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【ネタバレ注意】『オルフェ』から『TENET テネット』へ─価値観のアップデート

 先日、クリストファー・ノーラン監督『TENET テネット』(以降、『TENET』)のテーマソング、Travis Scott “THE PLAN” の和訳とともに、考察を投稿した。

【ネタバレ注意】Travis Scott “THE PLAN” 和訳─『TENET テネット』の真意とは
https://note.com/include_all_8/n/n8366391c7bb3


【以下、超ネタバレを含むのでご注意ください】

【以下、超ネタバレを含むのでご注意ください】

【大事なことなので2回言いました】


 上記の投稿をした際、『TENET』では “invert” という単語が重要だと判明していた(詳細は上記投稿を参照のこと)。
 “THE PLAN” の歌詞に “invert” を想起させる ”in the ’Vert” がある他、脚本原文でエントロピーは減少の意を持つ言葉を用いられておらず、“invert” すると書かれているのだ。
https://scrapsfromtheloft.com/2020/09/05/tenet-transcript/

 この話をどうか覚えておいてほしい。


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価値観のアップデート

 結論から言うと『TENET』は、ジャン・コクトー監督作『オルフェ』(1950)をアップデートしたものなのだ
 オマージュどころの話ではない。ある意図をもって『オルフェ』のストーリーやキャラクター設定、そしてフィルムの逆回しなどの撮影技法を、現代版にアップデートしたのが『TENET』なのである。

『オルフェ』の説明をする前に、まずジャン・コクトーの話をしたい。
 ジャン・コクトーは1889年生まれ、1963年に74歳で亡くなったフランスの芸術家だ。詩人であり、小説家であり、劇作家であり、画家であり、批評家であり、そして映画監督でもあり……というように、非常に多才であった。ただし、1925年に初めて “Jean Cocteau fait du cinéma”(ネガは紛失) という短編映画を監督したときには、「失敗作」とまで言われるほどだったが──。
 単刀直入に言うと、コクトーはゲイであった。オープンリー・ゲイ。恋人のレイモン・ラディゲが20歳で夭折した際(その話を基にした三島由紀夫の短編小説「ラディゲの死」がある)、コクトーは悲しみのあまり阿片中毒になった。
 1929年、阿片中毒の治療中に書いたのが小説『恐るべき子供たち』だった。1930年に非常に実験的な映画『詩人の血』を監督、その劇中にも『恐るべき子供たち』の断片が含まれている。『詩人の血』で既に逆回しの技法を用いていたコクトーは、その後『美女と野獣』や『双頭の鷲』、『恐るべき親たち』、『オルフェ』といったクオリティの高い作品を世に送り出していく──。

 ここで『オルフェ』の話に入る。この映画はギリシャ神話のオルフェウスの伝説を、ジャン・コクトーが生きた1950年パリに置き換えて映画化したものである。他にもオルフェウスを題材にした映画はあって、例えばブラジルのリオデジャネイロを舞台にした『黒いオルフェ』(1959年)や、前者と同じ戯曲を原典とした『オルフェ』(1999年)もある。
 ただ『TENET』が、他のオルフェウス関連作でなく、コクトーの『オルフェ』のアップデート版だと断定するのには、複数の理由がある。

 『オルフェ』ではコクトーお得意の逆回しがふんだんに用いられている他、人物が足を動かしていないのに移動しているように見せる技法だったり、壁を滑り落ちていくような演出があったり……と魅惑的な映像マジックが満載だ。
 簡単にあらすじを説明すると──。


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『オルフェ』あらすじ


【『オルフェ』自体のネタバレが嫌な方は読み飛ばしてください。ラストまで書いてます)】

 大衆に人気のある詩人オルフェ(ジャン・マレー)は、ある日訪れていたカフェの前で、詩人セジェスト(エドゥアール・デルミ)が2台のオートバイに轢かれて死ぬのを目撃する。セジェストの同行者である “王女” と呼ばれる女性(マリア・カザレス)から、目撃者として同行してほしいと頼まれたオルフェは、ウルトビーズ(フランソワ・ペリエ)の運転するロールスロイスに乗り込んだが……。

