慌てる乞食は貰いが少ない
25歳の10月、二度目のニート生活が始まった。
少額の貯金に両親の援助、おまけに失業保険まで振り込まれる。朝食を摂り煙草と珈琲をシバき、読書をして映画を見て、曲を書いたりベースの練習をしたり、自分の身になる優雅な時間を過ごした。なんて贅沢なニートであろうか。ああ、神様。こんな僕をお許しください。
ニヤケ面で、信じてもいない神に許しを請う。しかし翌日からは見事なまでに堕落しきった生活を送る羽目になった。神様からの反感を買ってしまった僕は、皮肉にも神の存在を認めざるを得なかった。
「全部神様のせいだ」
午前三時、横たわりながらYouTubeをみて、僕は呟いた。信心深いって便利なんだなあ。
贅沢ニートも束の間だった。結局、少しばかりの貯金も中古車に変わり、失業保険は三か月経たないと貰えなかった。inariの前身バンドも動き出し、RECやスタジオ代にお金が消え、その他支払がのしかかった。お金がないと精神がすり減る。すり減った精神下では活力がなくなる。活力がなくなればお金も生み出せなくなるのだ。(余談だが、そんな当時を振り返った未発表曲も書いた。)
果報は寝て待てだの慌てる乞食は貰いが少ないだの、随分気楽な言葉だよなあ。そう思う反面、手っ取り早くお金を稼ぎたい欲があったものの、神によって堕天使と化していた僕はなかなか動き出せずにいた。ていうか乞食て。じゃかあしいわ。
今ではびっくりするぐらい正社員になってしまったわけだが、貧窮に貧困を重ねた生活はニート時代となんら変わりない。働き、稼ぎも少ないなんてまるで奴隷だ。社畜ではないのだ。職場の人間関係は良好だし、残業が多い訳でもない。むしろ今は仕事をサボってnoteを書いたり、バンドの制作物の見積もりをとったり、MV公開設定などができたりと、本来自宅でやらなきゃいけなかった事が往々にしてできてしまうのだ。いい職場だ。
ただ、給料がえぐい程少ないのだ。低賃金でそれなりに責任ののしかかる職務をまかされてしまってはたまったモンじゃない。暇なのも業績が悪いからだし、昇給の話もどうなってしまったのか。そんなわけで、奴隷のごとく働かされている感じがあるのだ。ネオ奴隷。
ニートの方が時間を有意義につかえるよな。
決して怒らず、決して慌てず、じっと耐えうる乞食になりたいものだ。
inari せんしろう