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短髪とマニュキア〜性表現とは〜
あけましておめでとうございます。
些細なことから知覚し記録していきたい所存。今年もよろしくお願いします。
お正月、実家に帰ったので、珍しいことをしてみた。
母が「この緑のマニキュアいまいちだったわ」と話していたのが耳に入ったので、おもしろそうだとマニキュアを塗った。
普段はそんなことしない。
生まれ持った女性性を消すことに必死だから。
お正月は家族と親戚にしか会わず、誰の目も気にする必要がないのも後押しになった。
かわいいと思えた。
なんで受け入れられるのだろうと不思議に思った。
ひとつは、必ずしもマニュキアが女性性を表現するだけのツールではないという概念が自分の中で浸透してきている(メンズネイルとかあるし)。
もう一つは、性表現のバランスのとり方が変わったこと。こっちが今回の本命の理由。
先月散髪にいったら、想定より短髪になり(大した想定もなかったが)、メンズ感が増した。
男と思われるのが嫌というわけではないけど、「違う」とは思う。
なので、自分のノンバイナリー&クィアとしての性表現のバランスを取ろうと女性性を強めた。ということだと思う。
最初はマニュキアは中性的な性表現として使えるのかと思ったが、同じようにノンバイナリー自認をしている友人に、マニュキア良くない?って話をしたら、女性性が強すぎて自分には出来ないと言われて、考え直した。
ロン毛だったら、マニュキアは絶対にしないだろう。
実際に、緑に塗られた爪を見て”女性として生まれ"、"社会的に女性であることを選択している"ノンバイナリーであるというアイデンティティを実感していて、それは髪型が持つ印象の対局のものとしてちょうどよくなっているだけなんだと。
不思議な感覚。
ノンバイナリーとして、性別に境界の無い概念のほうがしっくりくることもある。だが、今回のように両性を意識してバランスをとることもある。
ノンバイナリーよりもクィアと表現するほうが自認にあっているのは、無性感、両性感、中性感が混在しているからだろう。
そういうのも含めてクィアってグレーな表現が良い。境目があってもいいし無くてもいい。そんな感じ。
余談だけど、今回結構短髪だったから、坊主にするイメージが少し沸いた。
坊主×金髪とかって、メンテナンス大変なのかな。
やってみたいね。
ボンボヤージュ