ウズベク旅行③ ブハラ(メジャー)
今回はガイドブックに載っているようなメジャーなブハラ観光を。ガイドブックにない、ちょっとニッチなブハラについては、ウズベク旅行④ ブハラ(マイナー)を参照されたし。
マドラサ(メドレセ)
ブハラは古都、文化の街。街にはモスクやマドラサが溢れていて、ガイドブックもたくさんの宗教建造物を列挙している。
蛇足とは思うが、最初にモスクとマドラサの違いを簡単に説明しておきたい。そんなんとっくに知っとるわいという方は飛ばしてほしい。
モスクはイスラーム教の礼拝所である。アラビア語ではマスジド(ひざまずく場所)、またはジャーミイ(集まり)という。「モスク」という語は、マスジド→メスキータ(スペイン語)→モスク(英語)と訛ったものである。
一方マドラサはアラビア語を直訳すると「学ぶ場所」、イスラーム教神学校である。「メドレセ」はペルシア語やトルコ語での表記揺れで、ウズベク語の場合はmadrasahなので「マドラサ」じゃないかと思うのだが、ガイドブックには「メドレセ」とあり、私にはどういうことだかわからない。
マドラサがたくさんあるブハラは著名な学者も輩出した。その最高峰がハディース(ムハンマドの言行録)学者のムハンマド・アル・ブハーリー、そして『医学典範』で知られるイブン・スィーナー(アヴィセンナ)である。
街にはマドラサだった建物を利用したホテルも多く、神学生になったつもりで街を闊歩するのもまた一興だろう。
カラーン・モスク
ブハラといえば、この光景。雲一つない空にそびえ立つ精巧なミナレットと青いモスク。現在は滅多にモスクとしては使われていないようで、中に入ることもできる。入場料は一人5000スムなのだが「学生なんだけど〜」と食い下がってみたらタダにしてくれた。ありがたや。
中に入ると、タイルなど確かに美しいのだが、壊れている部分も非常に多い。確かにこれでは祈りや勉強をする環境としては落ち着きが悪いだろう。天井の漆喰が剥がれていたり、壁の煉瓦が崩れていたり、柱から飛び出た補強用であろう鉄骨が錆びていたり。日本ではこのような修理中の部分が観光客に見えないよう布で覆い、出来るだけすばやく修理するだろうが、ウズベキスタンは壊れている部分を見せることに躊躇がなさそうだ。屋根の上に人がいて、のんびりなおしているようだった。
ボロ・ハウズ・モスク
ボロいハウスなどと不埒なことが頭を掠めた輩は今すぐウズベキスタンに飛んできてボロ・ハウズ・モスクに謝りなさい。私はちゃんと謝ったぞ。
意味するところは「溜池の上」。確かに目の前には少し澱んだ池があった。
主要なモスクのなかではかなり礼拝の場としての機能が強いようで、電光掲示板に礼拝の時間がデカデカと掲示され、モスクの外にまでカーペットが敷かれて信徒が跪拝できるようになっている。
写真を見てほしいのだが、張り出した天井とそれを支える柱は木でできている。このような建築様式がブハラには多く見られる。こんなに太くて長くて真っ直ぐな木がオアシスにたくさんあったとは考えづらいが、どうやって調達したのだろうか。
ボロ・ハウズ・モスク近くのお茶屋さんに入ってみた。お茶や軽食を提供するお茶屋さんはチャイハナまたはチャイハネと呼ばれ、ブハラに限らずたくさんある。ここでゆったりするのが積年の夢だった。
台の上に上がり込むとあぐらをかくことができ、体の緊張が一気に緩む。緑茶、ラグマン(うどんのような麺)、羊のシャシリク(串焼き肉)、ナンなど、適当に注文したがどれも美味しくて大満足。ひなたは「照りつける」という言葉でも力不足なほど容赦のない直射日光にさらされるが、風通しの良い日陰は居心地が良く、温かいお茶が五臓六腑に染みわたる。暑いときほど熱いお茶が良いというが、はじめて本当に腑に落ちた。肉のおこぼれを狙って猫も擦り寄ってくる。控えめに言って最高である。
アルク城
紀元前にまで遡るブハラの政治の中心地。「アラブ軍、モンゴル軍、ソ連の赤軍の攻撃にさらされた」などと聞くと壮大な歴史に思わずため息をこぼしてしまう。ちょうど先日講読の授業で読んだ本に、アラブに侵攻された時のブハラ女王ハトゥンの話がちらっと載っていたのを思い出し、感慨に浸る。
よく見たらチケットは学生割引で通常の4分の1になるはずだったのだが、見落としており通常料金を払ってしまった。まあいいや、通常料金でも500円以下だし。中は博物館やお土産物屋になっていた。
私は博物館を歩くのがかなり遅い方だが、偶然にも私とほぼ同じ蝸牛速度で進む方々がいた。聞き耳をたてると、どうも専門家らしい女性が同行者にひたすら展示の内容について説明している。何語なのかすらわからないが、「ティムール・ナーメ」「サーマーン」など固有名詞を聞き取って内容を推測すればプロの解説を楽しみながら回ることができた。
ウルグ・ベク・メドレセとアブドゥルアジズ・ハン・メドレセ
やたら伝統衣装を纏った人々が街を闊歩しているので、太秦映画村の時代劇ショーのように中世ブハラ再現パフォーマンスがあるのかなあと思いつつも見つけられずにいたら、どうやらたまたま映画の撮影をしているらしい。ラクダがいるし、夜に火が焚かれているし、Не заходить!(入るな!)と書いてあるので気にはなっていたのだが。朝になって様子を見てみたら、撮影前なら誰が紛れ込もうと気にしない方針らしく、заходитьできてしまった。よくよく見ていると中央アジアらしい服装だけでなく、恰幅のいいナイスミドルがヴェネツィア風の帽子を被っていたりする。中国商人の役は要らないかな、ここに都合よく平たい顔族がいるよ、と同行者と軽口を叩きながら通過。
ちなみに映画はその後別の場所でも撮影が続き、まっくろくろすけ版KKKのような格好をしたいかにもーな怪しい集団に、ウォルデモートに若干似ている変な僧侶が「静まれ!身を粉にして働くのだ!(ロシア語、妄想による意訳含む)」と檄を飛ばしている場面にも遭遇した。なんとなく三文芝居臭がするが、公開されたあかつきにはぜひ観たいものである。
夜
ブハラは砂漠のオアシス。気温は38℃、8月上旬は50℃を記録したそうでタクシーの運ちゃんが「クレイジー」と評していた。私も熱中症になり、38℃の発熱と腹痛で一日棒に振った。
強烈な太陽で炒め物になってしまわぬよう、午前中にしっかり観光した後はホテルで昼寝して昼間の暑さをやり過ごし、夕方にまた動き出すのが賢いというものだ。
事実、日が沈むとわらわらと人が外に出てくる。この街こんなに人がおったんかい!と驚くほどだ。大人も子どもも昼間より何倍も元気そうに走り回っている。徒歩でも自転車でも車でも同じテンションで爆走してくるので、危険極まりない。モスクのライトアップをはじめ、町中で煌々と明かりがつき、まるで街が息を吹き返したかのようにエネルギーで満たされる、それがブハラの夜である。
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