逍遥

 目を覚ました私は寝返りを打ち、身体と共に寝ていた脳みそを無理に叩き起こす。寝る前に何を思って何を考えて何時に寝たっけ、と脳を回転させるけど何も思い出せなくて結局まあいいや、なんて思考を放棄する。
 再び寝てしまおうと目を閉じたところで寝る前の感情や思考が一気に流れ込むような感覚に襲われて急いで目を開ける。
「あー」
 身体を起こして出た第一声は濁点のついているだろうものだった。思い出さなければ良かったという言葉を飲み込み、頭をブンブンと振る。
 どのくらい体育座りになってボーッとしていたのだろうか。それもベッドの上でパジャマのまま。時間を確認すれば最初に目を覚ましてから十五分は経っていた。
 大学生の春休みは長い。普段は母と出かけるけど今日は母が友人と出かけて不在。一人で適当に出かける予定だ。油断すると引きこもりになりかねない。
 半分しか開かない目を必死に開けて着替えを始める。今日は何を着ようかなと片付けをサボり続けている洗濯物の山を漁る。悩む時間も惜しくて一番近くにあったジーパンと黒ニットをチョイス。
 洗顔を済まして化粧水を塗り、朝食代わりのプロテインを振りながら自室に戻る。適当にXを眺めて化粧水が浸透したくらいに音楽を流しながらメイクを始める。
 なんだかんだ三十分ほどで準備を終えた私はお気に入りのスニーカーに足を差し込む。玄関を出て伸びをしていると昨晩の思考が蘇ってきて思わず固まる。嫌なこと考えてたな、と思いながら屈伸をする。身体を動かしたらなにかが変わる気がしてなんとなく落ち着きなく動く。
 さて、とイヤホンを耳に差し込むと今日はここに行こうと目的地を設定する。所要時間は一時間くらい。運動不足にはちょうどいいよね、と歩き出す。
 適当に流した音楽は恋愛曲でなんとなく飛ばす。直近で何かあったわけじゃないけど、なんとなく。気分的に。
 一人で歩いていると嫌なことも考えたくないこともグルグルと頭を回って仕方ないから音楽を大きめの音量で流して音楽に支配されている。
 最近は一人でなくてもずっとそうしている。時間に隙間が出来れば嫌なことや考えたくないことが回って仕方がないから一日の大半をイヤホンかヘッドフォンをして過ごしている。時に勇気づけられ、時に泣かされながら音楽に生かされている。
 目的地の近くに来たところで昼食を何も考えていないことに気づく。今日は暖かいし外で食べよう、と決めたところでそそくさとコンビニに入る。
 無駄なものを買わないように、そそられないようにさっさと済ませてコンビニを出ると五分もかからずに目的地に到着した。石段を登った先には高校時代に一度だけ訪れた神社。今日の目的地だ。
 適当に隅っこに腰掛けてコンビニで買ったおにぎりの包装をペリペリと剥がす。朝食が遅かったとは言え、一時間も歩くとお腹も空く。
 最近ハマっている曲を聴きながらおにぎりを頬張る。色々考えようとするのを音楽に邪魔される。音楽が邪魔だと感じる感情にそれでいい、そのためにイヤホンをしているんだと言い聞かせる。
『――』
 帰ろうと石段に踏み出そうとしたそのとき、懐かしい声で名前が呼ばれた気がして思わず足を止める。いるわけがない人の声であることは私が一番よく分かっている。だからこそ、振り返ることはしたくない。
「いい加減付いてこないで」
 そう呟いた私は振り返ることなく歩き出す。いい加減、さようならしよう。

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