いっぱい食べれる
これは、もうご存知の方にとっては、「聞き飽きた!」と思われる話かも知れません。そう、お馴染みの「ら抜き言葉」のことです。以前、ある方(日本人)がインタビューで、「食べられる」は「いっぱい食べれる」ことかな、と答えていたのが印象的でした。
私は、日本語教師を目指すずっと前から、「見る」や「食べる」などの可能形には、「『る』を取って『られる』を付ける」ことは知っていました。しかし、勉強を体系立てて進めていくうちに、まず助動詞『られる』の用法には、「受身・尊敬・可能・自発」の4つがあるのだと理解しました(例:声を掛けられる、お客様が出られる)。そして、唯一「可能」だけが、よく使われる上に短くて言いやすい、他の3用法と区別すべき、ある地方の方言では正しい、などの理由で「ら抜き」になりやすいことが分かってきたのです。
「ら抜き言葉」の例外として、「認める」「考える」「諦める」など、比較的長い動詞の場合には、「認めれる」などの誤用はぐっと少なくなるのだそうです。ちなみに、「ら抜き言葉」をごく簡単に言うと、「『る』の直前の音が『イ段』か『エ段』の動詞」で生じる現象です。「見る」は「み(=イ段)る」、「食べる」は「たべ(=エ段)る」ですよね。
個人的に、私にはとても「信じられない」話なのですが、数年前に実施されたある調査によると、「ら抜き言葉」を使うのは10代の約75%、70代の約30%とのこと。周りの方々を注意深く観察している限り、どの世代においても、実際には限りなく100%に近い印象を覚えます。もしかしたら、調査の主旨を察知して、「正しい言い方を知っている」という意識が回答に表れたのでしょうか・・・
とにかく、近い将来、この傾向は「止められない」だなんて、いい加減に古臭い言葉を使うな!なんていう時代が来るのかも知れませんよね。
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