【ネタバレ注意】beautiful friendshipの秘密《後編 その1》─クィア映画とオルフェウス、『TENET』に秘められた構造と円循環
これまで、クリストファー・ノーラン監督作『TENET テネット』(2020年、以降『TENET』) と、ジャン・コクトー監督作『オルフェ』(戯曲版発表1925年、映画公開1950年)との関係を考察してきた。
詳しくは下記の記事群を参照していただきたい。
※下記記事を読んでいただかないと、本記事の意味が非常にわかりづらくなります。
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【ネタバレ注意】Travis Scott “THE PLAN” 和訳─『TENET テネット』の真意とは
https://note.com/include_all_8/n/n8366391c7bb3
【ネタバレ注意】『オルフェ』から『TENET テネット』へ─価値観のアップデート
https://note.com/include_all_8/n/n1a7c56d26899
【ネタバレ注意】beautiful friendshipの秘密《前編》─ウォルト・ホイットマンとジャン・コクトーから読み解く『TENET テネット』
https://note.com/include_all_8/n/n09e92f727a1e
【ネタバレ注意】beautiful friendshipの秘密《中編》─ジャン・コクトーと “L’Éternel retour” の思想から読み解く『TENET テネット』
https://note.com/include_all_8/n/ndb7103e2ce40
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そして2021年9月17日、リサ・ジョイ監督・脚本、ジョナサン・ノーラン共同製作映画『レミニセンス』が日本公開されたが、そちらもオルフェウスが重要な要素となっているという噂。作品は未見だが、いても立ってもいられなくなったので本稿を書いている。
オルフェウス(Orpheus)は、フランス語ではオルフェ(Orphée)、古代ギリシャ語ではオルペウス(Ὀρφεύς)となる。
オルフェウスとは一体何者なのか。なぜ映画などで繰り返し彼の物語が語られるのか。
『TENET』の真相にも絡めて考察していきたい。
オルフェウスとは何者か
オルフェウスはギリシャ神話に登場する詩人、音楽家である。アポロンから竪琴を授けられており、名手であった。諸説あるがアポロンが父であるともいわれている。ディオニソス崇拝から生まれたオルフェウス教の開祖でもある(ただし諸説あり)。
妻エウリュディケが死んだとき、オルフェウスは彼女を連れ戻すために冥界へ向かった。地上に戻るまでは決して妻の顔を見てはいけない、と冥界の王ハデスと約束し、オルフェウスは妻を連れて地上へと向かう。しかし途中でオルフェウスは誘惑に負け、後ろを振り返ってしまう。エウリュディケは再び冥府に落とされ、一人で地上へ戻ったオルフェウスは悲嘆に暮れる。
冥府での経験を基にオルフェウス教を創始するが、女性の入信を許さなかった。さらに妻を恋しがるあまり、エウリュディケ以外の女性に無関心であった彼は、求愛を退け続けた。その結果、トラキアの女達に恨まれて八つ裂きにされた。オルフェウスの死体はヘブロス川に投げ捨てられたが、彼の首と竪琴は川から海を流れてレスボス島へたどり着き、そこで手厚く葬られた。彼の墓からは竪琴の音色が聞こえてきたとされ、その伝説からレスボス島で叙情詩が栄えたといわれている。
クィア映画に現れるオルフェウス
まず、オルフェウスを題材にした主な映画を挙げる。
ジャン・コクトーは “The Orphic Trilogy” と呼ばれる、詩人を題材にした三部作を監督している。オルフィック・トリロジー、つまりオルフェ三部作。
The Orphic Trilogy ジャン・コクトー監督
* 『詩人の血』(1932年)
https://www.imdb.com/title/tt0021331/
* 『オルフェ』(50年)
https://www.imdb.com/title/tt0041719/
* 『オルフェの遺言 –私に何故と問い給うな–』(60年)
https://www.imdb.com/title/tt0054377/
また、『TENET』とコクトー監督作以外で、オルフェウス(オルフェ)を題材にした主な映画は下記の通りである。
* 『黒いオルフェ』(59年、マルセル・カミュ監督)
