あるいは、よく晴れた朝陽に殴り起こされて、いつもなら不機嫌な二度寝をする所を元気に「おはよう!」と飛び起きた朝かもしれない。 あるいは、近所の子供たちが裏路地いっぱいに5色程のチョークで残した落書きを、西陽が創り出した黒い友達と遊んだ帰り道かもしれない。 あるいは、遠い国で愛してやまない景色や歴史に圧倒されて意識を失いかける程大きすぎる感動をもらった時かもしれない。 あるいは、馬鹿な癖して自分の意見が民意であるかの様に振る舞うヤツに死ぬほど悔しい思いをさせられた
オモコロというWEBメディアのインターネットラジオを好きでよく聞く。シャワー中に月曜日放送の『ありっちゃありスパーク・梵』(オモコロ編集長の原宿さんとイラストレーターの室木おすしさんの小気味の良い会話と下らなくもサブカルのトレンドを押さえた内容のバランス感覚が大好きだ)を流すのが日課となっている。 『ありスパ』の過去のアーカイブを聞いていると、おすしさんが沼田光太郎さん・オオノマサフミさんの3名のイラストレーターからなる展示ユニット『ネジフセルズ』として額装作家の中守生
夜明けが早くやってくる。少し白んだ中に佇む富士山を横目に颯爽と車に飛び乗る。朝7時から始まる4時間の生放送は僕の時間厳守によって週に2回、電波に乗るか乗れずかの弥次郎兵衛と化している。スタジオまでの道中タバコを吸う。夜に少し蒸された車内の澱みとタバコの煙を適温の外気と入れ換える。空気が美味しい。喫煙者が空気の美味しさを語るなんて馬鹿げてると吐き出された煙は意思を持ったように外へ逃げ出す。まだ夢でも見ているのかもしれない。強まる日差しを浴びて少し可笑しい妄想に目を細める。
5月は誕生月だ。気づけば僕も数週間で30歳になってしまう。 『30』 何とも言い難い、多くも少なくも無い中途半端な数字であろうか。年齢で言えば40歳程大人な雰囲気は無いし20歳程フレッシュさは無い。集客で言えば一般的なアーティストレベルから言えば少ないし、無名無所属のアーティストとしては多い。なんだか煮え切らない。アニバーサリー感も薄い。 そもそも自分の誕生日に興味が無い自分にとって年齢とは必要書類や妙ちくりんなアンケートに必要な記号でしかないのだ。卑屈だということは(
忙殺されている。 金を稼いだり曲を書いたり演奏したり筋トレしたり撮影したり打ち合わせしたり。バンド以外の個人の活動も大切に育てていきたい。忙しい事を理由にその両方を蔑ろに出来ない。していはいけない。人の10000000000倍は労働が嫌いな僕は興味や意味のある仕事しか続けられない。若しくは知り合いに雇ってもらったその恩でしか、だ。 騒がしく過ぎる日々の中で考える。 何が大切で何が大事で何を優先するか。生活があって特別がある。アーティストとしてミュージシャンとして
先ず偉そうに厚かましくもスポットライトを浴びる事が日の常の様な表現である事、ご容赦願う。 クソ水を垂れ流すこの数日、二本角の悪魔が三叉槍で腸をスパゲティの様に巻き締め上げる様な痛みに悶えていた。俺は痛みに耐えきれず、のたうち回り壁に頭を打つけながら「痛ェ..痛ェ...!」と叫ぶ。ガキの頃から利用していた近所のオンボロ病院へ駆け込む。点滴を打つハメになるが若い新人看護婦は下手糞だった。俺の腕に無駄に針が刺さる。怒る気力は無い。其れ処ではない程に腹が痛えンだわ。高い診
オペラのオペをした。 コレが言いたいが為に頼まれてもいないのにやった。という訳では無いが、実際オペラのオペ(PAのことだよ)なんかやれる機会もそう無いし、非常に楽しかった。それに僅か2メートル先で聞くオペラ歌手の歌声の凄まじさたるや。マイク要らねえ。 オペラという単語だけで思い出すのは黒い背景に白い仮面、すぐ側には深紅の薔薇が描かれたジャケット。ご存知ミュージカル『オペラ座の怪人』のサウンドトラックだ。小学生の頃、母親の車で良く聞いた。どんな話かもわからず、そもそもミュ
日の出と共に目が醒める。南側カーテンの隙間からは朝陽が斜めに差し込む。乱反射する埃だって間接照明として美しく機能するなぁと、薄ぼんやりした脳内は今日も絶好調にロマンチストで居てくれている。 歯を磨き洗顔をする。ラジオからは調子の良いパーソナリティが嘘のような明るさでリスナーからの便りを読み上げる。 「……それでは『ギガ山油ドカ淀み涎之助』さんからのリクエストで、青山テルマ Feat.Souljaで『そばにいるね』をどうぞ」 およそ朝には似つかない選曲に呆れながらフライパ
