見出し画像

「インクルーシブ教育を受ける権利」を三層で考える

日本も批准する障害者権利条約においては、「インクルーシブ教育」が全ての学習者の権利であると規定しています。障害者権利条約における教育条項の詳しい解説を示した一般的意見第4号(2016年)は、その標題が「インクルーシブ教育を受ける権利」(the right to inclusive education)と付けられており、インクルーシブ教育が権利であることが前面に出され細かな説明が出されています。

では「インクルーシブ教育を受ける権利」とはどのような意味なのでしょうか。残念ながら、今の日本では、学術界や法曹界においても、この権利の概念に関する認知が低く、その意味が理解されてはいません。そうした状況もあり、2022年に開かれた国連・障害者権利委員会の対日審査において、日本に出された勧告(総括所見)では、その冒頭から、「インクルーシブ教育を受ける権利」を再認識すること(remind)を求め、最初の要請項目では次のように述べています。

52(a) 国の教育政策、法律及び行政上の取り決めの中で、分離特別教育を終わ らせることを目的として、障害のある児童がインクルーシブ教育を受ける権利があることを認識すること。…

この他、勧告では繰り返し「インクルーシブ教育を受ける権利」について言及しています。

では、「インクルーシブ教育を受ける権利」とは何を意味するのでしょうか。一見すると、子どもの保護者が、多様な教育の選択肢の中から「インクルーシブ教育」を行う学校を選べる権利として見えるかもしれません。しかし、障害者権利条約の策定過程では「選べる権利」という見方ではないこと、また、一般的意見第4号では、この権利が学習者(子ども)にもたらされるものであり、保護者の権利ではないことも指摘されています。

【論文の紹介】「「インクルーシブ教育を受ける権利」とは何を意味するのか : 障害者権利条約および一般的意見第4号の考察から」(2024年4月『教育学論究』濱元伸彦)という拙稿を大学の紀要に書きました。

 (論文タイトルのリンク先からダウンロード・閲覧可能です。)

障害者権利条約および一般的意見第4号の理念や提案を深く理解し、表題にありますように「インクルーシブ教育を受ける権利」とは何を意味しているのか解釈したものです。

障害者権利条約が委員会で議論され形づくられていく過程で「インクルーシブ教育を受ける権利」の意味が明確化し、就学先を「選べる権利」ではなく、「原則インクルーシブ」にするという捉え方へとシフトしていきました。このこと自体、日本では十分に認識されていないと思います。

では「原則インクルーシブ」であるとは何を意味するのでしょうか。そのことを、条約の策定過程の要所要所をふりかえりながら書き綴っています。端的にいいますと、親や教育者がその子どもの教育に関してもつ考えより前に、子ども自身に、地域で皆とともにインクルーシブな教育を受ける権利が、生まれながらに平等にあり、保障されなければならないということです。また、ここは私の解釈ですが、その権利保障の第一の場として、パブリックな教育の場として公立学校があるのではないかと指摘しています。

そのほか、これも私の試論となりますが、「インクルーシブ教育を受ける権利」の保障にむけた三層モデルというものも最後に提示しています。まだ、考えていくべき部分の多いモデルですが、権利条約に従った形での、地域の学校におけるインクルーシブ教育の保障を進めていくためのコンセプトとして考えたものです。

多くの皆様にお読みいただければありがたいです。非常に長い論文のため、要点をお知りになりたい方は「6. 結び」というところだけでも読んでもらえたらと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?