「ガンディー わが父」 作品トリヴィア
インディアンムービーウィーク2025にて上映する「ガンディー わが父」(2007年/ 監督:フィローズ・アッバース・カーン)は、〝インド独立の父〟として知られるマハトマ・ガンディーと、長男ハリラールの関係を描く、実話ベースのドラマです。ガンディーはヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』を愛読していたことで知られ、作品にもその影響が織り込まれています。『バガヴァッド・ギーター ヒンドゥー教の聖典』(2022年、角川ソフィア文庫刊)の訳者であり、本作の字幕を翻訳した佐藤裕之氏による作品のトリヴィアをご紹介します。
映画は文化を背景にしている。食べ物や服や習慣や儀式などの文化が直接テーマになることはなくても、これらは映画の多くの場面を飾り、文化を知る重要な機会を提供する。「ガンディー わが父」も多くの文化を知る機会を提供しているが、ここでは3点について説明する。
『バガヴァッド・ギーター』について
『バガヴァッド・ギーター』はヒンドゥー教を代表する最も重要な聖典で、ヒンドゥー教徒であれば、その内容を知らない者は誰もいない。マハトマ・ガンディーも愛読し、自伝には第11章まで暗記したことが記され、独立運動の精神的支えになったことがよく知られている。映画にも引用されることが多く、「パッドマン 5億人の女性を救った男」(2018年)では本編が始まる前に第4章第7詩節のサンスクリット語が画面に出てくるし、「RRR」(2022年)では第2章第47詩節がサンスクリット語のままセリフとして語られている。
「ガンディー わが父」では、主要な登場人物によって『バガヴァッド・ギーター』の詩節がセリフにされることも、言及されることもないが、『バガヴァッド・ギーター』に関係する二つの場面がある。一つ目は、ハリラールの妻のグラーブが友達に愚痴を言う前の場面で、大衆芸能劇団の役者が上演を宣伝して、次のように語る。
このセリフはそのまま『バガヴァッド・ギーター』の詩節に基づくものではないが、戦いを逡巡するアルジュナをクリシュナが説得し、アルジュナが戦う決意をすることが語られている。映画の中で『バガヴァッド・ギーター』の場面であることは言われないが、この短いセリフだけで、インドでは誰でもが『バガヴァッド・ギーター』の場面であることがわかる。
二つ目は、ガンディーの妻のカストゥールバーが亡くなった場面に第2章第23詩節と第27詩節がサンスクリット語で流れる。『バガヴァッド・ギーター』のこの箇所はアートマン(魂)の永遠性と輪廻が説くもので、次のようにクリシュナが説く(下線部が第23詩節と第27詩節である)。
この二つの詩節は最後に流れる「ラーマの調べ」の中にも挿入されている。監督がどのような意図で『バガヴァッド・ギーター』の詩節をこの映画の中で使用したのかは分からないが、『バガヴァッド・ギーター』の重要性を監督が理解していたことは間違いない。(『バガヴァッド・ギーター』について詳しくは、佐藤裕之訳『バガヴァッド・ギーター ヒンドゥー教の聖典』[角川ソフィア文庫]を参照)。
「ヴィシュヌ神を信じる人」について
映画の中頃に、イギリスへの留学推薦でハリラールを選ばなかったことをめぐり、ガンディーとカストゥールバーが言い争う場面がある。「イギリスに行かせてとハリラールは何度も頼んだ。一度でいいから、ガンディーではなく、父親として声を聞いて」というカストゥールバーの訴えに対し、ガンディーは「私たちはここにいる全ての子供の親だ。私たちの子供だ。このことを忘れるな」と答え、それを聞いたカストゥールバーは涙を流す。この直後、雨が降る夜、ガンディーとハリラールとカストゥールバーを含めた人々が礼拝場に集まり瞑想している場面で、「ヴィシュヌ神を信じる人(Vaishnava Jan To)」という歌が流れる。この歌はナルシン・メヘター(Narsinh Mehta, 1414-1488)がガンディーの母語でもあるグジャラート語で書いたもので、ガンディーが日々の祈りで唱えていたことから、インドで広く知られるようになった。ガンディーを語る上ではもちろんのこと、インドの文化を語る上でも重要な歌となっている。映画では最初の部分しか流れないが、全体は以下のようになる(繰り返しは省略)。