https://www.imdb.com/title/tt0053146/
* 『パーキング』(85年、ジャック・ドゥミ監督)
https://www.imdb.com/title/tt0089775/
* 『オルフェ』(99年、カルロス・ヂエギス監督)
https://www.imdb.com/title/tt0183613/
* 『燃ゆる女の肖像』(2020年、セリーヌ・シアマ監督)
https://www.imdb.com/title/tt8613070/
実は上記7作品のうち、同性愛的な要素がないのは『黒いオルフェ』のみである(注1)。
(注1)ただし、『黒いオルフェ』と99年の『オルフェ』はどちらも、ヴィニシウス・ヂ・モライスによる56年初演の戯曲『オルフェ・ダ・コンセイソン』を原作としている。カルロス・ヂエギス監督いわく、『黒いオルフェ』は「興行的にも成功したすばらしい映画であったが、モライスの脚本の解釈が表面的であり、部外者の視点から描かれていたように思う。よって、今回の私の作品はカミュ監督の「黒いオルフェ」のリメイクではなく、同じ題材を扱ってはいるが、まったく異なる新しい作品なのである」(カルロス・ヂエギス監督『オルフェ』パンフレット、p11、KUZUIエンタープライズ、2000年)。
The Orphic Trilogyについては、そもそも監督であるコクトーがゲイ(バイセクシュアルであるともされる)であることも手伝っているが、特に50年の『オルフェ』の主人公オルフェは暗に両性愛者であることが示されている。オルフェの妻ユリティス(エウリュディケの立ち位置)と、友人アグラオニスとの関係もレズビアン的とみる指摘がある。
ウルトビーズのセクシュアリティについては、下記ページの「『TENET』における「見る」ことの重要性─交錯する視線」で考察している。
https://note.com/include_all_8/n/ndb7103e2ce40#n9n0H
50年の『オルフェ』は最終的にオルフェとオルフェの “死” (王女)とのラブロマンスになってはいるものの、生者である詩人と死を司る者との恋愛から、叶わないだろうと思っている愛を理想化し、昇華させたいコクトーの願望が透けて見えるのである。
『パーキング』の主人公オルフェはバイセクシュアル。99年の『オルフェ』は舞台が現代に置き換えられており、オルフェと幼なじみである麻薬王のルシーニョ(男性)とのキスシーンがある。『燃ゆる女の肖像』はオルフェウスとエウリュディケの役割を二人の女性に移したもので、彼女らのレズビアン的な恋愛が劇中で展開される。
これは一体どういうことなのか?
このことはそもそも、オルフェウスが同性愛者であったという伝承があることに由来している。
コノンは、かれが女たちに惨殺されたのは、アポロン崇拝のためではなく、女たちがディオニュソスの秘儀へ入信することを拒んだからだと伝えている。あるいはヘレニズム時代の詩人ファノクレスがその詩で歌っているところだが、女たちの手で殺されたのは、トラキア人に同性愛を勧め、女たちを顧みなかったからだという伝承もあった。
『オルフェウス変幻──ヨーロッパ文学にみる変容と変遷』沓掛良彦、p80、京都大学学術出版会、2021年
コクトーはこのことを利用し、特に50年の『オルフェ』ではヘテロセクシュアルを描いていると見せかけて、裏側にクィアネスのサブテキストを秘めさせた。
『映画について』という本がある。コクトーの生前に観光された書籍に収録されなかった、映画についての文章をまとめたものだ。「Ⅲ章 わが映画への註」の「オルフェ」の項に、このような記述がある。
オルフェ
(中略)
私はつねにたそがれ(傍点)を愛してきた。その薄暗がりには謎の花が咲く。人々が驚異と呼ぶことをできるだけ使わないという条件で、私は、シネマトグラフは驚きに適していると考えていた。神秘に触れれば触れるほど、リアリストになることが大切だ。自動車のラジオ、暗号のメッセージ、短波の信号、停電、それと同じほど誰にもなじみの要素、それらが私を陸続きにしておいてくれる。
(中略)
『オルフェ』はリアリズムの映画である、というか、ゲーテが現実と真実のあいだに設けた区別を守って、もっと正確に言うと、私に固有の真実を表現した映画である。この真実が観客のものと違えば、また私の個性の表現を観客の個性が拒否すれば、私は噓つきよばわりされる。それにしても、この個人主義の国でいまだに多くの人が他人の考えにあいかわらずすぐ染まるということが、私には驚きである。
