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オペラ歌手の電子書籍出版準備中

 彩波出版の企画による電子書籍出版第2弾は、著者がオペラ歌手というゴージャスさ。オペラ歌手と聞けば華やかなイメージが先行しますが、この方が歩んできた道のりはそのイメージからかけ離れています。


いつも不思議だった人

 オペラ歌手(バス・バリトン)の村山 岳(むらやま たけし)氏は、私の高校3年間を通してのクラスメイトです。もう30年前の話です。
 高校在学中は話す機会がほとんど無く、これといった会話を交わした記憶がありません。それでも、印象に残っている出来事がいくつかあるという変わった人です。

 記憶に残っていることの一つは、とてもおとなしくて静かな人だということ。
 そんなおとなしい人なのに、ある日突然真っ赤なバンダナを頭に巻いて登校してきた…!!偶然その日は私が日直で、学級日誌にバンダナを巻いた村山くんの絵を描いて担任の先生に提出した記憶が残っています。

 それから、修学旅行中のバスの中の出来事。
 私たちの修学旅行は独特な旅程で…音楽科ということで、主な音楽大学の見学をして回るというものでした。香川県高松市から全ての行程をバスで。
 行き先は、武蔵野音楽大学、東京藝大、東京音大、国立音大も行ったかも、それから愛知県立芸大、京都市立芸大、大阪音大…全部バスで。
 あまりにバス移動が長く、暇つぶしに始まったバスの中のカラオケで、おとなしいはずの村山くんがやさぐれ感たっぷりに長渕剛の曲を歌ったから
「へぇ…」
 と、思ったことがなぜか記憶に残りました。

 そして、3年生の年末頃に行われた、卒業演奏会の彼の歌唱も忘れられません。
 いつも本当に本当におとなしい村山くんが、歌詞の世界を表現しようと、ピアノの淵に手を添えたり、舞台を行進したり演出を繰り出しながら歌い切りました。

 彼の何がそうさせたのかなぁ…そんな印象を持つ場面ばかりが記憶に残っています。

再会で深まった「不思議」

 高校を卒業後、彼とは何の接点もなく過ごしていました。私が大学を卒業して高松で暮らしていた頃に、市内で彼のリサイタルがあると知って出かけたのが、10数年ぶりの再会だったと思います。

 ひょろひょろに痩せていた少年は、恰幅の良い歌手になっていました。
 そして1番心打たれたのがその歌声と世界観。私はあまり簡単にお世辞を言わない方なのですが、この時の彼のステージにとても感動しました。
 もっとちゃんと白状すると、歌を聴きながら涙がこぼれて止まらなくなっていました。

 そのステージトークで、既にご両親が亡くなられていたことを初めて知り、衝撃を受け…そして不思議に思ったのです。
 そこまでの辛い思いをしながら、この人はどうして歌い続けることができるんだろう。何が彼にそうさせているんだろう。

 高校生の頃に漠然と感じていた「不思議な人」という感覚が、くっきりとした輪郭を持って私に迫ってくるような再会でした。

実はおとなしい人では無かった

 不思議だなぁ、というシンプルな気持ちがそうさせたのだと思います。
 それ以降、村山くんのリサイタルがある時は、可能な限り会場に足を運びました。ランチやお茶をできるタイミングがあれば、せっせと出かけ、時には私の車の助手席に乗せて連れまわし、たくさん話しました。

 そして、理解しました。
 彼は、おとなしい人なんかでは無かったと。

 彼はただ、高校時代に喋る機会を持たなかっただけで、ものすごくいろんな経験をし、大変な思いを重ね、そして考え、流されずに生きようとしてきた人でした。
 そのために、時々は戦わなければならないこともありました。

 聞けば聞くほど、「なるほど」と思うことが増えるのと同じくらいに「不思議だなぁ」という気持ちが新しく生まれるような感覚が私の中にありました。
 あの歌声は、どこからやってきてどこへ向かっているのだろう。どれだけ話を聞けば、私は納得できるのだろうか。

電子書籍出版の打診

 この春、電子書籍出版社を立ち上げ第一弾の企画として自著を出版する直前に、次の企画としての執筆を村山くんに依頼しました。
 彼にネタがたくさんあるのは分かってる。言いたいことがたくさんあるのも分かってる。それを一回文章にまとめてみませんか、と改めてお願いする形となりました。

 色々あったその中で、なぜ歌うことを選び続けたのか、書いて欲しい。これはもう私の個人的な願いが前面に出ている感が強くなっていますが、是非そうしてほしい。
 そして、何かに一心に取り組もうとしている人の励みになるようなことがあれば、とても素敵なんじゃないか。それがたとえ今起こらなくても、100年後の誰かを励ますことに繋がったっていいんじゃないか。

 今振り返ると、散々なお願いの仕方です。
 大変な思いをして書く本人にとっては、今生きている人からの評価や反応が一番ありがたいに決まっているのに、「100年後の誰か」を引き合いに出しているのですから。はっきり言って、口説き文句としてセンスない。

 それでも
「うん、面白そうだから、やる。」
 と言ってくれた村山くんは、やっぱりちょっと不思議な人だと思います。。。

表現者として

 それから3ヶ月と少し後に手渡された約90,000文字の生原稿には、私が彼に対して「不思議」と感じていたことのいくつかの答えが記されていました。
 細かいことはこれから仕上がる書籍をぜひ手に取って読んでいただきたいのですが、ざっくりとした印象で言えば、彼は「表現する」機会を大切にする人だという事がとても伝わってきました。

 「私はこう思う。あなたは?」

 「私はこう思う。」をしっかりと表明する。彼にとってそれは、芸術活動の基本姿勢である事はもちろん、コミュニケーションの始まりでもあるのだと思います。そうやって、自分を取り巻く世界と具体的に繋がっていこうと試み続けている。
 時に、そういった働きかけは煙たがられたことでしょうし、面倒臭い奴と思われてもいたと思います。だからこそ、可能な限り納得のできない制限を受けずに活動を続けられる「フリー歌手」という立場でエンターテイメント業界を渡り歩いてきたように見受けられます。

 そして、自分に嘘をつけない実直さと不器用さが、彼をそうさせているように思うし、そうし続けているからこそあの歌声が磨かれ続けているようにも思えます。

 今、出版に向けて最終調整が佳境を迎えているこの本も、彼にとっては大切な人たちとのコミュニケーションの手立ての一つではないかという気がしています。
 この本には、彼が今まで出会ってきた人たちのことが語られていますが、これを読む読者の中にも、彼の言葉に呼応した結果、この話の続きの一員となる人がきっと大勢いるのだろうと、既に確信しています。

出版準備大詰めの今

「せっかく書くのだから、できるだけ良いものを出したい。」
 という著者の信念のもと、本人による厳しい最終原稿チェックがまさに今行われているところです。
 表紙デザインはもう決まりました。この数日のうちに、最終原稿の出版用データ作成に入れる見込みです。
 出版予定日を、近日中に発表したいと思います。

 ぜひ、お楽しみにしていてください。
 あなたの心に光を灯す言葉が、この本にあるかもしれませんから。

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