戦争と平和を考える日
毎年、8月になると広島・長崎の原爆の日や15日の終戦記念日にはテレビや新聞などで戦争の特集が行われます。恒例行事となってしまっていることについて批判の声もありますが、やはり立ち止まって戦争と平和を考える日があることは意義があります。
毎年新宿区議会から、超党派で区議が沖縄・広島・長崎へ派遣され、式典に参列しています。今年の広島は、私が立憲民主党・無所属クラブから参加しました。
8月6日の朝の式典に参列するには、早朝から並ぶ必要があり、前日の朝から新幹線で4時間の移動。外国からの参加者も含めて全国から広島へ集まってきていました。
コロナが落ち着いてきて4年ぶりに大規模な式典です。昨年の広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式の参列者数は2,854人だったそうですが、今回は一般参列者を含めて約7000人、過去最多の111カ国が参加とのこと。
核抑止論の矛盾
冒頭に、原爆死没者名簿を納めるのですが、この1年間で死亡が確認された方は、5320人。合計で名簿125冊の記載人数は計33万9227人となったそうです。78年目を迎えるので、ご高齢となり亡くなられる方が多いのですが、1年間でこれだけの人数がと思うと、78年の重みを感じます。
広島の式典では、広島市長と広島県知事の言葉が印象に残りました。
広島市長:
「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。市民社会においては、一人一人が、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」というメッセージに込められた人類愛や寛容の精神を共有するとともに、個人の尊厳や安全が損なわれない平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっています。」
広島県知事:
「なお世界には、核兵器こそが平和の維持に不可欠であるという、積極的核抑止論の信奉者が存在し、首脳たちの示す目標に向けた意志にかかわらず、核軍縮の歩みを遅らせています。
私は、そのような核抑止論者に問いたい。あなたは、今この瞬間も命を落としている無辜(むこ)のウクライナの市民に対し、責任を負えるのですか。ウクライナが核兵器を放棄したから侵略を受けているのではありません。ロシアが核兵器を持っているから侵略を止められないのです。核兵器国による非核兵器国への侵略を止められないという現在の状況は、「安定・不安定パラドックス」として、核抑止論から予想されてきたことではないですか。
また、あなたは、万が一核抑止が破綻した場合、全人類の命、場合によっては地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。あなたは、世界で核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかった、と肩をすくめるだけなのでしょうか。
核兵器は、存在する限り人類滅亡の可能性をはらんでいる、というのがまぎれもない現実です。その可能性をゼロにするためには、廃絶の他ない、というのも現実なのです。」
長く引用しましたが、お二人とも核抑止論は破綻しているということを明確にしています。
核抑止論は「核兵器の保有はその法外な破壊力のために、かえって戦争を抑止する力となるという考え方。 核兵器を使用しようとした場合、自国も相手国から核兵器による破滅的な被害を覚悟しなければならず、そのため最終的には核兵器の使用を思いとどまるという論理で、英国のチャーチル首相が述べた〈恐怖の均衡〉という考えに基づいている。」(コトバンク)
この議論は、外交防衛の議論の中で根強くある考えです。日米安保条約もアメリカの核の傘に日本が入ることを前提としています。しかし、日本は唯一の被爆国として、核兵器廃絶を目指すと表明をしているのに、やはりここには矛盾が残ります。広島・長崎の資料館に行くと、目をそむけたくなるような残酷な写真がたくさん展示してあります。それでも、以前より減らしたという話も聞きました。
私は広島の資料館は2回目の訪問ですが、今回特に注目したのは、爪でした。被爆者の方の一本の指だけ、黒く長い爪が生えた人がいたというのです。ある人の場合には、血管が通うことのない爪の組織にもなぜか血管が通っていたといいます。人体の組織に遺伝子のレベルで影響を与える放射性物質が、あの爆破の瞬間によって強烈に作用するという、理解を超えた状況が生じていたわけです。
こんな核兵器をお互いの戦争の抑止のために保有し続けるという、おそろしいほどの矛盾に向き合うべき時が来ています。
声を上げるということ
式典の最中に市民がデモを行うことに対してどう考えるか、参加者にアンケートが配られました。式典を厳粛な環境の中で行うため、話し合いによる解決を目指し、拡声器からの音量を下げることをデモ行進を行う団体へ要請しているそうです。
それでも、拡声器の音が聞こえるということで、アンケートでは
「広島市が厳粛な環境の中で行おうとする式典の挙行中に、拡声器からの音が聞こえる状況についてどう思うか」と、音量を下げることを要請することについて、適切か不適切かという問いがありました。
どんな式典を行うかは主催である広島市が判断するものです。しかし、それに対して、デモを行う市民を規制することは表現の自由の規制になります。厳粛な環境で行う式典を邪魔することは許さないという考えを持つ人がいるのも理解できます。しかし、岸田総理大臣の発言に対して、「戦争反対」という市民の声を規制することは、平和を求める声を規制することにならないでしょうか。
憲法で保障された表現の自由は、思想・意見・主張・感情などを、規制されることなく表現できる権利です(憲法21条)。先の大戦では、「戦争反対」の声を上げることもできず、戦争に加担した人たちもいました。私は、どんな状況であれ、声を上げることを保証される世の中を守らなければならないと考えます。
平和な社会を作るには、多様な意見を聞き、そしてお互いの立場を尊重することが必要です。そこには寛容さが必要です。「I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.(私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る)」という、言葉があります(ヴォルテールの言葉・諸説あり)。どんな意見であっても、封殺するのではなく聞く耳を持つようにしたいものです。
長崎は台風の影響で残念ながら新宿区からの派遣はありませんでしたが、多くの方々が考えるきっかけとなったと思います。
そして、8月15日の終戦記念日(敗戦記念日という方もいますね)は、千鳥ヶ淵にて、戦争犠牲者追悼、平和を誓う8.15集会に参加しました。立憲民主党からは、近藤昭一衆議院議員、立憲フォーラム副代表として同じく立憲民主党の阿部知子衆議院議員が参列されました。お二人とも、長年平和運動に取り組んでこられています。
今月末は、シベリア抑留の犠牲者のみなさんの追悼もあります。シベリア抑留77年追悼 4万6300人の死者たちの名前をリモートで刻む48時間zoomイベントがあります。村山常雄さんが作られた抑留者死亡者名簿があるのですが、この一人づつのお名前を読み上げるというものです。私は8月25日の早朝を担当する予定です。ぜひ関心をお寄せいただければと思います。