 車は何故か警察署ではなく、謎の邸宅へ。 “王女” は、セジェストを轢いた二人のオートバイ乗りとグルだったのだ。オルフェはそこで、鏡をすり抜けていく “王女” やセジェストらを目撃する。セジェストは生き返ったように立ち上がっていて──信じられない光景に失神したオルフェは、邸宅ではなく土の上で目を覚まし、ウルトビーズにロールスロイスで自宅へ送られる。

 オルフェの妻ユリティス(マリー・デア)は帰ってきた彼が、自分を愛してくれていたはずの以前の彼とは別人のようになってしまったと感じていた。ユリティスは妊娠していることを話そうとしていたが、オルフェに冷たくあしらわれる。
 オルフェはロールスロイスのラジオから流れてくる、意味不明のようにもとれる詩の朗読に執着し、長時間車の中で過ごすようになってしまう。しかも、車の持ち主であるウルトビーズも家にいすわっていて、オルフェの車の助手席にオルフェを乗せて送ったり、いかにも相棒のようになっている。

 一方、人ならぬものである “王女” は、鏡を通じてオルフェの就寝中に毎晩こっそり様子を見に来ていた。実は “王女” は、オルフェの “死” そのものであったが、彼を愛していたのだ。
 そしてまたオルフェも、街角に彼女の存在を感じて、つい追いかけてしまうのだった。
 ユリティスは友人アグラオニス(ジュリエット・グレコ)のところへ自転車で向かおうとして、二台のオートバイに轢かれて命を落とす。そのことをウルトビーズがオルフェに伝えるが、ラジオの詩の朗読(実はセジェストの朗読だった)に夢中になるあまり、嘘だと思って取り合わない。そうこうしているうちに “死” とセジェストがユリティスを鏡の向こうの世界へ連れて行く。
 妻の死を認識したオルフェは、ウルトビーズに “王女” が “死” であることを教えられ、鏡を通り抜ける鍵のような役割の手袋をはめて、二人で鏡の中へ入る。

 その世界──ゾーンでは、正式な命令がないのに勝手な行動をとった “死” とその仲間たちを裁く裁判が開かれていた。その際に “死” はオルフェを愛していることを、ウルトビーズはユリティスを愛していることを打ち明ける。オルフェと “死” はユリティスに隠れて愛を語り合う。
 裁判の結果、ユリティスは生還する許可を得る。ただしオルフェに顔を見られると消えてしまうため、監視役としてウルトビーズも現世についていく。

 しかし一緒に暮らす上で姿を見ないことは難しかった。オルフェは車のミラーに映ったユリティスを見てしまい、ユリティスは消えてしまう。
 そして「オルフェがセジェストを殺した」という世論が強まり、民衆がオルフェの家に集まる。銃で撃たれたオルフェは命を落とし、ウルトビーズにゾーンへ連れて行かれる。

 “死” は自らを犠牲にして、オルフェを生かそうとしていた。ウルトビーズやセジェストは、“死” の命令で一度オルフェの息の根を止め、時間を逆行させて、あるべき姿──オルフェが鏡の中に最初に入る前の時間へと戻す。オルフェは自宅でユリティスと抱き合い、ゾーンにいる“死” とウルトビーズの二人は、連行されどこかへと消えていくのだった──。


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『オルフェ』と『TENET』


 主人公の詩人オルフェ役は、コクトーの長年の愛人だったとされるジャン・マレー。そして、もう一人の重要な詩人セジェストを、コクトー最後の愛人であり養子でもあるエドゥアール・デルミが演じている。
 愛人が映画に二人も出演している事実はひとまず置いておくとして……上記のあらすじで太字にした部分は『TENET』にも関連する部分だ。
 キャラクターの設定は、下記のように対応する。

