藍墨『藍晶(らんしょう)』に使用する藍顔料
久しぶりに在庫を補充した藍晶。
自分たちの畑からこの色ができていると思うと、嬉しくなります。作り始めて今年で12年ですが、墨師さんの元から墨たちが到着すると、いつも本当に嬉しいのです。
タデアイからでも沈殿藍は作れる
私の藍染めの師匠は、沈殿藍をタデアイから作ることはできないと思っていたそうです。だから、私たちが徳島県で栽培したタデアイで沈殿藍を精製していることを知った時は驚かれたと、ご本人から聞いたことがありました。沈殿藍はナンバンコマツナギから作る南国の顔料だというのが定説ですから、無理はありません。
実は、蒅(すくも)文化の地元徳島では、ハンドクラフト的な楽しみの一つとしてタデアイから沈殿藍を作るワークショップが開催されることがあるのです。もう20年以上前からです。ですから私たちには、特別に変わったことをしているという認識がありませんでした。
タデアイであればどんな品種でも沈殿藍の作成は可能です。顔料を採取できる量と色味に多少の差ができるくらいで、沈殿藍を作るということだけを目的にするのであれば、品種はそれほど気にしなくても良いと思います。
オンラインの検索をかければ、実際に沈殿藍を作った人たちのさまざまなレポートをブログや動画で見られるようになりました。みなさん、タデアイをご自身で栽培して楽しまれているようです。日本全国どこででも、沈殿藍の作成が可能だということが分かります。
私たちの沈殿藍
葉に含まれた色素をできるだけ無駄なく抽出し、しかもいい色にするためのポイントはいくつかあります。また、私たちは化粧品(美容石鹸)に配合することが最終的な目的だったため、一般的な沈殿藍と少し違った精製方法を選択し、さらに独自の工夫を加えています(この辺りの独自の工夫についてはオープンにしていません)。その結果、一般的な沈殿藍より炭酸カルシウム(顔料精製時に使用する石灰や貝灰由来)の含有量が少ない状態で精製できるようになっています。
つまり、より藍の色素そのものに近い状態の顔料を作っています。
藍晶を作っていただく墨師さんにお送りしている藍顔料は、こうして作った沈殿藍から水分を飛ばして粉末にしたものです。
頃合いを見て空気を送り込むのをやめたら、あとはひたすら顔料が沈んでいくのを待つのみです。毎日決まった時間に様子を見て、上澄みを少しずつ取り除き、泥状の状態で保管するか、粘土状にするか、最後まで乾かして粉末状にするか、用途によって仕上がりを調整します。
ちなみに、ペースト状の沈殿藍は藍の色が鮮やかですが、完全に乾かすと黒味が強くなり、水でふやかしてもその色味は変わりません。
藍晶を作っていただくためには、いつも完全に乾かして粉末にしています。
実は、こうして乾かして粉末にした後にまだ作業があります。
アク抜きといって、顔料から黄色い植物由来の雑物を洗い流す作業です。これは、顔料が完全に乾いてから行います。アク抜きをした方が、より冴えた色に仕上がります。
アクを抜いて乾かして、という流れを3回ほど繰り返し、最後に乾かしてからはできるだけ間を置かずに墨師さんの元に送り出します。放置する時間が長引くと、顔料自体が酸化して再びアクを出すからです。ただ、そうなったらまたアク抜きを繰り返せば良いので、大きな問題にはなりません。
藍染の生地にも同じことが起こるのですが、染めている最中の濡れたり湿ったりしている生地からはアクが出てこないのです。完全に乾かしたものを熱湯に浸けると、濃い黄色のアクがさーっと出てきます。それと同じことが、顔料にも起こります。鉱物由来の無機顔料では起こらないことが、植物由来の顔料では起こるということを目の当たりにできる楽しい作業が、このアク抜きです。
原始的な作業の連続
上記の作業のどれも、特別に技巧的でも先進的なことでもなく、むしろ原始的とすらいえます。古くから世界中で取り組まれ、スタンダードとなった作り方だけあって、行う作業とそのタイミングと理由は全てシンプルで理解しやすいもので組み上げられていると思います。
そして、元となる植物がナンバンコマツナギなのか、タデアイなのか、ウォードなのか、その他の藍含有植物なのか、加えて水の条件(硬水・軟水)、その日の気温などなど…デリケートな諸々の条件の違いで、どんな工夫が必要になるのかは現場の判断。そういう単一の方法論で完結できないことが、自然を相手にした原始的な作業にはつきものだと思います。だから私たちにとって、シンプルな作業は「簡単」ということとイコールではありません。
そして、どれだけ時を重ねても私たちの沈殿藍作りの前提として変わらないものは、作成過程で土に還らないものは採用しないということ。畑を汚す物作りは、自分たちの首を絞める結果につながるからです。綺麗事ではなく、切実です。
私たちの畑のある徳島県吉野川市山川町は、以前は麻植郡と呼ばれていた地域で、天皇制の始まりから朝廷祭祀を司ってきた忌部氏が拠点としていた場所です。ここでは神事や儀式に使用される麻を中心に様々な農産物が栽培されていましたが、藍もその一つでした。忌部氏の指揮のもと、日本で初めて「産業的に」藍作と藍の加工に取り組んだ地域がこの旧麻植郡だと伝えられています。そして、私たちはこの地に残る最後の藍農家となりました。いつまで続けられるのか定かではありませんが、続けられる限りは、元気な土と共に歩みを進めたいのです。
ということで…藍の墨『藍晶(らんしょう)』の元になる沈殿藍の粉末(藍顔料)について、ゆっくりお話ししてみました。
藍顔料そのものが大量に作れるものではありませんので、毎回入荷数量に限りがあります。また、練り固めていただく膠のコンディションの都合もあり、墨を作るシーズンは冬と決められています。そのため来年の今頃まで在庫がもつのかどうか分かりませんが、ご縁ある方のもとへお嫁入りしてくれたら嬉しいなと思っています。
色見本にこちらの記事をご覧ください。
藍顔料を墨に練りあげていただいているのは、三重県で鈴鹿墨の技を伝える進誠堂4代目、伊藤晴信さんです。12年前に初めてお願いした時は、お父様の伊藤亀堂さんが意欲的にお力を注いでくださり、商品化が可能となったアイテム。親子の世代を繋いでお力添えいただけることに、感謝の気持ちでいっぱいです。
藍晶の販売ご案内ページはこちらです。
古の、藍の故郷で育まれた色をお楽しみいただけましたら嬉しいです。