なぜなら、『オルフェ』が無気力な映画館にめぐりあうとすると、私の夢に大きく開かれた映画館にめぐりあうことでもある。そこでは眠りに身をまかせることを承知のうえ、私と共に夢を見る(それは夢のメカニズムをなす論理を受け入れること、われわれの論理には属さないが厳格である論理を受け入れることである)のである。
私はメカニズムのことだけを言っているのであって、『オルフェ』には何ひとつ夢らしいところはない。しかし夢の細部にも似た豊富な細部のおかげで、私の生き方、人生への対し方をあらわしてはいる。
『映画について』ジャン・コクトー、梁木靖弘(訳)、p160-161、p166-167、フィルムアート社、1981年
「私に固有の真実を表現した映画」という部分は、いかようにも解釈できるだろうが、『オルフェ』の内容から「コクトーの持つクィア性を表現した映画」とも取れるのである。
かくしてオルフェウスはクィア映画において、同性愛・両性愛のメタファーとして用いられるようになった。
クリストファー・ノーラン監督は、『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』に記載されている監督の発言から推察するに、『オルフェ』のこの仕掛けに気づいており、『TENET』にその構造を意図してインストールした可能性が非常に高い。
「タシタの発言で印象に残ったのは、『カメラを使えば時間を見せることができる。カメラは歴史上それを初めて可能にした機械だ』という言葉だった。僕らは物事を見るという概念を持ち、それを当たり前のこととしてとらえている初の世代だ。ジャン・コクトー監督は『オルフェ』(1949)で反転した映像を使って観客を驚かせたが、『テネット』では物語を反転させる必要があった。そうすることで世界を違う視点で見ることができる。今回最も刺激的だったことのひとつは、紙の上では表現できないものを撮影するというこの映画の目的を果たせたことだ。実際に目で見ないとわからない。正しく理解するためには体験しなければならないんだ。これはまさに映画の本質を物語っている」
『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』トム・ショーン、山崎詩郎・神武団四郎(監修)、富原まさ江(翻訳)、p324、玄光社、2021年
(筆者注)『オルフェ』が(1949)と書かれているが、これは英語原文版にはない。おそらくallcinemaなどに記載の製作年を参考にしたのではないだろうか。引用なので原文ママとしている。
下記ページの「ニール=マックス説の肯定」にも書いたが、『TENET』において「逆行」の意で使用されている単語 “inversion” は、ジークムント・フロイトが同性愛・両性愛を含む性対象倒錯を指す言葉として使用していたもの。
https://note.com/include_all_8/n/ndb7103e2ce40#Mt0XS
コクトーの『オルフェ』の構造を下敷きにしている『TENET』は、『オルフェ』のサブテキストの仕組み──サブテキストに気がついた観客だけが、物語の真意を知ることができる仕組み──もまるごとインストールしているのである。
ディオニソスとサトゥルヌス─そして輪廻する魂、円循環する世界
オルフェウスが開祖であるとされるオルフェウス教(ただし諸説あり)は、豊穣と葡萄酒の神であるディオニソス(ディオニュソス)を主神として崇拝していた。古代ローマにおいては、ディオニソスから農耕神サトゥルヌスへとその役割が引き継がれている。
ラテン語の回文SATOR式や、『TENET』劇中で名前が出ているピーテル・パウル・ルーベンスとフランシスコ・デ・ゴヤがそれぞれ描いた絵画『我が子を食らうサトゥルヌス』から、『TENET』のセイターはサトゥルヌスのように子殺しをしようとしているという説も多くある。
だがさらに裏がある。サトゥルヌスを通して、さらに古くからの存在であるディオニソスを劇中に忍ばせているのが『TENET』なのである。
ディオニソスを崇めるオルフェウス教は、輪廻転生を説き、牢獄である肉体から魂(プシュケ)を救済する目的があった。
また、『TENET』と、フリードリヒ・ニーチェの根本的な思想である永劫回帰の関係についても以前考察していたが、
L’Éternel retour─エントロピーの減少によって完成される永劫回帰
https://note.com/include_all_8/n/ndb7103e2ce40#wU2cw
《余談1》ニールのお守り(タリスマン)のコインは何故1943年製なのか?