■主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は劇中におけるオルフェの性格が丸々取り外され、残ったストーリー上の役割に正義感と戦闘力がプラスされた姿《ただし、主人公役として、ジョン・デヴィッドが起用されたことは、別作品である『黒いオルフェ』の影響が強いだろう》。
■ニール(ロバート・パティンソン)は “死” のロマンス上の役割と、
ウルトビーズが融合された姿。言うなれば主人公の “生” である。
■アイヴス
(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、 “死” からロマンス上の役割を抜き、セジェストの印象を少々足した姿。主人公の “死” である。
■キャット(エリザベス・デビッキ)は弱気のユリティスから、撃たれたことによって強気のアグラオニスと変化している。
■セイター(ケネス・ブラナー)はオルフェの性格と
ユリティスの執着心が移植された結果、妻への執着心が増され、さらに非情な人間にされた姿。
■キエフで殺されたアジア系の相棒(リッチ・セラウロ・コー)にも、『オルフェ』のセジェストの要素が足されている可能性が高い。オートバイ二台=ロシア人二人に殺される。

 オルフェの性格を、悪役であるセイターに与えたところが特に現代っぽい。確かにオルフェは浮気をするし、短気だし、女性差別的観点をもっていて、妻そっちのけで車のラジオの虜になっている……主人公らしからぬ駄目人間なのだ。

『オルフェ』の “死” は、命令を受け、スパイのように人間界に入り込みターゲットを殺す。つまり『オルフェ』はある種のスパイ映画だったともいえよう。
 東京創元社『ジャン・コクトー全集 第八巻 映画 その他』(1987年)の『オルフェ』の項、ジャン・コクトー自身が書いた “死” についての設定にも、「女スパイ」の記述がある。

プリンセス──マリア・カザレス
 この映画に象徴はない。したがってプリンセスも、死を象徴するものではない。航空機のスチュワーデスが天使でないのと同じくらいに、彼女もまた「死」ではない。彼女は【オルフェの死(傍点)】なのだ。そしてまた、セジェストの、やがてはユーリディスの死であろうとする。彼女は、「死」に仕える数多くの官吏のひとりである。われわれにはそれぞれに自分の死があり、誕生の瞬間からずっとそいつに見張られているのだ。
 ある男を見張るよう命令を受けた女スパイが、くだんの男の命を救い、わが身を破滅させる……プリンセスはいわばそうした役どころを演じている。彼女に与えられる処罰がどのようなものになるのか、わたしにもわからない。それは謎である。昆虫学者を驚かせる蟻塚や蜜蜂の巣の謎にも似た謎なのだ。彼女に与えられている力はごく限られたものである。自分がどのような危険にさらされるのか、彼女にはわかっていない。オルフェに対する彼女の愛、そして、彼女に対するオルフェの愛は、詩人たちが、自分の住む世界を超えたものに対して感じるあの深い魅惑をあらわしている。それはまた、われわれにとりついたあの無数の本能にはっきりとした形を与えることも、それを働かせることもできないわれわれの不具を、なんとか克服せんとする詩人たちの執着をあらわしてもいる。
(以下略。今日では差別とも捉えられかねない用語が含まれているが、引用のため原文ママとした)

 その他にも、『オルフェ』には『TENET』とつながる部分が多く、箇条書きにすると──。

(左が『オルフェ』、右が『TENET』)
■運転手ウルトビーズ→運転手ニール(タリンの高速道路にて)
■鏡→回転ドアと検証窓
■手袋→鉛入りの手袋
■時計のカット→時計のカット(キエフでの拷問中など)
■ロールスロイス→BMW
■ロールスロイスのラジオ→BMWのラジオ
意味不明のようにもとれる詩の朗読→順行時に意味不明に聞こえる逆行通信
◾️ゾーン→逆行時
■鏡文字→TENETで用いられていた最初のロゴ(権利の問題があって使用しないことに)
■ラストの太鼓の音楽→エンドロールで流れるトラヴィス・スコット “THE PLAN” の重低音

 特記すべきは手袋の存在だ。コクトー作品で手袋は重要な意味を持つ。『オルフェ』では異世界へ入るための鍵の役割を果たしている。『TENET』ではさすがに回転ドアを使用するときに手袋は使わないが、アルゴリズムや逆行する物体を掴むときに鉛の手袋が使われている。
 他にも『オルフェ』劇中の台詞から、『TENET』に繋がるような言葉を引用すると──。