この歌の言葉のひとつひとつに、ガンディーの生き方・倫理観をうかがうことができるだろう。ちなみに、リチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」(1982年)でもエンディングでこの最初の部分が流れる。
「ラーマの調べ」について
映画の最後にガンディーの葬儀が行なわれる場面から、厳粛で静かな余韻を包むように「ラーマの調べ(Rama Dhun)」あるいは「ラグ族の主よ、ラーガヴァよ、王よ、ラーマよ(Raghupati Raghava Raja Rama)」と呼ばれる賛歌が流れる。ラーマはヒンドゥー教で最も崇拝されている神のひとりで、『マハーバーラタ』と並ぶ聖典の『ラーマーヤナ』はラーマを主要人物とした物語である。ラグ族はラーマが属する一族で、「ラーガヴァ」は「ラグ族に属する者」を意味する。この賛歌の起源は明らかではなく、トゥルシーダース(1532-1623)が作者とされることもある。この賛歌にはさまざまなヴァージョンがあり、ガンディーによるヴァージョンが一般的であるが、オリジナルは以下のものとされている(繰り返しは省略)。
このオリジナルに対して、ガンディーが追加・改変したものは次の通りになる(繰り返しは省略)。
この中で「イーシュヴァラ」はヒンドゥー教の神で、「アッラー」はイスラム教の神になり、宗教を越えたガンディーの思想を端的にうかがうことができる。映画のエンディングにはこの賛歌が流れ、『バガヴァッド・ギーター』の一節も途中で挿入されているが、次のような一節も追加されている。
これはガンディーの非暴力思想を述べたもので、恐らく監督がガンディーに畏敬の念を込めて独自に挿入したと思われる。この映画以外にも、「ラーマの調べ」のガンディーによるヴァージョンが使用され、例えば、アッテンボローの「ガンジー」のエンディングでは「ヴィシュヌ神を信じる人」の後に厳かな雰囲気で流れ、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年/未)では子供を含めた登場人物によって楽しそうに歌われている。さらに、「Satyagraha」(2013年/ 未)と「クリッシュ」(2013年)では、挿入歌の一部に使用されている。
執筆:佐藤裕之
〔執筆者プロフィール〕
東京外国語大学非常勤講師(ヒンディー語)。文学博士(東京大学大学院)。2022年に『バガヴァッド・ギーター:ヒンドゥー教の聖典』(角川ソフィア文庫)を上梓した。字幕を翻訳した作品に「人生は二度とない」「スーパー30 アーナンド先生の教室」「ストリート・ダンサー」「デーヴダース」など。
【ガンディー わが父(Gandhi My Father)作品紹介】
病院に担ぎ込まれた瀕死の男は、マハートマー・ガンディーの長男ハリラールだった。息子は父のような弁護士を志したが挫折。生涯にわたり生業を持てず、父とはぎくしゃくした関係が続いた。実話に基づくドラマ。第20回東京国際映画祭の上映作品を、新字幕にてIMW初上映。
監督 フィローズ・アッバース・カーン
出演 アクシャイ・カンナー、ダルシャン・ジャリーワーラー、シェーファーリー・シャー、ブーミカー・チャーウラー
原題 Gandhi My Father
ジャンル 伝記ドラマ
2007年/ インド/ ヒンディー語/ 140分/ G相当
【関連リンク】
▼『バガヴァッド・ギーター ヒンドゥー教の聖典』(佐藤裕之訳、角川ソフィア文庫刊)
▼インディアンムービーウィーク2025
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