけ
である。

そうやって暗中模索の中から、
少しずつ自らの拠り所となる価値観が見えてきたのである。

なぜならば、自らのご先祖が見てきた「貧困の光景」を経験してしまったからである。

そして、ご先祖に対する感謝の念が
深まってしまったからである。

このような思いがけないプロセスを
経て、自らの拠り所となる価値観が
明らかになってきたのである。

そして、この大事な価値観もまた、
先祖ゆずりのものであったわけで
ある。

ここに至り、自分が日本に生まれた
こと、この家系に生を授かったことには、やはり深い意味があったということに気づいた次第である。

すべては、自分にふさわしい、
自分にしか味わうことができない。
「貧困の光景」を見たからである。


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