顧みて悔いのない人生
「我が青春に悔いなし」は、激動の
時代に生きる者にとって、示唆に
富んだ映画である。
主人公の幸枝は、旧友の野毛に東京で再会し、自らの思いを吐露するのである。
「三年になりますわ。その間に私、
三つも職場を変えてきたのですわ。
それだってただ食べてゆくための仕事っていう意味しかありませんでしたわ。私、何かこの身体も心も何もかも投げ出せる。そういう仕事がしたいんです。家を出る時、父が言いましたわ。華やかに見える自由の裏には、
苦しい犠牲と責任があることを知れと。私、そういう仕事が欲しい」
それに対し、野毛は素っ気なく
答えるのである。
「難しい問題ですね。そういう
仕事は、人間一生のうち見つかる
かどうか。青い鳥みたいなもん
でしょ」
しかし、そう語った野毛は、国際スパイの罪で逮捕され、獄死するのである。
幸枝がにらんだ通り、やはり野毛には、何もかも投げ出せる青い鳥のような仕事があったのである。
「我々の仕事は、10年後に真相が
わかる、日本の国民から感謝される
ような、そういう仕事だ」
「顧みて悔いのない生活をする」
夫である野毛の言葉を胸に秘め、
幸枝は、農村文化運動の輝ける
指導者となってゆく。
夫の死を契機に、彼女もまた
「身も心も、何もかも投げ出せる
仕事」に出逢ってゆくのである。
なぜならば、父が語った「自由の裏にある苦しい犠牲と責任」を全うしたからである。
最後に、幸枝が、もう一人の旧友、
糸川に語る言葉がある。
「糸川検事から見た野毛は、不幸に
して道を踏み誤った人間かもしれません。しかし、どっちの道が、果たして正しかったかは、時が裁いてくれるだろうと思います」
世の中の価値観が、180度変わる
激動の時代において、正しい生き方はないのである。
「無難に生きる」のか。それとも
「悔いなく生きる」のか。
これが問われているということ
なのである。