見出し画像

インドの歴史をざっくり説明1

ナマステ!インドでインターンをしている女子大生です👩
今回はインドの歴史について紹介していきたいと思います。

インドは古代から長い歴史を持つ国の一つです。そのため、歴史が複雑で、理解しにくい点もあるかもしれませんが、知るととても面白く、興味深い点も多くあります。

インドの理解を深めるためにも、インドの歴史背景をしっかりと抑えていきましょう!ざっくりの予定でしたが、インドの歴史は長く、要点を絞り切れず、3部構成としようと思います。


インドの歴史の流れ


まず、インドの歴史の大まかな流れについて簡単に紹介していきます。

1. 古代インダス文明(紀元前3300年〜紀元前1300年)
インド亜大陸における最古の文明は、インダス川沿いで栄えた「インダス文明」です。

2. ヴェーダ時代(紀元前1500年頃〜紀元前500年)
アーリヤ人の侵入により、インド亜大陸ではヴェーダ文化が広まりました。

3. マウリヤ朝(紀元前322年〜紀元前185年)
チャンドラグプタ・マウリヤによって建国され、インド史上初の大帝国となりました。

4. グプタ朝(320年〜550年)
グプタ朝は「インドの黄金時代」と呼ばれ、科学、数学、天文学、文学、芸術が大きく発展しました。

5. イスラム王朝とムガル帝国(1206年〜1857年)
13世紀からはデリー・スルタン朝などのイスラム王朝が支配し、その後1526年にバーブルがムガル帝国を建国しました。アクバル大帝などの名君により、ムガル帝国は広大な領土を支配し、文化や建築が栄えました。

6. イギリスの植民地支配(1858年〜1947年)
19世紀中盤からインドはイギリス東インド会社の支配を受け、その後イギリス政府の直轄領となりました。ガンジーの非暴力運動などの独立運動が広がり、1947年にインドは独立を果たしました。

7. 独立後のインド(1947年〜現在)
インド独立後、初代首相ジャワハルラール・ネルーの指導のもと、民主主義国家として発展してきました。インドは国際的な経済大国となり、多様な文化と宗教が共存する国となっています。1947年のインド・パキスタン分離独立など、複雑な政治的歴史もありますが、現在も大国としての地位を確立しています。

今回はインダス文明、ヴェーダ時代、マウリヤ朝の紀元前のインドの歴史について紹介していきます!

古代インダス文明(紀元前3300年〜紀元前1300年)


世界最古の文明の一つであり、紀元前3300年頃から紀元前1300年頃にかけて、インド亜大陸北西部のインダス川流域に栄えました。この文明は、現代のインドやパキスタンの一部にまたがり、高度な都市計画や文化を持っていたことで知られています。


1. 都市計画
インダス文明の最大の特徴は、計画的に設計された都市です。代表的な都市には、モヘンジョダロハラッパーがありました。これらの都市には、整然と区画された道路、レンガ造りの建物、公共施設、そして高度な排水システムが存在していました。

2. 経済と貿易
インダス文明は、農業を基盤とした経済を持っていました。主要作物は小麦、オオムギ、豆類、綿などで、綿布の生産は特に重要でした。また、インダス文明は広範な貿易ネットワークを持ち、メソポタミア(現代のイラク)やペルシャ(現代のイラン)とも交易を行っていた証拠が残されています。

3. 文字と言語
インダス文明には、未解読のインダス文字がありました。この文字は、多くの印章や陶器に刻まれていましたが、現在までにその内容は解読されておらず、文明の多くの側面が謎のままとなっています。

4. 宗教と文化
インダス文明の宗教的信仰や儀式に関する詳細は不明ですが、発掘された遺物から、自然崇拝や動物崇拝が行われていた可能性があります。また、シヴァ神に似た姿の像や、女性の像が発見されており、後のヒンドゥー教の基礎となる宗教的要素が存在していた可能性も指摘されています。

5. 衰退と消滅
紀元前1900年頃から、インダス文明は衰退を始めました。その原因については諸説あり、気候変動やインダス川の洪水、外部からの侵略などが関与している可能性がありますが、正確な理由は不明です。

6. インダス文明の影響
インダス文明は、後にインド亜大陸で発展した文明や文化に大きな影響を与えました。特に、都市計画や農業技術、宗教的要素は、後のヴェーダ時代やヒンドゥー教文化に見られるものと関連があると考えられています。


ヴェーダ時代(紀元前1500年頃〜紀元前500年)


インド亜大陸におけるアーリヤ人の到来とともに始まり、インドの歴史と文化に深い影響を与えました。この時代は、ヒンドゥー教の基礎が形成され、宗教的・哲学的なテキストであるヴェーダ文献が編纂されたことから、その名が付けられています。

1. アーリヤ人の到来
紀元前1500年頃、中央アジアからアーリヤ人がインド亜大陸に侵入し、パンジャーブ地方を中心に定住を始めました。彼らは馬を使用し、戦車や武器を持つ戦闘的な民族であり、先住民であるドラヴィダ人と接触し、徐々にインド北部の地域に影響を広げました。

2. ヴェーダ文献
ヴェーダ時代の中心的な特徴は、アーリヤ人が編纂した「ヴェーダ」と呼ばれる宗教的テキストです。ヴェーダはヒンドゥー教の最も古い聖典であり、
その中でもリグ・ヴェーダは最古のヴェーダで、讃歌や祈りの詩集として有名です。
   

3.社会構造

ヴェーダ時代には、インド社会の基礎となるヴァルナ制(階層制度)が形成されました。この制度は次の4つの階級に分かれています。この階級制度は、後にインドのカースト制度の基礎となりました。