https://note.com/include_all_8/n/ndb7103e2ce40#mivZ7
永劫回帰を提唱したニーチェは、創造的や衝動的な特色をもつ「ディオニソス的」という芸術衝動の類型を説いていた。
このことから『TENET』はやはり、ディオニソスからもニーチェや永劫回帰につなげる意図があると考えられる。
オルフェウス教の輪廻転生のイメージと、永劫回帰。このことから、円循環のイメージを持つ『TENET』には、下のイメージ図のような可能性が秘められているのではないだろうか。
❶❷❸は、❹の期間内を時間軸に沿って移動していく。❹は、もしもアルゴリズムが起動された場合、逆行後に一巡する可能性を示したものである。 ❹の可能性については、『TENET』のサー・マイケル・クロスビーとのランチのシーンのロケ地がThe Reform Clubというロンドンの会員制クラブであることから割り出したものだ。The Reform Clubは1981年に他の男性用クラブよりいち早く、女性が入会できるよう規則を変更していた。『TENET』劇中で映る新聞に2019年とあるため、本来であればThe Reform Clubのシーンは女性がいてもおかしくないのだが、建物内に女性は見当たらない。建物の入り口も映している点から、ただのクラブの概念のロケ地としてだけではなく、その場所のもつ意味を利用しようとしているのではないだろうか。
上記からTENET劇中の世界は、実はアルゴリズムが少なくとも一度起動された後の世界──つまり逆行後に一巡し、やり直された世界なのではないか。そのため、現実世界とは少しずつ異なっている部分があるのではと考えている。
❸はオルフェウス教の輪廻転生のイメージもあるが、セイターを演じたケネス・ブラナーの監督作『愛と死の間で』(1991)の要素が『TENET』にいくらか見られており(ウォルト・ホイットマン、バンジージャンプ、オペラ、手袋、時間の逆行、護身として渡される拳銃、フィルムの逆回し、永劫回帰的な反復性など)、おそらくオマージュと思われる。『愛と死の間で』が前世・輪廻転生が重要な要素となっていることもあり、おそらく少なくとも『TENET』の主人公(名もなき男)とニールは前世があり、輪廻転生をしている疑いがある。
以前下記の考察で『TENET』の主人公とニール≒ホイットマンとコクトーという説を打ち出していたが、上記の仮説よりホイットマンが主人公の前世であり、コクトーがニールの前世である可能性が出てきたのである。
ホイットマンもコクトーも詩人であり、かつゲイ(もしくはバイセクシュアル)としての側面がある。詩の神ともいえる二人の色彩に彩られた『TENET』は、いわば最強のクィア映画なのである。
《余談》『レミニセンス』は『TENET』へのアンサーである
上記を書いた後に、同じくオルフェウスの伝承を題材にしたリサ・ジョイ監督作『レミニセンス』本編を確認したところ、『レミニセンス』が『TENET』へのアンサーであると決定づけられる点がいくつか見つかった。
①エンドロールのLonr. & Amber Markによる曲 “Save My Love” の歌詞が、『TENET』の “The Plan” へのアンサーになっている。
各歌詞サイトで多少の差異はあるが、下記内容を正とみなした。
“Save My Love”
Lonr. & Amber Mark
There, we had a plan
You wanna go, back where we been
I understand, but I can’t
Stop the dream, It’s on its way
Memories, will keep you by my side
Memories, will never let us die
Save, save my love
Save, save the way I made you feel
You were so bright
You didn’t notice me standing there in the dark
And now you’re slipping away,
And I’m hoping you don’t drift off too far
Memories, will keep you by my side
Memories, will never let us die
Save, save my love
Save, save the way I made you feel
This is not the end, we’ll be back again
Roads are winding, but I’ll find a way back to you, someday
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“Save My Love”(和訳)
Lonr. & Amber Mark
※下記和訳の【 】は、直前の箇所のダブル・ミーニングと思った内容。