幼い頃の記憶を擦り過ぎてしまい、平成初期の児童向け番組や友人たちとのしょうもない思い出話を齢30の今でもしてしまう。 過去の事ばかりを考えて現在や未来を直視できていない。いや、正確には直視出来ていない訳ではない。新しいものや価値観触れ、あらゆるアートの新作や旧作を目にし耳にしている。ただあまり自分の血肉になり得ていないのは単純にアウトプットの差であろう。昔から話してきた事に比べて圧倒的に仕入れた知識のアウトプットが足りていない。 大学生の頃は近い興味関心を持った人た
我が班は浜松市の全ての音楽施設に従事した「てくてく音楽マップ」を作成するプロジェクトの一端を担った。「楽器のまち」から「音楽のまち」へと変遷した浜松へ真意に迫り、その研究を目的とし本当の「音楽のまち」へ発展するものとする。 その概要は音楽施設の不況に伴う衰退の原因を追究し、各施設へフィールドワークを行い実際にマップの作成に取り掛かった。事実、音楽従事者が寛容な行為を行うわけになりまた多様な変遷と共にその解決に向かうべく調査を行う。プレゼンテーションではより見やすいようにポ
恋愛映画が大好きだ。 アクションよりもSFよりも ミステリよりもホラーよりも大好きだ。 バカみたいにベッタベタのベタ であればあるほど大好きだ。 ひょんな事から出会って少しすれ違って 最後には熱いキスをしてくれる恋愛映画が大好きだ。 ラストシーンで笑えるほど 壮大な音楽が流れたら尚更良い。 時には上手くいかなかったり 最愛の人が亡くなったり 御涙頂戴も大歓迎だ。 癇癪持ちの男や頭の悪いバカ女が 無意味にセックスするシーンが大好きだ。 顔はいまいちだが妙にモテる友
あれは中学二年生の時だった。林間学校のキャンプファイヤーで出し物が出来るらしい。誰かが何処からか聞きつけた。目立ちたがり屋で音楽が大好きな僕たちがバンドを組むことは自然な事の様な気がする。 僕はメンバーの中で唯一楽器の経験が無かった。余っているから、という理由だけで僕はベースとかいう弦が4本だけの地味でへんてこりんな楽器を弾くことになる。当時中古屋で初めて買った激安(八千円!)のベースはバラバラに分解されて今は実家で静かに眠っている。 林間学校でのライブは大盛況だった。
ご縁があって、inariで九州2daysツアーが決まった。 1日目は熊本NAVARO、二日目は福岡秘密。どちらのライブハウスも初めましてだ。初めてって楽しいよね。 5年前組んでいたバンドで、僕は初めてツアーというものを経験した。その時の衝動、高揚感を思い出す。特に九州は当時も訪れた場所だ。そこへ今回は幼馴染と行くのだ。3泊4日も。ただの旅行やん。楽しくならない訳が無い。 MVも出した。サブスクも解禁した(かも)。準備は整っている(かも)。inariはようやく2022年動
「僕は何も考えていない。」 嘘だ。何も考えていない人間なんてそう多くはない。例えばこうだ。 『愛犬ルドルフが昨日から元気がない。今は仕事中だが彼の事が心配だ。帰りにスーパーに寄って大好きな骨型のガムを買ってやろう。ガムといえば、デスクに置いてあったガムの数が減っている。また部下に食べられたな。あいつ黙って食べやがって。大好きなブドウ味なのに。ボトルガムも高いんだぞ。今月はもう月末までお金が無いってのに。クレジットカードの引き落とし今月結構多かったからな。一体何に使ったんだ
25歳の10月、二度目のニート生活が始まった。 少額の貯金に両親の援助、おまけに失業保険まで振り込まれる。朝食を摂り煙草と珈琲をシバき、読書をして映画を見て、曲を書いたりベースの練習をしたり、自分の身になる優雅な時間を過ごした。なんて贅沢なニートであろうか。ああ、神様。こんな僕をお許しください。 ニヤケ面で、信じてもいない神に許しを請う。しかし翌日からは見事なまでに堕落しきった生活を送る羽目になった。神様からの反感を買ってしまった僕は、皮肉にも神の存在を認めざるを得なかっ
思えば人生で一度も「良いスタート」を切れた試しがない。 保育園の入園初日では自分のクラスの帽子の色が気に食わなくて駄々をこねる。 小学校入学初日はランドセルの色が不服で駄々をこねる。 中学校は小学生のメンバーと同じだったから何もなかったものの、中3の頃に『部活中にガムを噛んでいた』という何とも情けない理由で母親の逆鱗に触れる。 「罰として坊主頭にしてこい。するまで帰ってくるな。」 となんともおっかない言葉と共に家を突き出され、びょおびょお泣きながら近所の1000円カットで坊