ブラフマナ(司祭階級):宗教儀式を司り、ヴェーダの知識を持つ人々。
クシャトリヤ(戦士階級):王や戦士、統治者の役割を担いました。
ヴァイシャ(商人・農民階級):農業や商業を行い、経済活動を支えた階級。
シュードラ(労働者階級):下層の労働者や職人で、上位3階級を支える役割。

4. 宗教と哲学
ヴェーダ時代の宗教は、自然の力や神々を崇拝する多神教でした。儀式や犠牲を通じて神々をなだめ、自然の恵みや戦争での勝利を祈りました。

また、この時代には哲学的な思想も発展しました。後期ヴェーダ時代には、「ウパニシャッド」と呼ばれる哲学書が編纂され、宇宙の根源や魂(アートマン)と世界の本質(ブラフマン)の関係についての深遠な探究が行われました。これらの思想は、後にヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の発展に大きな影響を与えました。

5. 経済と生活
初期のヴェーダ時代の経済は、牧畜が中心でした。牛は特に重要で、富の象徴とされていました。後期ヴェーダ時代には、農業が発展し、鉄器の使用が普及しました。これにより、定住生活が進み、村社会が形成されました。

6. ヴェーダ時代の影響
ヴェーダ時代は、インド文化と社会の基礎を築き上げました。この時代に形成された宗教、哲学、社会構造は、後のインドの歴史に深い影響を与え続けています。ヒンドゥー教の儀式や哲学、カースト制度の起源は、この時代に遡ることができます。

マウリヤ朝(紀元前322年~紀元前185年)

古代インドにおける最初の統一帝国であり、南アジア全体にわたる広大な領土を支配しました。特に、建国者チャンドラグプタ王や、その孫であるアショーカ王の時代に大いに繁栄し、政治的・経済的に重要な時期となりました。

1. 成立とチャンドラグプタ・マウリヤ(紀元前322年〜紀元前298年)
チャンドラグプタ・マウリヤは、紀元前322年にマウリヤ朝を創設しました。彼は、アレクサンドロス大王がインド北西部に残したギリシャ勢力を排除し、マガダ国(現在のビハール州)を中心に王朝を築きました。

彼の治世下で、マウリヤ朝は北インド全域、さらにはアフガニスタンやバルーチ(現パキスタン)の一部まで広がり、インド史上初の大規模な統一王朝を実現しました。

2. ビンドゥサーラ王(紀元前298年〜紀元前272年)
チャンドラグプタの息子ビンドゥサーラが後を継ぎ、さらに領土を拡大しました。彼の治世ではデカン高原の多くの部分が支配下に入り、マウリヤ朝の領土はさらに広大になりました。

ビンドゥサーラはまた、他国との外交関係を強化し、ギリシャやエジプトとの関係も維持していました。

3. アショーカ王(紀元前268年〜紀元前232年)
マウリヤ朝で最も有名な王は、アショーカ王です。彼は、帝国の最大領土を築き上げ、マウリヤ朝の黄金時代を迎えました。アショーカ王は、カリンガ戦争(紀元前261年)で残虐な戦争を経験し、その後、非暴力主義と仏教への転向を決意しました。

アショーカ王は、仏教を広め、宗教的寛容を奨励しました。彼は「法(ダルマ)」の教えを広め、石碑や柱にそれを刻んでインド全土に配置しました。この「アショーカの碑文」は、アショーカ王の政治と宗教の統治哲学を伝える重要な歴史的資料です。



アショーカ王はまた、仏教の布教活動を国際的に展開し、セイロン(現スリランカ)や東南アジアにまで仏教が広まる契機となりました。

4. マウリヤ朝の統治体制
マウリヤ朝は、強力な中央集権化を進め、各地方には総督を置き、税制や法律を整備しました。帝国全土で同一の統治法が施行され、経済活動が活発化しました。

首都パータリプトラ(現パトナ)は、当時の世界で最も巨大な都市の一つであり、マウリヤ朝の政治、経済、文化の中心地でした。

5. 経済と貿易
マウリヤ朝の経済は、農業を基盤として発展しました。特に、チャンドラグプタとカウティリヤの時代に、農業生産を効率化し、灌漑システムを整備しました。
また、インド亜大陸を越えて、ギリシャ、ペルシャ、東南アジア、中国などとの貿易も盛んに行われ、シルクロードを通じて多くの文化や商品が流通しました。

6. マウリヤ朝の衰退と滅亡(紀元前185年)
アショーカ王の死後、マウリヤ朝は徐々に衰退しました。中央集権の力が弱まり、地方総督たちが次第に独立した権力を持つようになりました。最後のマウリヤ朝の王はブリハドラタでしたが、彼は将軍プシャミトラ・シュンガに殺され、シュンガが新たに樹立されました。

7. マウリヤ朝の遺産
マウリヤ朝は、インド史上最初の大規模な統一国家として、後世の王朝に多大な影響を与えました。特にアショーカ王の仏教への転向と、仏教の普及活動はインドのみならず、アジア全体に影響を与えました。

また、アショーカの時代に作られた碑文や建築物は、インドの文化遺産として今も大切にされています。アショーカの時代に広まった仏教文化は、後に東南アジアや東アジアにまで広がり、仏教が世界的な宗教となる基盤を作りました。

まとめ

今回はインドの紀元前の歴史についてみて紹介しまた。学校の授業で一度は習ったことはありますが、これらの出来事がすべて2000年以上前に起こったことであると考えると、改めて昔の人たちはすごいなと感心させられました。
現代でもこの時期の文化の影響を受けているものが多く残っており、歴史を学ぶ意義をとても感じられます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?