そのとき 私たちには計画【plan】があった
あなたは戻りたいのね かつて私たちがいた場所に
気持ちはわかるけれど 私にはできない
夢を止めて それは夢の途中にあるから
記憶は あなたを私のそばに居させてくれる
記憶は 私たちを決して死なせない
守って【記録して】 私の愛を救って
うまく切り抜けて【記録して】 私があなたに感じさせた道を
あなたはとても明るくて
私が暗闇の中に立っていると気づかなかった
今あなたは静かに去り【安らかに死んで】
私はあなたが深く眠り込まないようにと願う
記憶は あなたを私のそばに居させてくれる
記憶は 私たちを決して死なせない
守って【記録して】 私の愛を救って
うまく切り抜けて【記録して】 私があなたに感じさせた道を
これで終わりではなく 私たちはまた戻ってくる
道は曲がりくねっているけれど いつの日かあなたのもとへと戻る出口を見つけるわ
歌詞の1行目で “There, we had a plan” ──【plan】という単語が入れられている点から、『TENET』のエンドロール曲 “THE PLAN” へのレスポンスになっていると考えられる。
“THE PLAN” の歌詞については、下記ページにまとめている。
【ネタバレ注意】Travis Scott “THE PLAN” 和訳─『TENET テネット』の真意とは
https://note.com/include_all_8/n/n8366391c7bb3
②ジャン・コクトー監督作『オルフェ』と、コクトー脚本『悲恋』(1943年)のオマージュシーンがある。
『TENET』に『オルフェ』『悲恋』の要素が織り込まれており、重要な役割を担っていることは、これまでの考察で説明してきた。
さらに『レミニセンス』にも、『オルフェ』『悲恋』へのオマージュシーンが仕込まれている。
具体的には、下記の部分である。
・三面鏡のシーン…『オルフェ』
・螺旋階段のシーン 2度…『悲恋』
・ラスト、フレディがいる海上の一軒家へ船が向かうシーン…『悲恋』
※ただし『悲恋』では一軒家ではなく島
『悲恋』の原題は “L‘Éternel Retour” であり、ニーチェの「永劫回帰」のフランス語訳である。『レミニセンス』にはニックが過去の記憶を繰り返し見続けるなど、反復性のあるシーンが多い。また、ニックとメイの関係性は、オルフェウスの伝承の再現であるともとれる。これらは反復するストーリーとなっている『悲恋』を参考にした可能性が高い。
③オルフェウスの伝承の原点に立ち返ることを提示している。
『レミニセンス』のニック/メイ/ワッツは、『オルフェ』のオルフェ/ウルトビーズ/ユリティス/王女(オルフェの死)の四人の関係の差し替えであり、『TENET』の主人公(名もなき男)/ニール/キャット/アイヴスの関係の差し替えでもある(注2)。
(注2)ただしノーラン監督いわく、『TENET』にラブ・ストーリーが存在するとすれば、主人公(名もなき男)/ニール/アイヴスの3人のラブ・ストーリーだと言っている(『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』を参照のこと)。
しかし『オルフェ』『TENET』と違う点は、主人公が同性愛に転ぶ可能性が排除されているということ。
ニックに思いを寄せる人をメイとワッツという2人の女性にし、極端に親しい男性を置かないことにより、同性愛に転ぶ可能性が排除されている。どちらかといえば『黒のオルフェ』のキャラクター構成に近いが、ニックのメイに対する一途さが終始一貫して強調されている点は特徴的である。
しかしこれを行うことによってクィアに差別意識を持っていると勘違いされることを恐れたのか、序盤でレミニセンスする男性のパートナーを男性にし、クィアに差別意識がないことを暗に示そうとしている。
『レミニセンス』では、大元のオルフェウスの伝承の再解釈がなされているのだ。そもそも、もし無事にエウリュディケを地上へ連れ戻して来られたなら、オルフェウスが同性愛にはしることもなく、トラキアの女達に八つ裂きにされることもなかっただろう──という仮説が浮かび上がってくる。
上記により、意図的ではないかもしれないが、コクトーが『オルフェ』で表現したことが否定されている。劇中にオマージュシーンを入れているものの、コクトーの真意がわからないまま、オルフェウスの伝承を再解釈してしまった可能性も無きにしもあらずだが……。
コクトーが『オルフェ』で表現したことを否定するというのは、すなわち『オルフェ』を下敷きにして構造をインストールしている『TENET』を否定することに繋がる。注意すべきはあくまで、クィアに対しての否定・差別ではないということである。また言わずもがなだが、『TENET』に対するオマージュでもない。『TENET』の材料と一部同じものを使用し、永劫回帰の概念はインストールしているにも関わらず、『レミニセンス』の向かう先は『TENET』とは逆だ。
婉曲的な『TENET』の否定。根本的な構造に対する否定なのである。これはどういうことなのか? なぜそのようなことをするのか?
