勉強、子ども心、それから卒業
保育士の国家資格を取得するために勉強を始めた。子どもと関わる仕事をしている私にとってすぐ実践に活かせる学びが多いし、何より興味のある分野だ。
半年後にある試験を受けることを決めたけれど、誰かと一緒に頑張ることが好きな私にとってこの半年は苦しい道のりになる予感がする。
日々子ども達の勉強を見ていても思うけれど、熱意を持って勉強を継続することって本当に難しい。自分の好きなことに向き合う時間も大切にしたいからね。
時には心が折れてしまいそうになることもある。仕事から帰って、そのままベットにダイブしたい気持ちを堪えて机に向かう瞬間、宿題や課題に苦しむ子ども達の気持ちがありありと思い出せる。
けれど、チャレンジするのは私が決めたこと。
試験までの過程を通して、私の世界がもっと広がったらいいなと思う。
どこでも生きていけるように。
少しの安心がもらえるように。
私の職場には発達に遅れのある子や、発達障害の子が来るのだけれど、最近は子供たちと関わる中でちょっとふざけてみたり、おもしろさを見つけることが好きになった。
気づいたら、仕事中よく笑っている。というか子ども達に笑わされている。
例えば、手をブラックホールにして何でも飲み込んでいく遊びが好きな子。最初は何をしているのか全くわからなかったけれど、手の動きと知っている言葉を目一杯使って宇宙を表現していることに気付いた時、この子の世界に触れられた気がした。
他にも、人形をしゃべらせて自分のニュース番組を始める子や、私を主人公にした物語を作ってくれる子もいる。それから、ビー玉のたくさん入った箱をお風呂に見立てて人形たちを温泉に入れてあげる子も。
みんなの世界に触れて、そこに入っていくことが楽しい。そこに自分の世界が交差してワクワクするものが生み出される感覚はもっと楽しい。
自分の好きなものを全力で表現して、他人も巻き込んでいく子供たち。私も同じように、自分の思いや「好き」を表現しながら生きていきたいな。言葉を通して、何かを作ることを通して、それから他者と関わることを通して。
話は変わるけれど、最近は卒業や別れについて考える機会が増えた。そんな時期だよね。
Instagramのストーリーには大学を卒業した後輩達の袴姿がたくさん流れてくる。
この間、元バイト先の仲良しだった後輩に会ってきた。髪が伸びて、前よりも明るくハキハキした感じがあって、でも前からある柔らかさは変わらなくて。きっと頼れる先輩としてみんなに慕われてきたんだろうな。
大学時代に一緒に子供に関わるボランティアをしていた後輩にもメッセージを送った。
そのボランティアでは、大学4年生の「門出お祝い会」というものがあって、そこで門出生がスピーチをすることになっている。
参加することはできなかったから、仲のいい後輩にはスピーチの原稿を送ってもらった。
その原稿を読んだら、彼女は私の知らないところでたくさん苦しみながらも想いを持って活動をやり遂げたのだと分かった。今までずっと自分に自信が持てなかったけれど、活動を通して自分を認めることができたと書いてあった。
それを読んだ時、心から嬉しかった。早く直接会って、お疲れ様とおめでとうを言わなくちゃ。
あの、寂しくもあたたかく、誇らしい気持ちを感じられることを少しだけ羨ましく思う。今まで当たり前のように続いてきた毎日を振り返って、いろんなことがあったなと思い出を辿っていく日。私は意外と、この卒業シーズンが好きなのかもしれない。
子供の頃って、卒業を通して経験する大切な人との別れはとても大きいものだった。世界を変えてしまうくらいに。
でも大人になった今は、出会った誰もといつかは別れることを知っている。そして、別れの寂しさは時を経るごとに消えていき、あたたかい思い出が残ることも知っている。
それでも、私が別れに慣れることはない。
当たり前のように会っていた人の不在が段々と自分に馴染んでいき、彼らと過ごした日々が私の一部になっていく感覚。彼らの人生の一部に触れて、一緒に作ることができたという事実はずっと残り続ける。
それを心の奥のところで感じて、ゆっくりと時間をかけて別れを乗り越えていく。
今年卒業を迎える方々、本当におめでとうございます。ひとつの物語が終わって次の章が幕を開ける時、あなたはどんな気持ちになるだろう。