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〜アクエリアス時代はグループで〜"兄弟の手をとる人だけが扉をありのままに見ることができる。"
芥川龍之介さんの作品『蜘蛛の糸』では、
池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好い匂(におい)が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。
というお釈迦様側からみた描写から始まり、地獄の底にいる男を助けようとして銀色の蜘蛛の糸をおろして、今度は男側からみた描写へと続きます。
ところが男が、
この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。
と利己心をあらわした途端、極楽の蓮池へと続く蜘蛛の糸が切れてしまって物語が終わるのです。
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先日、『光線とイニシエーション』の蓮華の宝珠について書かれている部分を読んだ時、芥川龍之介さんの作品『蜘蛛の糸』の「金色のずい」「何とも云えない好いにおい」を思い出すような、甘い蜜のような香りがしたように感じました。
『光線とイニシエーション』の本は、大雑把な言い方をすると、グループで糸を紡ぐ(橋をかける)方法についても書かれています。
それはまるで、私(蜘蛛の糸の男)にとって、どうしたらよかったのかという教訓に応えてくれているかのように思えました。
蓄積され、創造的な想像力によって組織化され、(意志の様相である)メンタル的な衝動を集中させることによる過度な緊張点へともたらされたエネルギーの必要な投射を引き起こすために、
そのとき弟子は専門用語で「蓮華の宝珠」と呼ばれるものに蓄えられている自らの魂の資力を頼りにする。これはモナドが固定されているところである。
私たちが知識、愛、犠牲と呼び、コーザル体の表現である魂の様相は、モナドのこの放射の効果にすぎない。
したがって、架け橋が真に構築され、「上昇の道へと投射され、巡礼者の弱々しい足に安全な旅路を提供する」ことができるようになる前に、弟子は閉じられた蓮華の蕾、つまり、開いた蓮華の中心にある宝珠に応えて反応し始めなければならない。
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兄弟の手をとる人だけが扉をありのままに見ることができる。一つになった大勢の人に囲まれている人だけが、一人で通過しようとする人には閉ざされている扉を通ることができる。