リサ・ジョイは夫であるジョナサン・ノーランと共に、ドラマシリーズ『ウエストワールド』でも製作・脚本・監督を務めているが、公開前であるシーズン4のテーマが「倒錯(Inversion)」であることが明かされている。
「ウエストワールド」シーズン4、テーマは「倒錯」 ─ 「複数の新世界」が到来、映画『レミニセンス』キャストがサプライズ登場か
https://theriver.jp/westworld-s4-new-world/
これまでの『TENET』考察でもなんどかinversionという単語について書いてきた。『TENET』で「逆行」の意味で使用されているinversionは、フロイトが「性対象倒錯」の意味で使用してきた単語である。オルフェウスの伝承を扱った 『レミニセンス』に引き続き、『ウエストワールド』でもinversionという『TENET』と繋がりのある単語を用いてくるのは、なにか強迫的なものを感じざるを得ない。
ノーラン家界隈に何があったのかと勘ぐりたくなってくるが、窺い知ることのできない領域なので、『レミニセンス』についての考察はここまでにしておくことにする。
その他の参考文献
■『ジャン・コクトー全集 第七巻 戯曲』堀口大學・佐藤朔(監修)、東京創元社、1983年
■『ジャン・コクトー全集 第八巻 映画 その他』堀口大學・佐藤朔(監修)、東京創元社、1987年
■『ジェンダーと「自由」 理論、リベラリズム、クィア』三浦玲一・早坂静(編著)、彩流社、2013年
■『茨城大学教養部紀要(第26号)』「ジャン・コクトーの映画『オルフェ』」青木研二、p383-401
https://rose-ibadai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=10845&item_no=1&attribute_id=20&file_no=1
■『茨城大学教養部紀要(第23号)』「ジャン・コクトーの『永劫回帰』」青木研二、p427-442
https://rose-ibadai.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=10833&item_no=1&attribute_id=20&file_no=1
■『哲学の探求第42号 哲学若手研究者フォーラム 2015年4月』『存在の一義性と永劫回帰 —ジル・ドゥルーズにおけるスコラ学の再定義を伴う哲学史の改編—』上田唯吾、2015年
http://www.wakate-forum.org/data/tankyu/42/42_17_ueda.pdf
■Williams, James S. Jean Cocteau (French Film Directors). Manchester University Press. 2006
■ニーチェ. ツァラトゥストラ(上) (Japanese Edition) . Kindle 版.
■ニーチェ. ツァラトゥストラ(下) (Japanese Edition) . Kindle 版. 2011
■『世界の名著49 フロイト』懸田克躬(責任編集)、中央公論社、1966年
■『レミニセンス』パンフレット、松竹株式会社 事業推進部、2021年
■コトバンク「オルフェウス」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A6%E3%82%B9-41672
■コトバンク「オルフェウス教」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%95%99-41673
■コトバンク「サトゥルヌス」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%82%B9-511378
■コトバンク「ニーチェ」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7-109716
■コトバンク「ディオニソス的」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BD%E3%82%B9%E7%9A%84-2064665
■『TENET テネット』(2020)ワーナー・ブラザーズ ホームエンターテイメント版DVD
■『オルフェ』(1950)キープ株式会社版DVD
■『愛と死の間で』(1991)パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパンDVD
※無断転載は固く禁じます
追記 2021/10/18
下記の項に、ジャン・コクトー『映画について』の引用文を追加しました。
■クィア映画に現れるオルフェウス
追記 2021/10/19
余談として、下記項目を追加しました。
■《余談》レミニセンスは『TENET』へのアンサーである