(以下、キープ株式会社版DVDより)

■ウルトビーズ「頭で理解しようとするな 信じるんだ」
■“死” 「死には様々な姿がある 若者や老人たち皆が 命令で動くの」
 オルフェ 「もし従わなかったら? 殺されはしまい」
 “死” 「死 以上の罰よ」
 オルフェ 「命令はどこから?」
 “死” 「ありとあらゆる所からよ アフリカの太鼓の音や── 山びこの声 木を揺らす風の音」
■モノローグ「“死” は自らを犠牲にして── 詩人を生かそうとしていた」
■“死”「しゃべらないで自分を解放して すべての しがらみから 自由になるの」
■“死”「さあ 行って 時間をさかのぼるの あるべき姿に戻すのよ」


「頭で理解しようとするな 信じるんだ」が特にわかりやすい例である。
 また、「アフリカの太鼓の音」という台詞が『オルフェ』にあるが、それとリンクするかのように、後半の重要なシーンやラストシーンで、ズンズンと鳴り響く太鼓の音がBGMとして流れている。そして、『TENET』のエンドロールでは、トラヴィス・スコットの “THE PLAN” が重低音をズンズンと響かせる。 “THE PLAN” もまた、「アフリカの太鼓の音」なのである。アフリカ系アメリカ人であるトラヴィス・スコットが起用されたことにも意味があったのだ。
 引用どころの話ではなく、『TENET』は現代の感覚で作り変えられた『オルフェ』なのだ。


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再解釈され、アップデートされる『オルフェ』


 しかし、クリストファー・ノーラン監督が素晴らしいのは、キャラクターたちを現代の感覚で救済しようとしているところだ。前の投稿にも書いたが、『TENET』には「抑圧からの解放」という裏テーマがある。

①男女格差や性差別問題からの開放
②人種差別問題からの開放
③クィアに対する差別問題からの開放

 この件の詳細(特に③クィアに対する差別問題からの開放について)は、下記の記事の一部を貼る。
https://note.com/include_all_8/n/n8366391c7bb3

③は、歌詞の和訳に至るまでは、裏付けが難しいと考えていた。
ニールは主人公のことを “friend” と呼んでいたし、TENETは「友情」とか「相棒」とか、そういう言葉に彩られている。
が、何度かTENETを摂取していると、少しずつ見えてくるものがあった。
例えば、スタルスク12での挟撃作戦前。トレーニングしているニールを名もなき男がじっと見ている。それに気づいたニールが名もなき男に目線を向けると、慌てて名もなき男が目をそらす。
普段、男女関係を描くときでもあまりセクシャルな描写を入れないノーラン監督にしては……結構踏み込んでるように感じた。単なる相棒とか友人というにはあまりに意識しすぎてる……恋する男の目線のようだった(そういう描写、他のノーラン作品であったかどうか確認したい……)。
その後にくるキャットとの別れの描写が、結構サバサバめだったので、余計に際立つのだ。あれほど主人公はストーリー前半で、キャットにアプローチしていたのに。別れのシーンはキャットからの軽いキスだけで、主人公からのアクションはない。
その代わり、逆行以降はニールの印象が大きく変わるシーンが増えていた。タリンで主人公は一時、ニールに裏切りの疑いをかける。しかし、逆行して向かったオスロで主人公は、ニールに命を助けられていたことを知る。

描写が控えめなので非常にわかりづらいが、逆行以降の主人公はニールに惹かれている。そういう脚本の作りになっているのだ。
以下のどちらかだと考えられるが……
■順行だけ知っていた時期の主人公の心はキャットに向いていて、逆行以降はニールに惹かれている。この場合、主人公はバイセクシュアルとなる。
■キャットが主人公に、私のことを利用していると指摘していた言葉から、主人公のセクシュアリティは元々ゲイで、それを隠してキャットに任務の一環として迫っていた。ただし優しい心の持ち主なので、キャットの命は本気で助けようとした。逆行以降、主人公のニールへの気持ちが変化していく。

