そもそも雇用とは何なのか?エンプロイアビリティに未来はあるのか。
コロナ禍において、最近よく思うのが「“雇用”ってそもそも何なんだろう?」ということ。
「雇用される」「雇用関係」「雇用契約」「雇用調整」など、様々な表現が存在している。
「雇用」という状態は、目に見えなくて形も無い中で、個人と企業の間で一定の効力を有している。しかも、その効力は半永久的である一方、双方の合意によってすぐに解消してしまうものでもある。
果たして、雇用とは何なのだろうか。
「雇用」について民法では、次のとおり定められている。
民法第623条:当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。
使用人と使用者の双方の約束により成立する関係性であることは理解出来る。
雇い雇われの構造で、権利と義務が発生する関係性であり、使用人は、労務の提供により対価を得て、使用者は労働力を通して事業の拡大を実現する。
そうすることで、雇用関係が成り立っている。
「雇用」という無形のものを、形として示す物として「雇用契約書」が存在する。「雇用契約書」なる紙媒体に、約束事が記されていて、それに合意することで雇用契約および雇用関係は成立する。
制度としても仕組みとしても、しっかりと存在している「雇用」。
コロナ禍において、観光産業やサービス業を中心に事業が、立ち行かなくなってしまっている会社も増えてきた。
グループ内外への出向や、希望退職者の募集、賃金カット、採用活動中止など、あの手この手で傷口を必死に抑えているが、改善の兆しがなかなか見えない。
日本を代表する大企業でさえも、過去最大の赤字を出したり、雇用自体が守れなくなってしまっているのだ。
そんな状況下において、「雇用」という関係性は、本当に意味を成すのか。
「エンプロイアビリティ」というワードが存在する。
直訳すると「雇用され得る能力」だ。
エンプロイアビリティ(employability)は経済学用語の1つで、従業員として「雇用され得る能力」のこと。
雇用されるに値する能力を指し、継続して雇用されるための能力も含む概念です。
また、我々を取り巻く技術環境や産業構造の変化に順応し、迅速に異動や転職ができる能力でもあります。 エンプロイアビリティは、まさに労働市場においての「個人の価値」といえるでしょう。
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雇用を前提とした能力を高め続けることは、本当に雇用の安定につながるのだろうか。そもそも、雇用の安定なんて本当に存在するのだろうか。
「継続して雇用されるための能力」とあるが、結局「雇用される」という受身が前提となっていて、その能力を発揮するためには雇用にしがみつかなければならない。それって、本当に能力と言えるのだろうか。
雇用に左右されない働き方や生き方が、改めて注目されてきている。
少し前のノマドワーカーではないけれど、自分の人生の主導権を自分自身で握る「キャリアオーナーシップ」の意識が高まってきているように感じる。
僕自身は、企業の人事として採用活動もしているのだけど、求職者の方との面接をしていく中で、本当に雇用という関係性が双方にとってベストな選択なのか、お互いの相乗効果を発揮する上では、雇用でない関係性の方がパフォーマンスが発揮出来るのではないか。そうを感じることも少なくない。
コロナの影響もあり、パラダイムシフトが起こっている今、改めて雇用の関係性や雇用の必要性、そして雇用の限界について向き合うときが来たのではないかと感じる今日この頃である。
*INAZUMAN*