後者と断定する。
この記事の最後にも少し書いたが、主人公周辺にはゲイ・カルチャー的なものがサラリと仕込まれている。

TENETが、007と真逆の演出がされていることも意図的だろう。
007の主人公は白人、酒を好み、女性好き。
しかしTENETの主人公は黒人、酒よりもダイエット・コークを好み、そして……

TENETは明らかにクィア映画の文脈を持っている。
主人公は劇中で初めてニールに出逢う。
未来から逆行してきたニールは、去り際まで真実をほとんど明かさない。
だから両者の間には、ベタベタに親密な空気は流れようもない。
しかしこれは、普段セクシャルな描写を劇中にあまり入れないノーラン監督なりの、クィア表現なのだろう。

ただし、劇中の逆行している人々が皆クィアだというわけではない。
任務中、自分を押し殺していた主人公。
しかし逆行が普通になった世界で、主人公の世界の捉え方が変化し、その結果自己と向き合うこととなる──。
逆行は、ノーラン監督にとってはTENETのビジュアル的な面を支える屋台骨であり、かつ主人公の内面を効果的に演出するための手段だったのだ。
公開前から話題になっていた通り、TENETは ”SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS” というラテン語の回文からとられている。
逆から読んでも同じ。それは何を意味するか。
invertという言葉には、性対象倒錯者という意味もある。だがクィアは決して倒錯しているわけではない。
もし逆から読めたとしても。ヘテロもクィアも、そして全ての性別の人々も、全ての人種の人々も。
みんな同じ人間だ。


 最初に書いたとおり、コクトーはオープンリー・ゲイである。『オルフェ』では一見、ヘテロのカップルたちを描いているように見える。
 しかし、『オルフェ』のウルトビーズはユリティスを愛しているとは言っているものの、ユリティスよりもオルフェと相棒のように過ごしているシーンが多く、結果的に肩を触ったり、手を引いて連れて歩いたり……という触れ合いも目につくのだ。本当にユリティスを愛しているのか、勘ぐってしまうところがある。
 オルフェ自身も、鏡に触れて失神するシーンなど、ナルシスティックにも見えるし、同性と抱き合っているようにも見える。
 また、アグラオニスはユリティスに恋をしているだろう、と指摘する声もある。

 ここで、最初に書いた ”invert” の話に戻ると、この語には「逆転」「反転」などの他に、「転倒した物[人]」から転じた医学用語の「同性愛者」の意もある。ただし、現在ほとんど使用されていない用語のようではあるが。
https://ejje.weblio.jp/content/in+vert

 “invert” の語の使用。そしてジャン・コクトーの『オルフェ』のアップデート。これらは偶然ではないだろう。
『TENET』にはクィア映画の文脈がある。意図的にクィアを救済しようとしているのだ。
『オルフェ』がフランスで公開されてから70周年にあたる2020年に、『TENET』が公開されたことは果たして偶然なのだろうか?
 70年も前なのに、コクトーはおおっぴらにゲイとして生活していた。
 70年も経っているなら、より良い世界になっていてもおかしくはない。なのに現代ではまだ、少しずつ変わってきているとはいえ、LGBTQなどクィアへの差別がある。

 しかし、左から読んでもTENET、右から読んでもTENET。
 皆同じ人間なのである。

『TENET』を観たら、ぜひ『オルフェ』も観てほしい。
 そして『オルフェ』の続編として、『オルフェの遺言 -私に何故と問い給うな-』(1960年)もあるので何卒よろしくお願いいたします。

追記(2020/11/14)
アイヴスの役割がようやく確定したので、ニールなどの役割とともに修正した。ニールはやはり “生” だったのだな……。

追記(2020/11/23)
再びまさかの続編が出ました!
【ネタバレ注意】beautiful friendshipの秘密《前編》─ウォルト・ホイットマンとジャン・コクトーから読み解く『TENET テネット』
https://note.com/include_all_8/n/n09e92f727a1e

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